【21 余興】

◇――――◇――――◇


 今回の依頼者へ抱いた印象は、典型的なだった。疲れ果て、過労死して、また薬でも使って無理矢理に蘇らされた、歩く死体のような男だった。


「【億万長者のお使い】だ、アンタが依頼者クライアントか?」

 合い言葉を口にすると、鼻声混じりでさらりまんは応えた。


「は、初めまして――【フジ=ルネッサンス】という人材企業で――げ、経理と管理職をしていました朝比奈 薫助と、申します」


 いかにも不健康な声色で事務的な自己紹介を済ませると、男は、まるでそれがさらりまん流の礼儀かのように、ぎこちなくも条件反射的に端末を差し出した。

「ま、まずは情報の共有から――」 

 LARKは短く断り、手元に握ったプリペイド端末を差し出した。

「不用心な接続は受け付けないのがこの業界の鉄則だ。 悪いがその端末も回収させてもらう。 改札と連絡はこっちで用意したモノを使ってくれ、わずかだが信用値チャージも入ってる」


 そう伝えると朝比奈は即座に深々と頭を下げ、勢いよくスミマセンと謝罪の言葉を返した。別段、謝られる理由もないLARKは、流石にちょっと驚いた。このさらりまんの身体には、中身のない言葉と所作が染みついている。

 意思表明を軽んじる奴を、逃がし屋LARKは信用しない。ロクデナシなのは確定だ。


「ややこしい話がしたいならコイツとしてくれ、ってんだ」

「わ、です、こちらのお姉さんはラッキー――」

 肘を突くと思ったよりいい所に入った。わかばは肩を抱えて悶えた。


「LARKって――いや、不必要に呼ぶな。 仔細連絡はこのを通してくれ」

 わかばですとふてくされる新人に、朝比奈は恐る恐る会釈した。その角度はLARKの時よりも浅かった。


◇――――◇――――◇


 セーフハウス担当者からの情報から察するに、クライアントは十分な休息を取れていない。事実、目の下には隈が出来ており、眼孔がわずかにくぼんでいる。肌は荒れ、唇の発色も悪い。ここ数日間ロクにシャワーも浴びてないのか、体臭もなんらかの香水で誤魔化している。高そうなスーツもカフスボタンが取れたままだ。

「なにせ、管理職でしたので――」

 もっとも、逃亡当日に体力面や健康面で恵まれた依頼者は会ったことがない。


「一応状況は粗方聞いているが、追手に心当たりはあるか?」

「皆目見当が付きません」

 LARKは静かに睨んだ。

 彼我の状況認識が疎かであれば、たとえどんなに頑張っても不測の事態は避けられない。逃がし屋は誰でも一回限りで、失敗が出来ない。だからこそ厳しく追及する。

 LARKの視線に脅えつつ、朝比奈は口を開いた。とつとつと、鼻声混じりで。

「恥ずかしながら、反社会性組織と絡んだ元社員です」


 今度は謝罪せず、だというのにまるで被害者のような口ぶりで朝比奈は続けた。

「と――当社では、契約社員側との勤労待遇への認識齟齬から、何度か経営陣との対立が発生していまして、板挟みにあった私が何度か抑えるために、奴らを利用したんです、どこかの労組と繋がりでもしたら、どんな不都合が生まれるかわかりませんでしたからね」

「最低だなアンタ」

「しゃ、社長命令ですよ? 仕方ないじゃないですか、私はただので――」

 中間、という語彙がなぜか強調されていた。瞳は淀み、輝きはないのに、なぜか生命力にあふれて爛々としていて、やや不可解な微笑。

 嬉しそうにも見えた。


「それがどうやったら、商売敵のヤクザ共と手を組むって言うんだ?」

「み、見返りを強請られそうな気配がして、当の社長が弁連を使って追い払おうとしたんです。 そしたら途端に、て、掌を翻して――奴ら、シノギの商売が上がっちまったからって、二束三文で見境なしに売払いやがって――トンプソンって言うんですか? 足が着く前に捌けたいんでしょうね。 アレをウチの社員たちにばら撒いたらしいんですよ――その上昨日から社長も行方知れずで」

「チェックメイトだな」

「どこから話を嗅ぎつけたのか、本社に保険屋と労監からも視察が入りました――もう信用はガタ落ちです、私の身もどうなることやら」


 自分たちで蒔いた種だろうに。LARKは心の中で言葉を呑んだ。


「わ――私は、一刻も早く故郷に帰りたいのです! ここの、S-O-Wでの生活は、私には無謀でした――こんな金と暴力が支配する都市じゃ、私みたいな軟弱者は――でも、妻と娘を置いてきて、過労死なんてごめんです――ああ、帰って兄貴たちに謝らなければ」


 これ以上は当事者の現実逃避を助長するだけで、何の判断材料にもならない。

 LARKは長話を切り上げて早々に金の話題を持ちかける。の仕事でも引き継いだのか、なかなか額を持っている。

「逃げる際、腰巾着を持参してくるケースは多い。 独身はその分楽だから、割引にしてやる。 路銀の足しにしな」

「あ、ありがとうございます」

 これで荷の半分は降りた。後は――


「え、私のおだちんは――」

「出るわけねえだろ」

 LARKは何事か言いかけたわかばを一瞥の下に黙らせた。

 仕事上の力関係をハッキリさせたところで、逃がし屋はそこら中の壁や床に映写されたニュースチャートを指さして、当座の目標はアレから離れることだと告げた。


 【駅構内で銃乱射未遂 湾岸区 犯人は単独半?】

 【ニューカマーへの不満? 西区銃乱射未遂事件】 


 はぁ、と気の抜けた声を上げたわかばに、場所を見ろよとLARKは指導する。

「今はまだ可愛いほうだが、これからウチのボスがさらにブラフを撒く。 息のかかった民警が時間差で制圧して、余波で他の連中も動く。 後は――わかるな?」

 視線を戻すと、落ち着きを取り戻した朝比奈が答えた。

「――同業他社での足の引っ張りあい、メディアがよってたかってマッチポンプ疑惑の尋問会見と、当事者たちの水掛け合い。 どっかで肩持つ組頭が鶴の一声挙げるまでは、民警同士のゼロサムゲーム――」

 善良なるS-O-W市民にはおなじみの光景だな、とLARKは笑顔で嘯いた。

「今夜追ってくるアンタの追手どもからすれば、点数稼ぎに街中出張ってくる連中は、民警も鉄警も第一級の障害物になる。 ド素人ならなおのことさ。 問題はルートだ。 地上は先に手が回るだろうから、地下鉄を乗り継いで現地へ向かう。 幸いここからならいくらでも足はある。 見張りはするが、警戒は怠るなよ」

 朝比奈は伏せ目がちに固唾を飲んだ。

「電車、ですか――」

「最後まで満員列車にぎゅう詰めとは、なかなかつらいね、さらりまんとやらは」

 ご挨拶代わりに憐憫の情を見せてやると、慣れっこですよと暗く応えた。


「あの、バスとかタクシーとか使っちゃいけないんですか?」

「道路上で祭りが始まったら一発で運行差し止めだ、今朝の一件忘れたのか?」

「あ、そっか」

「お前当事者だろ!」

 茶番を繰り広げる二人をよそに、アクリル柱と壁面のチャートが入れ替わる。

 トップニュースには、予想だにしない出来事が語られていた。


【中央区で挙動不審な男を逮捕 拳銃を所持!?】


 ほんの数分前のことらしい。

「――早いですね、お宅の上司さん」

 どこか他人事のように朝比奈が呟いたが、瞳には明確な焦りの色が見えた。


 妙だ。LARKは直感的にそう感じた。前座にしては効果範囲が近すぎる。下手を打てば鉄警に先回りされて路線を封鎖されかねない。LARKは二人を先導して駅へ歩を進める。内心焦りを覚えつつも、予想外の事態はいつものことだと言い聞かせた。どこかから視線を感じ取ったが、ふり向いているような暇はなかった。

「こ、これからどうするんですか?」

 まずは変装だ。LARKはクライアントよりも頼りない新人を一喝した。

「そっちのバッグ、圧縮パックで一通りそろってる。 化粧室に駆け込んだら適当に選んで残りは気にせず捨てろ、ファッションショーをやる暇はない。 駅内ならまだマルボロの影響圏だ、後で回収者が来る」

 早口で捲し立て、中身の派手な下着に目を奪われたわかばを手近な場所で追い込む。個室に駆け込んだのを確認すると、一旦その場に朝比奈を立ち止まらせた。


「あとオッサン、肝心なモンを忘れてるぜ」

 間髪入れずに朝比奈の左胸に指を立て、斜に構えて凄みをきかせた笑みを造る。クライアントは一瞬凍り付いたが、即座に理解したようだ。


「普段ならの振込み確認が先なんだが、今日は駆け込み特例で後払いだ。 凍ってない口座のカードは?」

 朝比奈が内ポケットに手を伸ばした瞬間、あえてLARKは制止させる。

「路銀の他に、何かと必要にはなるだろう。 今夜は不確定な要素も多い。 番号だけ教えろ、受け取るのはアンタをコンテナに突っ込んでからだ」

 爽やかな笑顔を浮かべて、クライアントを安心させる。朝比奈が言い淀みながら口座番号を口伝している合間に、財布をスった。まるで気付かない不用心さに内心呆れつつも、用事を済ませたLARKは朝比奈も化粧室に追い込んだ。


 持ち主が去った後、LARKは頂戴した財布の中身を確認した。残念なことに、その日の内に金になるカード類はなかった。代わりに都市の外では使い物にならない紙束の大半をくすねた。


 束の中から一枚のネガがこぼれた。仰々しい大家族の集合写真だ。

 若いころの朝比奈が、妻子の肩を抱いて端の方に映っている。左右を屈強そうな兄弟たちに挟まれて、裂けるほど口をゆがませた奇妙な笑みを浮かべていた。


 LARKは鼻を鳴らし、セピアに煤けたフィルムを丁重に紙幣で包み、財布諸共内ポケットに押し込んだ。

「さらりまんには、帰るべき家がある、てか――」


 ◇――――◇――――◇

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