4:館で待つのは彼女のはずだから
自分と先生が血相を変えて雑木林に駆けつけた頃には、黒煙は向こうを見通せないほどに色を濃くしていた。
何事かと、状況を把握するために辺りを見回し、
「巌洞さん!」
目当ての人物を見つけ出す。
こちらと一緒で、立ち昇る煙を見つめる顔は驚きに塗られており、不慮の事態であることはすぐにわかった。
それでも訊ねずにはいられなくて、
「取り壊しって、燃やしてしまうってことだったんですか⁉ だいたい、まだまだ先の話だって!」
「いや、霧島君、落ち着いてくれ。こちらも何がなんだか……」
当然であろう返答を受け、けれど興奮した気持ちを押さえつけられるわけもなく、どうしてと呟いてしまう。
あそこは、好きな人が待っていてくれる場所なんだ。
あそこは、好きな人を待っていられる場所なんだ。
段階を重ねて踏ん切りをつけようとしていた矢先に、眼前から取り上げられてしまうなんて、耐えられるわけがなくて。
だから、右も左もなく、詰め寄ってしまう。
「何が起きているんです! 失火なんて、あそこには誰も……!」
言いかけて、心当たりがよぎる。
「富士崎さん?」
「は? おい、富士崎って旭のことか?」
先生には隠していた名前であるが、考慮している暇などない。
「しかしそんな……考えづらいが……」
「だって中にいる人なんて、あの人しか……!」
「おい霧島! どういうことだ!」
語気を強める先生に、だけど応答する余裕もなく、熱を強める雑木林を見つめやる。
炎は、奥が見えるほどに勢いを増しており、
「……!」
どこか崩れたのか、木材が熱で弾けたのか、一際大きい破音が響いて、
「くそう!」
「な⁉ おい、霧島!」
「霧島君、ダメだ!」
いてもたってもいられず、熱風吹きつける雑木林に駆け込んでいく。
居場所ともいえる館の様子と。
待っていてくれる彼女のことを思って。
※
まず思い至ったのは、七年前に起きたという富士崎さんの大火傷のことだった。
周囲に火の手も焼けた痕もないのに、彼女だけが重傷の状態でこの雑木林で発見されたのだという。
もちろん過去のことであり、目の前の現実と直接に結びつくわけじゃあない。
けれどもそれを言いだしたなら、富士崎・旭だって本来なら過去の人であって、自分が触れたりお話したりしていたのは、異常な状態なのだ。
合理的な考えで断じられるほど、足元は平らでない。
もしかしたら、が過ぎるんだ。
もしかしたら、この火事と七年前の富士崎さんが負った大火傷は、繋がっているのではないだろうか。
疑いが、足を動かす。
恐れが、火へ進ませる。
目や口を焼かんと吹き付ける熱風を腕で庇いながら辿り着けば、館はすでに一階部分が火の手をあげ、二階を舐めようとしている最中だった。
いつもの玄関口が無事なことを確かめると、そこから進入。
いつもの通りリビングへ視線を向ければ、轟々と燃え盛る炎と煙が視界を遮る。
いつもの場所、火と煙が踊り狂う向こうにある、あの人のお気に入りの場所へ目を凝らせば、立ち尽くす人影が一つ。
「富士崎さん!」
※
「篤くん⁉」
呼びかけに返るのは、間違いなく富士崎・旭の声。
壁から落ちて火をあげる壁材を蹴るようにして道を作り、熱量を押しのけるように彼女のもとへ。
こちらの姿を見つけた富士崎さんは、駆け寄ってこちらの体に縋りついてきた。
腕、体、足もすべて震えている。
「大丈夫、すぐに出ましょう」
あまり大きな声を出せば、吸った息で喉を焼きかねない。
こちらの胸に顔を埋める恋の相手に、顔を寄せて、囁くように伝えれば、頷きが。
庇うように抱いたまま、来た道を戻る。なに、玄関まではほんの少しだ。まだ、崩れる様子もない。
足早に引き返していくと、
「やっぱり」
胸元に隠れた富士崎さんが、
「やっぱり、あなたが白馬の王子様だったんだわ」
不意に顔をあげ、太陽のような笑い顔を見せてくる。煙を吸うからと注意することを忘れるほどに眩しくて、
「子供の頃、家に居たくなくてこの館まで逃げてきたことがあるの。夜中に」
まなじりには、大きな涙が浮かんでいる。
「その時、朝まで一緒に居てくれた人がいて。ああ、きっとこの人が王子様なんだって」
迫る熱に、瞳の水は溶けてしまい、けれど絶え間なく浮かび上がってくる。
「篤くんに初めて会った時、そっくりでびっくりして、けどそんなわけないって」
けど、
「いまわかったの。どうしてそうなのかはわからないけれど、だけどあなたは、間違いなく私の王子様だわ」
玄関に辿り着き、あとは外に出るだけ。
炎が強まり進む速度は遅くなっているが、もう一息だ。
富士崎さんの話は、正直半分も意味が繋がらなかったけれども、
「あの時に貰った三つの飴玉、レモン味の飴」
突然に出されたピースが、穴だらけの記憶のパズルにはめ込まれる。
驚いて、見上げる彼女に視線を返せば、
「すっぱくて」
建物の奥で、熱に負けたガラスの砕ける音が響いた。
空気を吸ったためだろう。途端に炎の圧が増して、
「すごく美味しかったわ」
満面の笑顔を呑み、自分たち抱き合う二人は押されるように、玄関口へと弾き飛ばされてしまった。
※
雑草の茂る地面に転がり、二転三転。
炙られた皮膚が、新鮮な風に晒されてひどく心地良い。雑木林のざわめきも、眠気を呼び込んでくる。
けれど、伏せってはいられない。
濁る意識を掴み手繰れば、腕の中にいたはずの富士崎さんは、
「……やっぱり」
影も形もない。
と、周りに気配を覚え、
「大丈夫か、霧島!」
「救急車も到着した! 安心するんだ!」
肩を掴んだ大見倉先生が、心配げに覗き込んでいた。姿は見えないが、巌洞さんの必死の声も聞こえてくる。
確かに、サイレンの音とのがやがやとした、大人数の気配が近づいている。
このままでは、治療のために身動きが取れなくなるだろう。
それは、ダメだ。
自分にはやるべき事、伝えなければならないことがある。
手足に、元々から弱い力をありったけに込めて、四つ這いに。
「おいどうした、霧島! 寝ていろ!」
「霧島君! 無理をすると、怪我が酷くなるぞ!」
二人の忠告は心からのもので、だけど申し訳ないが聞き入れることはできない。
地面を拳で叩き、頼りない太ももに活を入れて立ち上がる。
「なんだ、おい! 寝てろって!」
「どうしたんだ! 何かあったのか、霧島君!」
問われたなら、あるに決まっている、としか言えない。
足を再び、火の手が増している館の玄関へと向ける。
こちらの様相に二人は言葉も足も止めてしまったが、行かなければならないのだ。
なぜなら、あの火の中には、
「初恋の人を、むざむざ死なせてたまるか!」
彼女が、自分を待っているはずなのだから。
※
レモン味の三つの飴玉。
本来は、富士崎さんへのクッキーのお礼のつもりで持っていたもので、けれど夜中に出会った女の子にあげたものだった。
その飴を、富士崎さんは子供の頃に、自分『霧島・篤』に似た人物から、似たようなシチュエーションで貰ったのだという。
自分が貰ったクッキーには、疑いがあった。館が、過去の記憶から生成したものなのでは、と。
だけど同じ理屈であるならレモン味の飴玉は、館は未来の記憶から生成したことになる。
それは、さすがに無理がある。確定などない未来を観測して、そこから記憶を抽出するなんて、不安定にもほどがある
つまり、富士崎さんが出会った王子さまは間違いなく自分であり、自分が飴をあげた少女は間違いなく富士崎さんなんだ。
だから、火の手が増す館を戻っていく。
掻き分け、蹴散らし、前へ前へ。
ほんのわずかな距離である玄関からリビングまで、すごく長い時間に感じる。
足を踏み入れると、何かを蹴り飛ばしたことに気が付く。見れば、叩きつけられるように砕け散った、栄養ドリンクの瓶底だった。
だから、確信を強めて、顔を上げる。
炎の中には、人影が一つ。
お気に入りだった場所に立ち尽くすその人は、
「嬉しいね、少年。今度は、私に会いに来てくれたのかい?」
自分のことを待ち続けてくれていた、彼女の姿だった。
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