2:好悪はすごく単純で
「あの館はいつの頃からか、人間を捕らえては、その記憶を喰らうバケモノと成り果てた」
「班長。少年の顔が、今度は綿菓子を洗い溶かしたアライグマみたいになっていますよ。もう少し噛み砕いて説明したほうが良いんじゃないです?」
「そうだな……おい、煙草はやめろ」
「ええ? 喫煙席でしょ?」
不平を漏らすが、咥えたままで火はつけず、ライターはテーブルに。
二人の様子を見るに、嘘をついているとか、こちらをからかっているというようではなくて、だとしたなら『人を喰う屋敷』なんて児童向けのホラー文学みたいな話が、誠心を以て語られているということになる。
初対面に近い人間の正気をそうそう簡単に疑いたくもないのだけれど、身構えるには十分な言動だ。
あまりに動かない表情で、まっすぐに見すえられると、
「七年前に、君と同じような事象に巻き込まれた人間がいてね。あの館に出入りするようになり、内部で何者かと接触し、事後には大部分の記憶が虫食いになってしまった」
「何者かが接触?」
背中が、ざわめく。
「件の記憶欠落の影響で、はっきりとはわかっていない。ただ『彼』と呼称していることから、男性だと考えられている」
それならつまり、
「君が接触している女性とは別人だろう」
安堵し、けれど『しかし』と続けられ、
「同じような性質なのかもしれないと、我々は疑っている」
その人物が承知しているか否かはわからないが、人を館に繋ぎ止める、館に誘引する役割を持っているのではないか、とのこと。
「うちが把握したのは七年前の一件からだがね、その後調査を進めていたところ、おおよそ戦前から十年周期で似たような事象が発生しており、証言に共通点も多い」
だから、館が意図的に起こしている可能性がある、ということ。
じゃあ、あの富士崎さんは自分という獲物を釣るための、餌だと?
あの温もりも嘘だと?
惹かれたあの笑顔も?
落ち着かせてくれる、クチナシの香りさえも?
非現実的な何もかもより、ただ一点、一つの疑いが、とてつもなく大きな一撃となってこの胸と頭を打ち付けて、濁る反響を繰り返す。
ぐわんぐわんと、思考と感情がまとまらずぐるりぐるりと回り巡る耳朶を、不意に、
「おい、煙草は……」
石が擦れ、オイルに火が灯る音が揺らされて、ブラーのかかった意識が一つに戻された。
「話は終わりでしょう? 一本だけ、一本だけですから」
はっとなって視線を向けると、肘を立てたまま有毒ガスを嗜むだらしない姿で、にや、と笑いかけてきていた。
それまでの、目の回るような衝撃の連続を捨て置いて、自分は思わず眉根をしかめると、
……この人は、苦手だ。すごく、苦手だ。
昨日に植え付けられた最悪な第一印象を、反芻してしまうのだった。
※
時刻は四時半を過ぎた頃で、館へ戻ることを告げると、彼らは送っていこうと申し出てくれた。
車内でさまざま言葉を交わしたが、結局、納得など一つもできないまま、だけれど否定をする勇気もなくて『わかりました』という形ばかりの返事で、車を降りている。
どれだけ丁寧な説明を受けても信じられることではない。
あの館がバケモノだってことも。
何者か、が『何者』だとしても。
この居場所が壊れてしまうからといって。
きっとどれも、自分にはどうしようもできない。
何を言っても、抗議を重ねても、変わることなど一つもない。
いつもと一緒だ。
無力な子供がいくら駄々をこねたとしても、大人の世界はその腕力で押さえつけて、その歩幅で置き去りにしていくのだから。
今まで、ずっとそうだったから。
理不尽を喚きなんかしない。当たり前のことなんだ。
だとしたなら自分は、雑木林の奥で待つ彼女の笑顔を、その時が来るまでなによりも大切にしたいと、そう思うんだ。
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