【31 遡行】

 ◇――――◇――――◇


「いいか朝比奈――欲望ってのは鏡だ」 


 LARKは横穴の出口側を見つめて、告げた。


「自分が理想とする他人の似姿を、鏡像に当てがって、永遠に変身ごっこを続ける着せ替えお遊びだ。 剥いても剥いても外面が終わらない、タマネギの化け物になることだ。 だから今のアンタも、かつてのの似姿で、極論を言えばただの意趣返しだ」


 言葉が届いている保証はない。腐りきった末に吐くべき呪詛を吐き終えて、朝比奈は乾き尽くした。あらゆる行動意欲を失い、ただ唯々諾々と聞き流しているかもしれない。

 それでもLARKは、言葉を紡いだ。それがこの都市で生まれた人間として、最後にするべき事のように思えたから。


「故郷はアンタを否定して、アンタは故郷を否定した。 けれどそのアンタが、最後の最後で見栄張りたかった相手も、その故郷だ――こんな商売して偉そうなこと言える立場でもないがな、逃げ出した奴らが一番怯えてるのは、他人なんかじゃない」

 自分なんだ。

 LARKはふり向き、語気強く飛ばす。

「もう一度。 逃げようとした自分と、逃げようとした過去の全てに」


 返る言葉はない。もとより、期待もしていない。

 ただ囂々と、波の音だけが響いている。


 ◇――――◇――――◇


 次いで、常軌を逸脱しつつある氾濫具合を横目に問いかけた。

「わかば、今日の天気予報、どうだっけか?」

「――記録的な豪雨だとか」


 通気孔の奥へ意識を向ける。暗闇の向こうで、タービンの音が徐々に甲高くなる。

「ここで一つクイズだ――」

 LARKは、あえて笑みと饒舌を心がける。


「潮汐発電はこの都市の大きな動力源で、時期によっちゃアパート一つ分が一昼夜で浮き沈みする。 だから、排水システムが止まればS-O-Wは三日で沈む。 ケドこんなバカげた水量を穴の小せえ用水路しかない地区に任せてたら、バランスを崩し一夜で転覆する。 さてわかば、今流れてるこの水はに行くと思う?」

 しばらく考えてからわかばは独力で正解を導き出した。

「中央駅の公園地下、排水処理施設!」

「ミーハーは物分かりが早くて助かるぜ、正解だ」

 LARKはできるだけ大きく笑って見せた。


「あのランドリーの地下には雨水の濾過施設もあってな、市民プールやシャワールームの水も、そっから再利用してんだ」

「えーー! さ、先に教えてくださいよ、何混ざってンのか分かんないのに!」

「さっきそこの排水路に頭から落ちてピンピンしてんだから大丈夫だろ」

 半ば呆れたような素振りで微笑み、LARKは返した。

「大雨のときは都市中の水が一極集中する。 ある程度まではそこで海に流し、波が終わったら後はバランスを調整しながら仕分けて――って仕組みだ――」


 丁度語り終えた瞬間に、恐ろしく低い音が方々で鳴り響く。通気孔の奥に控えたタービンが、重いうなり声を上げて再稼働する。

 都市の大仕掛けな舞台装置が、重低音と供にゆっくりと動き出していた。


「よく見とけ田舎モン共――地上でマトモに暮らしてたら、まず拝むことがない」


 朝比奈は暗闇をさらに奥へと突き進んだ。わかばはLARKにしがみついた。


水上の煙Smoke On the Water――

 まあ煙じゃなくて飛沫だけど、そう呼ぶにはふさわしい光景だな」

 どん、と低い音が響き、遠くから波音が聞こえ始め、やがて排水路は霧と見まごう大量の飛沫で覆われ始めた。大型閉鎖弁の閉鎖音が続けざまに鳴り響く。タービンの向こう側で何かが立て続けに振動する。


 一度、空気の流れが止んだかと思った直後、再び突風が吹き抜け、通気孔はゆっくりときりもみ回転を始める。回転に合わせて排水路側の濁流も勢いを増し、渦がさらに飛沫を上げる。

 LARKはスポーツバッグから小型の呼吸器を二つ取り出し、後生大事に守り続けた小さな缶を接続する。簡単な使い方を実演すると、二人にそれぞれ投げ渡した。

 

「何分だか、何十分だか知らないが、当分アタシらもここを動けない――だが、追手からすれば、突然流れが逆流する――濃厚な排気煙と、中毒スレスレの還元酸素を従えて――ミイラ取りがミイラだ」

 LARKは背を壁に預け、力なく通気孔の外を指す。


「水が、捌けたら――下る方向へひたすら歩け。 二ブロックそこら行くと、右手に【B-二〇三】って通路が出る――再開発期にぶち抜かれた海底トンネルだ――一時間ぐらい歩けば、対岸側のエレベーターにたどり着く――はずだ」

「はずだって――ちょっと、LARKさん、急にそんな」


「端末回線も、ギリギリ通ってる。 アタシが教えられるのは、ここまで――」

 甲高い駆動音を上げながら、タービンが回る。通気孔からまき散らされる冷たい風は、最低限の酸素しか含まれない。


「LARKさん!」

「――お前は、やっぱ帰れ――コイツは餞別だ」


 LARKはジャケットに仕舞い込んだマジック・カードの一枚をわかばに手渡す。足の着いた古い方を寄越したかったが、確認する余裕はなかった。気張っていたものが抜け落ちたせいか、ついには眠たくなってきた。

 酸素還元量の低下が肌でわかる。


「このクズ男に付き合うなんてのはクソッタレな冗談だろうがな――上に戻れば、コイツよりも酷い奴であふれかえってるんだ。 付き合う必要は、ねえさ――」

「私の分なんていいです! LARKさんが!」

馬鹿言えSpeak LARK


「――お前みたいな、痩せたガキskinnyとは鍛え方が違うンだよ――ガスもオゾンも、生まれたときから吸い慣れてる――風みたいな、もんさ」

「どの道体には害です、私の吸ってください!」

「いいよ――少し寝てれば、そのうち、戻る――水が捌け、たら――」

 お前も逃げろ。

 LARKは最後にそう呟いて、ゆっくりと目を閉じた。


 ◇――――◇――――◇

 懐かしい音が聞こえてる。

 濁流、奔流、無慈悲な波。

 皆が流された、都市の音。

 ◇――――◇――――◇

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