【17 矜持】
◇――――◇――――◇
過労か、ストレスか、目の前が一瞬くらんだ。
「話は通ってんだな?」
同席した少女はさも自信ありげに首を縦に振った。
嫌味か、意趣返しか。真意はまだ分からないが、何にせよ脳裏にはほくそ笑むマルボロの嫌味な面構えが浮かんだ。
対して目前の少女は、唇を食いしばり、つぶらな瞳で女を見つめる。田舎者らしい、緊張はしつつも何処か垢抜けた呆け顔。若干涙はあるが、淀みはない。
正気だ。正気でこの状況に至っているのは、狂気よりも手が焼ける。
「名前は、えっと、悪い、東洋人の名前発音できねえんだ」
「織部わかばです」
ああ、そういやマイゼンが言ってたな。女は今更になってあの岩男も奴の同類だということを思い出す。警戒はしていたが、マルボロの方が一枚上手だったようだ。
「オルガニストを目指しています。法人認可はまだですが――」
「聞いてねえよ、別に、余所で頑張れよ」
「現場で鍛えて貰えってマルボロさんに言われて来ました! まだまだ覚えることは沢山有りますが、今日は何卒よろしくお願いします!」
何一つ聴いちゃいなかったが、小うるさいことだけはわかった。
よりにもよってこんな小娘かと、女は天を仰いだ。
レートも難易度も上がったのに、手持ちのチップは席一個譲ってもらう分しかない。分の悪い賭けだ。店のウェイターの何人かが、
「
思わず声が出る。頭を抱えてテーブルに伏す。しばらくして顔を上げてあたりを見渡せば、知ったような顔もちらほら浮かぶ。腐っても中央駅の人気店で、こんな芸当ができる奴は限りられてくる。代行やサポートは期待できない。
野郎謀ったな。
再び目の前の少女を見る。丸みを帯びた幼顔に、相変わらずの間抜け面。目線が合った瞬間に満面の笑みを作り、意気揚々と聞いてもないことを口走った。
「えと、先週S-O-Wに来ました! タイピング技能はS+です! い、色々不足な点はあるかと思います、経験とかまだまだ勉強中ですが、こここ、今夜の仕事を通じて、精いっぱい精進して行きたいと思っている次第です!」
そういうカラクリか。なんとなく理解し、そして即決した。
女はすぐさまテーブルのコーナーに回り、内緒話をする距離に詰め寄る。
「アンタさ――熱っついボディ、見たこと、ある?」
語彙に何を勘違いしたのか、少女は目を丸くして紅潮する。
「きゅ、急に何を――まあ、ないこともないですが」
「何トボけてやがる」
女は少し苛立ちながら
今度は一瞬で青くなる。
「一応、教会育ちなので、葬儀の手伝いとかは」
「冷めた奴か?」
少女は若干顎を引く。いい傾向だ。
「そりゃもちろん、こっちじゃ基本的に、老衰がほとんどなので」
「頭のはじけた奴は?」
少女は沈黙した。ポーカーフェイスだが、目が泳いでる。ショッキングなリアクションが出たらこっちのターン。女は間髪入れずに畳みかける。
「銃殺、毒殺、暴行による衰弱死。 絞死体、溺死体、焼死体、ひき逃げ、バラバラ――聞いたことあんだろ、こっちじゃ一時間に何人か消えるのがフツーなんだよ」
ワキャバ、と女は少女を呼びかけて、その凍り付いた目を見つめた。
「つい先月の話だ――」
女は目の前に置かれた端末画面を指した。
「客は不動産屋で,アパートのオーナーだ。古い基礎ユニットの上におっ立てた物件が、手抜き工事で想定より四割ほど鉄骨が少ない。ところが、それを長年住人に黙ったまま、七年ぐらい切盛りしていた。だが先月、ガス管と還元酸素のチームワークがスパークして、アパートは潮で腐食した基礎ユニットごと崩落、真下の旧市街地にテトリスしちまった。哀れ住人その他は全員死亡。リストの中には、依頼者の旦那と子供もいた――」
「知ってます、ワイドショーで見てました。大変な騒ぎだそうで」
意にせず女は続ける。
「話はここからだ。今度は住民の遺族側が依頼者を誘拐してリンチだ――だけど前々から中南会との黒い噂が絶えなかったから、誰も助けちゃくれなかったんだな。アタシらは民警の仲介で病院に行った。――実を言うと、依頼も病院の方からだったんだ――正直さ、見るに耐えなかったよ。鉄格子付きの集中治療室で、大量のモルヒネをぶっ込まれながら虫の息、髪は剃られて顔面は包帯だらけ、おまけに――」
少女が耳を塞いだところで喉が渇き、女も話すのをやめた。流石におしゃべりが過ぎた。奴の下で働いておいて清廉潔白でいられる訳はないのだが、だからと言って悪趣味に身を任せるほど腐り切ったつもりもない。
少女は守りの姿勢に入りつつある。あともう一撃。今度はできるだけ感情は込めず、ゆっくりと淡々と語り掛ける。
「いいか、アタシらは掃除屋じゃない。だが隣りあわせだ」
冷めた視線で少女を見据える。
「死に物狂いで逃げる奴には、当然、死に物狂いで追いかけ回す奴が付いてくる――もう、そういう奴らは大抵、もうマトモじゃない。 失敗すれば自分の命だって危うい。 それでもアタシらは、食い扶持と信頼を守るためにも全力で取り組んでる」
周囲の視線が気になるが、今が一番気を抜けない。
あと一息、最後の一撃。
「この仕事は、ガッツだけじゃ乗り切れねえ。それぐらいヘヴィなんだ」
俯き気味のわかばの瞳は、涙でまみれて揺れている。
「ノコノコ尻尾巻いて、帰れってことですか」
粋がるんじゃねえ。
そう言いかけて、呑んだ。
呑んで、なるべく優しく諭す。
「帰れる場所があるなら、それはとても良いことさ。危ない端を渡ってみるのを止めはしないが、川底を覗こうとして溺れ死のうとする必要はないと思うぜ?」
「溺れる者は藁をもつかむって言いますよね?」
また呑む。呑んで、必死で苦い笑顔を振りまく。
「
「私は、マルボロさんから託けを受けてきました――クライアントとの待ち合わせ場所も、使用機材も、具体的な経路支持や連絡先も、全部このリュックの中に入ってます――今ここで私を追い返したら、困るのはそちらではないでしょうか?」
怨みたっぷりの視線でわかばが応える。
またしてやられた。どこまでも用意周到。
ご丁寧にチガ経由でメッセージが届く。だがこのタイミングではとても読む気になれない。それでも無碍にできないことは分かった。とにかく今は、このクソ間抜けなド素人から必要な情報だけを入手して、適当にオサラバするしかない。
さっさと仕事に取りかかりたい。
「じゃあさ、せめて教えてくれよ、クライアントの
できる限りの柔らかな作り笑顔で、女は織部わかばに訊ねた。
「嫌です」
◇――――◇――――◇
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