2:かつてのあの子は
「職員室で話した七年前な。あれ、あたしの友達が関係しているんだ」
小奇麗な、地元で有名なとんかつ屋のカウンターに頬杖をつきながらのカミングアウトは、まあ十分にこちらを驚かせるものであり、同時に、理解もできるものだった。
自分の知る限り、大見倉先生は幽霊だとか都市伝説だとか、いわゆるヤマ臭い話に興味を持つタイプには思えなかったのだが、館の不穏な噂については信を置いている風だったので、違和感があったのだ。
けれど、身近な人間が関与していたとしたなら、話はわかる。
現実を突きつけられて、なお否定をするほど頭が固い人だとは思えないから。
「もともと少し変わった子だったんだよ。ちょっと物忘れが多くて、なんにでも大げさに驚いてさ」
揺らすお冷の水面を、眼鏡の奥の眼差しはとても遠くを眺めている。
「梅雨明け前だったな。彼氏ができたってはしゃぎだしたんだよ」
学校の行事も、部活も、友達付き合いも、何もかも疎かにして、毎日毎日あの館で逢引きしていたのだとか。
なんだか自分と状況が似ているな、という言葉を、お冷とともに飲み込む。ことトラブルが絡むなら、富士崎さんのことは内緒にしておきたいからだ。例の二人に名前を教えていないのと、同じ理由である。
「まあ、変な相手でもなさそうだから、素直に応援していたんだ」
だけど、と眉根をしかめた先生は、
「夏休み前期末テスト後だったな。急に学校に来なくなったんだよ。で、担任に頼んで親御さんに連絡を取ったら、入院しているって」
「入院?」
「最初は彼氏彼氏ってはしゃいでいたから、妊娠したのかと疑ったんだけどな」
いや、その発想はなかった。けれど言われてみれば可能性としては一番大きいか。
しかし、口振りから否定されており、では何が、と目線で訊ねれば、
「蓋を開けたら大火傷で、だったんだよ」
「火傷ですか?」
とんでもなく想像の外に、正答があった。
説明は面食らう自分に気を遣うことなく続けられて、
「館の周り、雑木林になっているだろ? そこで、ひどい火傷を負って倒れていたところを保護されたらしい」
なんということだ。
自分が気軽に出入りしているあの館で、そんなことが起きていただなんて。豊吾さんと巌洞さんからは『七年前に出入りしていた人間がひどい記憶障害を起こしている』程度の説明しか受けておらず、
……どうして、隠しているんだ?
言ってくれなければ、わかりようもないだろうに。
愚痴というには小さな不満を胸に抱いたところで、その胸に違和感が浮いていることに気が付いた。
フロアカーペットの、些細な膨らみのようなものだ。下に小さな異物が入り込んで出来たものだが、だからこそ踏んだ時の不快さは明瞭であり、その正体を探っていくと、
「……火事でもあったんですか、あそこで」
※
大きな火傷を負ったとすれば、相当大きな炎に巻かれたのではないだろうか。ライターやマッチ程度の火力なら『大火傷』とは言わないだろう。
そうであるなら、おかしいじゃないか。
林は、七年あれば景観が取り戻されるかもしれない。けれど、それほどの炎が、あの管理されていない雑木林で巻き上がったのなら、
「館の壁には、煤一つありませんよ」
熱に炙られ、煙に巻かれた痕跡などみじんも無いのは、どういうことだというのか。
先生も言葉に困ったよう、少しの沈黙を置いて、
「そう、火の手は無かった。警察も消防も、あたしもこの目で確かめて、あの雑木林で火事なんかなかったことは間違いない」
それじゃあ、なにが。
「警察の発表では、通り魔に化学薬品をかけられた、ってことになっている。けど犯人は未だ目星もつかないまま。そりゃそうさ。そんな奴は、きっといないんだから」
なにせ、と続けて、
「周辺に薬物の痕跡はないし、体には大量の煤が付いていたんだから、間違いなく火に巻かれているんだ。薬品を凶器にした通り魔なんか存在していない」
強く鋭く吐き出すと、目を絞るように閉じる。それは、膨らむ感情を抑えるためだろうか。
「だから、あそこには出入りしないでくれ。あんな、どこにも遣りどころのない思いなんか、二度と御免なんだ」
怒りなのか、悲しみなのか、後悔なのか。
隠されてしまったまぶたの奥の眼差しが、いったいどんな色をしているものか、自分には想像もできないことであった。
※
「旨かっただろ?」
期末テストの準備やクラスの人間関係についてを、無難にのらくら躱しながら奢ってもらったロースカツの味わいは、生涯忘れることはないだろう。
「はい。ごちそうさまでした」
口は幸福、耳は地獄の状態で、脳がパニックを起こしていたから。
大見倉先生が空気を張り詰めさせたところで料理が届き、以降は不穏な話が続くことなく、生活指導に移行してしまったのだ。
気になること、聞きたいことはたくさんある。
何より、今は自分が当事者であるのだから。
けれども、逸らされた話題に立ち返って踏み込めるほど、自分はハートが強くなんかなくて、
「送ってやるから乗りな」
きっと館へ行かせないための監視なのだろうなあ、などと確信しながらも、武闘派な担任に反発する勇気が湧くことはなかった。
言われるままに車へ駆け寄ると、
「巌洞さん?」
通りの向こうに、見覚えのあるスーツ姿の巨漢を見つけた。
向こうもこちらに気が付いたようで、鉄面皮にささやかながら驚きが浮かんでいるから、本当にたまたま通りかかっただけなのだろう。
この程度の偶然で表情を崩すなんて可愛げもあるんだな、などと評価点を加えたのだが、彼の驚きの眼差しとは視線が合うことが無い。それはつまり、自分に向けられたものではなくて、
「あのヤロウ……」
声音を凍てつかせて敵意を吐き出す、自分の担任に注がれるものであった。
先生は眼鏡で表情を隠して駆け出すと、右も左も確認せず一息に車道へ。
勢いのまま横断しきると、巨躯の襟元を締め上げ始めるから、そこで呆気にとられて推移に目線を滑らせているだけの自分も我に返った。
慌てて後を追うが、ヘッドライトが迫るからどうしても遅れてしまう。
辿り着いた時には、
「あいつをどこに連れてったんだ!」
担任が、鬼すら殴り倒さん迫力で、頭一つは高い巌洞さんへ全力で詰問していた。
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