【23 湾岸】

◇――――◇――――◇


 奇妙なことに、何度撒いても追手は続いた。

 小男の一件が効いたのか、それ以降は直接手を出してくる気配は見られない。だが、耳を澄ませば足音が断続的にまとわりついてくる。乗り換えのタイミングを利用して衣替えと露払いを済ませたが、これも一時しのぎにしか成らないだろう。


 LARKは不意を装ってわかばに訊ねた。

「ワキャバ、スシは好きか?」

「え、おごってもらえるんですか?」

 LARKは無視して、港へ行くと短く告げた。 


「これ以上追いかけっこを続けても、無意味に手の内を明かすだけだ」

 妙に動きのいい素人集団、機能していないブラフ、目的のわからない文屋。不測事態への対処能力も、こういった仕事では重要になる。


「サビ抜きで、お願いします――」

 やはりこの娘は向いてない。逃がし屋は重ねてそう感じた。


 予定を少し前倒しして、一足早く港に網を張ることにした。

 化粧室の外で立ち往生していたドラム缶ロボツトを捕まえる。頭にちょこんと乗ったチガの、目だか腕だかを無慈悲に引き抜き、端末に接続、次いで拡張機器越しにディスケットを読ませた。


 LARKが作業に没頭する間、横ではわかばが目を輝かせ、終始まじまじと手元を観察していた。

「LARKさんも、オルガニスト志望なんですか?」

 ソフト面の話はからっきしだが、危険性は重々承知していた。だから前科の無い素人に見つめられるのは、あまり気分のいいものではなかった。


「残念だけど、アタシは興味ないね、でも代わりに天使たちが歌ってくれるよ」

「何を聞かせるんですか?」

子守歌レクイエムさ」 


 チガを経由して、マシンたちは、駅も提携している湾岸部の経済協力機構から複数の企業宛てに、鉄警のフリをしてダミーメッセージを送る。メッセージには、これから拡散される予定の贈り物が潜んでおり、数時間後には湾岸部近隣の民警にDDos攻撃おまつりさわぎが実行される計画だ。


 数分後、身繕いに手間取る朝比奈を無理矢理回収すると、LARKは二人を足早に次の目的地へと向かわせた。都市最外部の環状線を離れ、地下鉄を五本乗り継ぐこと約四十分弱、一同は東の湾岸商業区へと足を踏み入る。


◇――――◇――――◇


 昼間の爆発騒ぎや西区の乱射事件が嘘のように、港は活気であふれていた。チガの類いが使えない以上、当分二人に直接張り付いていなければならない。後先を考えると頭が痛かったが、なぜかわかばも鼻を押さえている。

「すごい匂いですね」


生臭ナマグサは平気じゃないのか?」

「内陸の出身なんです――スシは冷凍品でしか見たことないので、楽しみです」

 あえてわかばを無視すると、あんなモン寿司じゃないですよと朝比奈でさえ口を挟んできた。初めて意見があった気がした。


 地方シャカイでは、ショッピングモールで手に入る加工物だけを食べて、一生を終えると聞く。そんなモノだけ口にしているならば、なるほどここの空気は還元酸素のオゾン臭の次に厳しい代物になるだろう。

 水揚げしたばかりの海産物や、解凍したての霜降り肉。知らない土地の食材。LARKからすれば食欲をそそるような香りでも、わかばからすれば正体不明の異臭でしかない。


「それはつまり、偽物の食材しか口にしてきていない証左だな」

 LARKが皮肉たっぷりに茶化してやると、苦しそうな薄ら笑いを浮かべながら、わかばは黙した。


 ◇――――◇――――◇


 露店の街道を十分ほど突き進むと、巨大貨物船から卸したばかりのコンテナがそのまま店舗代わりに立ち並ぶ。当然一般人などはおらず、ほとんどは何かしらの業者や、民警のアルバイトすらはじき出されたゴロツキ同然の管理官。


「あまりジロジロ見ないでやれ――商売か、商品になりたいなら別だがな」

 挙動不審を地で行くわかばにLARKは釘を刺す。しかし朝比奈も妙に落ち着きがない。地下鉄を降りて以来、よく鼻を咬むようになった。夜の潮風が堪えるのか、トイレも近くなった。多少は疑問に思いながらも、幸い出航までは時間があったので、コンテナ街脇の簡易トイレまで誘導する。


 しばらくここで待つから隠れていろ、と言ってLARKはその場に留まらせた。ここまで来ると灯りは巨大な運搬路の街路灯に限定され、チガの頼りは時折足下の稼働レールに沿って現れる警備ロボットドラム缶だけになる。LARKは待ち人に連絡を送るため、その辺をノロノロと滑っている一体を捕まえ、円柱形の頭に腰を落とす。


 一息吐いて緊張感がほどけると、行きまでの途中下車の旅で相当堪えたのか、わかばの口から中年男への愚痴が止め処なくあふれた。

「ずっと故郷おくに自慢してくるんです、家業がどうだの嫁がどうだの娘がどうだの――」

 逃げてきたくせに、と小娘は心底辟易した口調で吐き捨てた。どの口がと言いかけて、LARKは心の底に本音を埋めると、当たり障りのない言葉を選ぶ。

「そういう半端モンでなきゃ、逃がし屋には頼ならないだろ? 商売ってのは信用ベースだ。 顧客が善人だろうと悪人だろうと、ちゃんと対価分の働きを見せないと、次から依頼は来なくなる。 おおっぴらに言えない仕事ってのはな、客も業者も相手を選べないのさ」

「そんなもんなんでしょうか――」

「最後なんだ、好きにさせとけ。 どうせもう、二度と合わない」

「それもそうですよね」


 妙に間延びした応えを告げて、わかばもドラム缶に腰を預ける。

 仕事際の夜風は冷たい。また雨が降り始める前に、ことが収まればよいのだが。LARKは頼りないわかばを背にして思案した。長いことトイレから出てこない朝比奈を待ちながら、わかばの愚痴はまたぞろ続く。


「胃腸弱そうですよね、朝比奈さん」

「――心身諸共貧弱そうな誰かよりはタフだろうよ」

「どうせ私は二十四時間も戦えませんよ」

「で、その接待トークで内定は取れなかったのかい?」

 LARKが毒たっぷりに嘯くと、物陰から馬鹿を言えSpeak LARK、と低い声が近づいた。


「職は、自力で勝ち取るんだ。嘘偽りで取り繕って手に入るモンじゃない」

 来たか、と呟いて、LARKはふり向きもせず問いかける。

「よう酋長チーフ、稼いでるかい?」

 できるだけ、自然体を心がける。言葉も仕草も相手に似せる。

 こちらの隙や弱みをに見せるわけには行かない。


 LARKにチーフと呼ばれた男は、どこか間が悪そうに応えた。

「おかげさまで女房は助かりそうだ――今回は、産後の肥立ちがいい」

 何番目のだ、とLARKがケラケラ笑いながら返したところで、浅黒い肌のチーフは一歩身を乗り出した。ひぃと息を呑んで、ドラム缶から転げ落ちたわかばがそそくさとLARKの背後に隠れた。

 三白眼気味のチーフが、運送路の脇道の一つを一瞥する。


「あそこから三番目の角を右、脇道を無視して行き止まりの手前を左だ。 俺も含めて、従業員は全員引き払っている。 後は好きにしろ」

 それだけ言うと屈強な体つきのチーフはLARKにカードキーを手渡した。黒一色に黄金色の牡牛だか、山羊だかが浮かぶ。


「いいのかよこんな洒落たデザイン」

 失笑混じりでLARKがこぼすと、チーフはだと返した。

「狙ってくれって言ってるようなもんだぜ、いいのかい、また騒ぎになっても」

 潰れた鼻を鳴らしてチーフは毒づく。背後でわかばが気圧されている。

「あのな――に協力してくれたことには感謝してる。 だがな、経営方針まで口出しされるのは御免だ。 特にアンタのボスからは」


「そりゃごもっとも、だがいつまでも同じやり方だとまた追われる羽目に合うぜ?」

 チーフはばつが悪そうに禿頭を掻きむしる。


「確かにウチの若い連中はほとんどオレの同族だが、今じゃ半分が教会で世話になってるんだぜ? 血まみれの昔話や、古くさい因縁だなんだと一緒に足洗ったのさ」

「その聖人の名前をまっさらなIDに登録する直前、倍の数お礼参りをした。 どうやってそれを隠せたんだろうなぁ?」

 チーフは短く舌打ちし、予備の社員証を二枚差し出す。LARKは一方をわかばに投げ渡し、肩を怒らせたままのチーフにすり寄った。


「いやあ、恩に着るぜチーフ、また美味い商いが見つかったら連絡するよ、出産予定日いつごろだ? ――ウチのボス、アレだけど贈り物を選ぶのは上手いんだ」

 流石に我慢の限界だったのか、ほ ざ けDon't Speak LARKとチーフは吐き捨てた。


「いいか、先週のアレは――乗った俺たちもバカだったが、最初に焚きつけたのはお前のボスだ! 食い詰めてノーと言えない状況で、その上別れた前の女房の話を持ち出すなんて、最低にも程がある! 今夜のブツがどんなクソッタレかは知らねえが、後になってヘマを踏んだとき、吊し上げストレンジャーフルーツになるのはいつだって――」


 捲し立てながら、合間を詰めるチーフ。あと一歩のところで音もなく、肉厚な胸板にLARKの長い指が尽きたてられる。

 空手だが、心臓の真上。チーフはみるみる青ざめた。

「アタシだって人身御供は嫌だよ。 黒も白も、もちろん混血も関係ない」


 ごく静かに呟いて、LARKは背中わかばを意識する。食わせてなるものか、繰り返してなるものか。再度そう強く念じ、また深く息を吐いてから目の前の男に向かい、その真っ黒な瞳で真っ直ぐ見つめ返す。

「チーフ――アタシも酷い女だよ。 だから今更信じてくれなんて言えた義理じゃないが、アンタだって真っ当な堅気に憧れてたじゃないか。 それをこんなところで潰しちゃ――借金してまで背中押してくれた古女房も、可哀そうってモンだぜ」


 しばしの無言。

 俯き、視線をそらし、苦い表情を浮かべながら奥歯を噛みしめるチーフ。

 過去の負い目や後悔を利用しつつ、決定的な部分には触れない。自分の言葉選びや仕草や口調が、だんだんとマルボロを意識したものになってゆく。

 苦々しい事実だが、確かに効果的だ。


「さっき送ってきた防壁は、本物なんだな」

 しびれを切らしたチーフがそう訊ねた。

「あと数時間で回線がパンクする。 アンタのトコを除いて、ここいら一帯全部お先真っ暗さ。 も来て多少うるさくなるだろうが、ここの上層部はただの停電で片付ける。 今回のは素人衆だって話だし、そう難しいことでもないだろう?」


「そうだな、そうだろうな――だが」

 LARKは半歩身を退いた。


「だが、なんだいチーフ?」

 大丈夫、掴みは完璧。冷や汗をかく自分に言い聞かせた。


 最後に大きく息を吐いてから踝を返すと、行けと一言吐き捨ててチーフはその場を後にした。恨み節を語りたそうな視線が、思いのほか胸に深く刺さる。当然だろう。シナリオ変更のしわ寄せは現場と外部が割を食う。だが目前には追手が迫っている以上、背に腹はかえられない。


 こうやって、どれだけの不義理を働き続けるのだろう。

 誰かの人生を救うために、他の誰かを犠牲にする。建前がどうあれ、LARKのやってきた独善は、マルボロの偽善と大差がない。LARKは地上の光を受けて不気味に彩られる曇天を見つめる。

 頬に水滴が落ちた。

 空気が重い、降りそうな予感がする。


 交渉の舞台から数歩退いた位置から、終わりましたかと弱々しいわかばの声がした。LARKは眉を大きく上げて笑みを作り、心配すんなよ、と応える。

「あ、あの方々は――?」

「昔の知り合いで、協力者だ」

 少なくとも今は。



「なんか、物騒な雰囲気でしたけど」

「そりゃ、みんなノマデスか混血カラードだからな――色々と込み入ってる分、付け入られる隙が多いし、割り切れないことも――多い」


◇――――◇――――◇

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