第六章:あなたが待つのはきっと
1:幸せであれ
「霧島。お前、顔色悪くなる一方だな」
学校の職員室。
放課後の慌ただしい雰囲気の中で、髑髏が腕を組んでいる不穏なTシャツを隠そうともしない大見倉先生が、ジーンズに包まれた足を投げ出していた。
眼鏡越しの視線は鋭いが、こちらを心配しているのがわかる。
個人面談に至ったのは、この数日で両手に余る数の居眠り報告が強化担当から担任に上がったためで、普通なら盛大に叱られるところだ。
「家の事情か?」
けれども事情を汲んでくれて、繊細な部分は声をひそめてくれるのはありがたい。
「いや、すいません、大丈夫です。ただの睡眠不足で」
「あの館に出入りしているんじゃないだろうな」
ぐ、と言葉に詰まる。
答えるのに、難しい詰問だからだ。
先生との約束のあと、しばらくは無視して訪問していた。が、その後、豊吾さんらたちからも出入りを禁じられたため、あの日の一日しか足を踏み入れていないのだ。
約束を、破ってはいたが今は守っている、という説明に難しい状況だ。
寝不足の件も、同じく説明しづらい。
富士崎さんに会えないことが、だいぶこたえている。夜、館へ行きたいという衝動で目を覚まし、眠れなくなってしまっているほど。
返事のない自分に、大見倉先生はため息を一つついて、
「お前のためを思っているんだ。約束は守ってくれよ。それと」
眼鏡の奥が、ぐっと引き絞られて、
「アイツに何かされたら、すぐに言えよ。見つけ出して、ヤサごと沈めてやる」
なんだか怖い宣言を以て、個人面談は終了となった。
それじゃあ、と立ち去ろうとしたがすぐに呼び止められて、
「……前に言われていた、富士崎・旭の写真だ」
机から、写真を一枚取り出した。
少女が二人、病室に並んで映っている。
ぎこちない笑顔の片方は眼鏡だから、きっと大見倉先生だ。
そうなると、もう一方、ベッドから体を起こしているのが富士崎・旭なのだろう。
どうして断定できないかというと、顔の大半が包帯で隠されているからだ。肌が見えるのは、口元から左頬にかけてくらい。
大火傷だとは聞いていたが、あまりの痛ましさに言葉を失っていると、
「写真を撮ろう、って私が言ったんだ」
先生が、声の起伏を均しながら説明をしてくれた。
思うことが多すぎて、たぶん、表に出てしまう感情をなるべく平坦にしようとしているのだろう。それだけ、特別な事なのだ。
「忘れてしまうなら、ほんの数日で抜け落ちてしまうなら、写真を持っていてくれって」
昔の光景を、先生は弱く光る目で見つめている。
浮かぶのは諦めだろうか。自分は、人の心を完全に読み取れるわけもないが、少なくとも前向きな感情は読み取れなくて。
「親父のカメラを黙って持ち出して、看護婦さんに隠れて……笑顔がぎこちないだろ? まだ、いろいろ整理がついていない時期でな」
けれど、忘れられない、忘れたくないということだけはわかる。
「けど、この写真の現像が、お盆を跨いだせいで遅れてな。ようやく手元に届いて渡しに行ったところで、いなくなっちまった」
それはきっと、理不尽に失わされたものだからだ。
痛々しくも、大切な記憶の一つであり、
「残っている写真はそれだけなんだ。携帯でいろいろと撮ったんだけどな、機種変やらなにやらで破損しちまって」
残された最後の一片。
いま、自分が富士崎さんを失ってしまえば、と想像するに、先生の気持ちは容易く理解できる。なんせ、会えないというだけで、夜も寝られずに苛立ちを募らせてしまっているから。
だから滅多な言葉は作ることができなくて、ただただ、黙りこくっていると、
「けれど、まあ」
不意に、先生が明るい声を作る。
見れば、こちらに力の抜けた微笑みを見せていて、
「アイツ……巌洞ってのが言っていただろ。今は幸せにしているって。だからきっとどこかで、前みたいにやたらと明るい笑顔をしていると思うんだよ」
写真の富士崎・旭のぎこちなく笑う口元に指を落としながら、
「それならいずれ、どこかで会えるはずさ」
信じているんだ、と言いたげに小さく頷く。
だから、と続けられた言葉は、
「お前もなるべく笑っていろ。な? どこか遠くにいるお前を思う人間が、ちょっとでも安心できるようにさ」
無条件に、富士崎さんの笑顔を思い出させるものだった。
※
学校を出て、ほのかに朱に塗れた空を見上げる。
思い出すのは、先生の言葉だ。
言われてみれば、あの夏の太陽のような笑顔に、疑いや己の不安を見出したことはあったけれど、彼女自身への心配なんかしたことはなかった。
『悪いこと』とは無縁であると信じ込むどころか、考えが及びもしなかった。
けれど、そんな人間なんかいるはずがない。
あの『世界の平和を維持する機関』とかいう頭の沸いた組織に属する、顔の皮膚が鉄で出来ているのではと疑う巌洞さんでさえ、過去の凄惨な出来事にいまだ心を痛めているようだったのだ。
自分が館で会っている富士崎さんだけ、特別に不幸せを被らず生きているわけがない。
だから、過ぎる。
実態のある人間ではない証拠なのだろうか、という不快な推測が。
彼らが言う通り、館が過去に訪れた人間の個性から作り出した疑似餌だというのなら、あらゆる過去が匂わないのも頷ける。
けれど、認めたくないことだ。
そんなわけがない、とかぶりを振り、反証を探して記憶の手を伸ばしていく。
……クッキー。
思い出されるのは、調理実習で作ったと食べさせてくれた、バターの香る焼き菓子の味だった。
※
あれも、館が再現したものだっただろうか。
味や匂い、食感はまだしも、素材までも?
変なものを食べたならお腹を壊したと思うのだが、あの後でそんな兆候すらなかった。
あの日、口にしたクッキーは本物に違いない。
けれど、それも『信じたい』という思考にからバイアスがかかっているのかも、と疑い始めたところで、鼻がクチナシの香りにくすぐられた。
巡る思案を切って顔を上げると、見慣れた雑木林が目に。
……いつの間に。
無意識のうち、館へと足を向けていたようだ。
驚いて、立ち止まってしまう。
それほどに欲求が強まっているのだろうか。
さきほどの、富士崎さんの実在性への思考もあって、中が気になってしまう。
立ち入るつもりはないが、ひとまず玄関周りの様子を見てみよう。決して、立ち入るつもりはないが。
自分に言い聞かせながら早足に、雑木林沿いをいつもの入口へ向かっていく。
少しばかり浮かれていて、
「おや」
そんな時は、僅かでも咎めるものがあったなら、冷や水に強か打たれるようなもので。
「なんだ、少年。館には入らない約束だろ?」
自転車にまたがってはにやにやと煙草を嗜む不良成人が、番でもするように立ち塞がっていたのだった。
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