4:変わらず待っていてくれる
名前の一致は、ただの偶然ではなかった。
とんかつ屋を出た後。車内で見せてもらったのは『当時の富士崎・旭』の写真だった。映る姿は、まさに夏の陽のような笑顔の富士崎さんその人。
少しは予想していたとはいえ、突きつけられる現実に震える自分へ、
「君と、かつての富士崎・旭が会っていたという人物は、館が生み出した超自然的な存在の可能性が高まったな」
さらに、現実を押し付けてくる。
もともと、館で出会う彼女の正体について、可能性は大きく三つだったのだという。
一つは、偶然に迷い込んだ、実在の生きている人物である。
一つは、実在の生きている人物で、館に役割を与えられたとされる人物である。
最後に、館が作り出した架空の人物である、というもの。
「館そのものが人知を越える化け物の可能性がある。もとより、最後の見立てが濃厚だと考えてはいたんだ」
加えて、今しがたの自分の証言で、さらに可能性は高まったのだ。
「どういう手段かはわからないが、七年前の被害者からパーソナルを抽出して作り上げたのだろう。もしかしたら、被害者の記憶が虫食いなのもそれが原因なのかもしれない」
とはいえ巌洞さんの分析も、断言はできないと断ったうえでのものだ。解明にはいずれ時間が必要であるというのが結論。
腕を組む機関の巨漢は、固い頬を少し歪めて失敗を認めた。
「なんにせよ、もっと早く、君に確認しておくべきだった」
こちらとしては、好きな人をトラブルに巻き込みたくなくて黙っていた名前であったが、彼らにも問わない理由があったのだとか。
まず、前例から名前の記憶が残っていない可能性がり、そのことで自分、霧島・篤に精神的な負担を負わせないため。記憶が怪しいという実被害を自覚すると、自分が警戒してしまうかもしれなかったからのこと。
結局は杞憂であったのだが、安全策を取ったということだろう。
運転席の巌洞さんが車載の時計に目を向けて、
「ありがとう、霧島くん。また一つ、解明に近づいたよ」
感謝に乗せて、この状況を切り上げる言葉を口にしたから、自分もそれに応じて車を降りた。
エアコンの庇護を外れると、ますます強まった日差しに肌がじりじりと焼かれる。
アスファルトから返る熱が、視界を霞ませるほどに立ち込める。
あちこちで回る室外機の音が、頭の中を掻き回す。
暑さへの嫌気から、店の脇に止めてある自転車までいやに遠く思える、
いや。
目の前が揺れるのも。
考えていることがまとまらないのも。
足がひどく重いのも。
きっと、夏の熱のせいばかりではない。
じゃあなんなのか、と実際に形を作ろうとすれば、曖昧でふわふわとした形のないもやなのだ。
それも、ひどく不快なことだけは明確な。
どうにか振り払いたくて、吹き流したくてたまらない。
だから、自転車にまたがって、立ち漕ぎでペダルに全体重をかけるのだ。
※
どれだけ速度を出そうとも。
どれだけ風景を後ろへ流そうとも。
自分の胸にひしめくもやもやは晴れることなかった。
わからないことだらけなのだ。
自分の目の前に現れた富士崎・旭は、いったい何者なのか。超常的な館が生み出した、自分を釣り上げるための疑似餌なのだろうか。
元々、うさん臭い機関と富士崎さんと、どちらを信ずるか秤にかけてはいた。圧倒的に富士崎さんを支持していたのだが、状況が、彼らの言動が、針を少しずつ傾けてくる。
自分はどうするれば、何を信じれば。
わからない。
確かめたい。
だから自然と、タイヤはいつもの雑木林に向けられる。
茂みに自転車を蹴倒して。
爆発しそうな肺にも気を遣いもせず。
足をもつれさせながら、館の入口へ飛び込んでいく。
真上から降り注いでいた日差しが一気に遮られて、目の前が暗く。
目が慣れるまでのほんの数秒も待つことができなくて、荒れた息を弾ませながら記憶を頼りに足を運んでいき、
「篤、くん?」
いつもの場所から、いつもの声が届いた。
瞳孔が開いて薄暗い室内を見通せるほどになって、
「富士崎、さん」
いつもの姿を確かめる。
夏の制服に、健康的な四肢、太陽のような広がる表情。
こちらの様子に驚いて腰を浮かしているが、変わらない姿だ。
この人は、いつも変わらず、自分を待っていてくれる。
だから思わず、
「ふ、じさきさんっ!」
「きゃっ」
立ち上がった彼女に、駆け寄って縋るように抱き着く。
驚かしてしまっただろう、ブラウスが汗に汚れてしまうだろう。
けれど省みることなんかできなくて、無遠慮に彼女の体に顔を埋めてしまう。
強いクチナシの香りも変わりがない。
驚いて体を固くした彼女も、次第に緊張をほぐして、
「どうしたの? こんな時間に、こんなことして」
諭すように柔らかく頭を抱いて、ゆっくりと腰を落としていく。
ああ、今日もまた幸せなのだ。
そして以前にも思った通り、力のないただの子供の自分では、この先に起きる悲しい出来事を何一つ覆すことができないだろう。
前は、それが当たり前だと思っていたけれど。
今は、それが嫌だと思っていることに、気が付く。
恐怖と悔しさに、体が震えてしまって、
「大丈夫」
その背中を撫でられて、溢れたように、さらに体の震えが大きくなってしまう。
「大丈夫だよ、きっと」
宥めるように背中を撫でてくれる富士崎さんは何を知っているのか、はたまた怯える自分に優しさを見せてくれているだけなのか。
確かめようもなく、確かめたくもなくて。
甘えるように、クチナシの香りに沈むに任せてしまったのだ。
この場所を、この人を。
どんな理由があったって、失いたくないと、強く願いながら。
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