【18 黄昏】
◆――――◆――――◆
聞き慣れたやかましい声がヘッドホンから鳴り始めたので、現場にはプランBの実行を示唆した。ダイヤルに指を掛けたとき、マルボロはふと思い返した。小娘の端末に細工を仕組んだのは良策だったが、最善ではなかったようだ。
どこかで線を切り捨てなければ、芋蔓式に手繰られて自身にも疑惑が及ぶ。タイミングを逃せばそれだけリスクはかさばっていく。
マルボロは用件を済ませると同時にサブ回線を切り、経路に事後処理のマルウェアを飛ばした。本命の電算室のメイン音響にホットラインのバッファを直結させる。そろそろ向こうの長話も、本題に入るところだろう。
《――で、貰った情報だがな、確かに嘘じゃないが決定打に欠ける。なによりホシがすでにお手つきだ、ウチから動くのは厳しいと脚本家先生にドヤされたよ》
交換機は幾重にも噛ませた。連絡先は架空のチャンネルで、記録は一切残らない。ダミーのボットマシンも潜り込ませている。こちらのドメインサーバーを探り当てるのは困難なはずだ。
「以外に手強いわね。かなりのヤリ手か凄まじい物知らずかどっちかよ」
《どっちもだな。でっち上げるにしてもネタが新鮮なあいだはガセを排してリアリティを尊重するってさ――本当に困ったお人だよ、探る側の身にもなってほしいね》
「末端が消されたところで、今日明日のうちに何が変わるわけでもないわ。文屋相手ならロマンスで押し通せばイイもんを――きっと童貞ね」
《女だよ。ちなみに俺らより少し下ぐらいだ》
「あらそう」
画面に逆探知の結果が表示される。別窓のタイプライターを操作し、ダミー回線を経由してIPアドレスを照合する。案の定、向こう側の回線には罠が張ってあった。通話にノイズが掛かる都度、交換機の位置情報は秒単位でS-O-Wの中をあちこちと駆け巡る。
真龍城近郊歓楽街の自治会用交換機。湾岸コンビナートの地下排水溝の緊急圧力計管理室。西区集合住宅街屋上スラムの違法増設交換機。北部証券取引上近辺の高級ビジネスホテル最上階。etc.――
なかなか手強い。
《口が立つ脚本家でな、俺は尻に敷かれる一方だ》
「そのようね」
パターンから逆探を試みるも、素数と任意数のスクラムで飛び飛びになる仕掛けが判明。ココから先に踏み込めば、サーバー位置を晒すことになる。
いやらしい手口。
《なんで、ココは変わり種が欲しいんだ。三下トカゲの尻尾じゃなく、芋蔓式に絡めとれるような、繋がりを持ったネタが――》
受話器から聞こえる物音からは見知った風景が思い起こされる。軋むドアの開閉音、流しっぱなしのラジオとテレビ。警察回線独特の通信ノイズ。聞き慣れないのはやたらと早く、淀みなく続くタイプライターの打刻音で、マルボロはどこか耳障りに感じた。
「別に役者はいくらでも立てられるケド、小火騒ぎじゃ最近文屋が寄りつかないし、猿芝居とわかるような芸じゃ誰も足を止めないわよ? 下準備が疎かだと興業的には成功しないし――」
私にもペイがないと。
グラスを手にし、言いかけた言葉を呑み干した。
やけに酸い。
「成功確率的にもお勧めはできないわ」
買ってから三年も寝かせて若いなんてことがあるだろうか。ボトルを返し度数を確かめる。高くはないが、やけに巡りが好い。
《――仕掛けならある》
受話器の向こうで、わずかながらトーンが下がる。モニターを見ると乱数変化が消え、主回線がホットラインに切り替わり、マルボロ自身の鼓動も跳ね上がる。
ダミー回線からの接続。一瞬胸をなでおろしたが、よくよく安心はできない。
「怖い声よしてよ、酒が不味くなるわ」
《西区が動く》
「根拠は?」
《今朝のバス事件の犯人な、内一人を殺人容疑でウチの捕りにした――末端で、危うくマトリに横取りされるトコだったが、おかげで色々状況が知れたよ》
「盛況ね、よく他所のハイエナどもが許したこと」
《模造銃を持ってた――ライフリングの形状が、先週からカズペック経由で出回っていた弾痕データと一致した。例の暴落で漏れたブツだよ》
少し驚く。それと同時に、どこか昂揚も感じていた。
《取った情報はどの道ウチの預かりだ。先手を打って、若いのをすでに回している》
「凄いわ、よく見つけたじゃない――ケド今一つ欠けるわね。地図もコンパスもホシもないのに、どうやって西部前線へ割り込むつもり?」
《シメたところよ、禁断症状が出てすぐゲロっちまった。なんでもここ最近の売人は、代のカタにハジキを引き取るんだってな。最も大半が模造品だが、今その上納先が、西に集中してる。ここ一週間鰻登りだった奴だよ。俺の勘だが、今日明日あたりには花火が出ると踏んだね》
「へえ――」
普段は昼行灯を演じているが、こういうときに冴えるのは変わらない。
嬉しくもあり、懐かしくもあり、そしてなにより寂しくもあった。
ブラインド越しに窓を覗くと、紫紺に染まりつつあるビル群を背景にして、わずかに頬を染めた自分の顔が映った。
モニターの端にクライムウェアからの通知が表示された。空かさず取得したデータを自作の解析ソフトに掛けると、真空管が熱を孕む。逆探してきたアンチソフトの種類、中継した交換機のアドレス、そこから算出された侵入者の居所が表示された。
想像通りのドメインが、数列となってブラウン管に現れる。
「で、ご用件は?」
無言が続く。大事なことを口にしないのも変わらない。
手を引け。俺のヤマだ。
「なら電話代を頂戴な、アポ押さえるのだって一苦労なのよ」
《そうだな、じゃあ、弊社の苦労話をいくつか》
「やだわそんな汗くさそうな話、どこへ売れっていうのよ」
《まあ聞けって。最近は業界もせせこましくなってな、どっちを見ても食い倦ねた連中でごった返してる。【宝船】ですら、煽りを食らっててんてこ舞いだってよ》
「あのおクソお爺さまの戦警会社が――で?」
《今や立場が逆転しててな、俺らが食わせやらにゃならんのだ。それで頃合いだってんで、仕事を頼んだ。元キャリアの若いのを出して、たっぷり市井を回って勉強会だ。潰されるまで飲まされて、送り届けと介抱は俺の仕事になる――問題は裏取りだだ――》
ほくそ笑む姿が目に浮かぶ。公園の雑木林で、好みの虫でも見つけたかのような、嬉しそうなあの眼差し。もう二度と拝めないと思うと、自然と嫌味な言葉が思いつく。思いついて、呑み込む。
「丁度好いかもね」
《何が?》
血中をアルコールが駆け巡り、アセトアルデヒドが脳に達すると、不愉快な痛みに変換される。すると非道いことは、すぐさま思いつく。
「昔のよしみで頼みがあるわ、マイゼン」
懐かしいな、この呼び方。
「ヘンリー・ウィンターマンって男がいるの」
《イマカレか?》
「いいえ、でもいい情報を持っているわ」
マルボロはマイゼンに、釣れたIPアドレスを送りつけた。
「使ってあげて頂戴――ただし賞味期限は近いわよ」
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