【08 撤収】
「あ”!」
回線がそこで途切れる。
端末にも何らかの細工が施されたのか、電源が入らなくなった。
聞き込みが終わり、晴三郎が復帰した直後、わかばは退屈しのぎにチャンネルを回しているうちに偶然、捜査員と刑事たちの会話を傍聴することができた。
特注品のわかばの端末にはちょっとした仕掛けがあった。運も関わってくるが、やろうと思えば暗号通信の音声バッファを拾うことができるのだ。どうやら捜査に尽力するロボットたちの中に、民生用を改造した特注機が紛れ込んでいたらしい。当然バレれば犯罪なのだが、本当に偶然だったのだから仕方がない。
流石に逆端は疑っていた。しかし現場が込み合っていたので、対処はもうすこし先のことだろうとタカを括っていた。その結果、モロにドジを踏んだ。一時的なものかもしれない。だが、いくらダイヤルをいじれども真っ黒な画面から何も変化しない。またやっちゃったかと、わかばは首筋に冷や汗を浮かべた。
「よう、そこの若いの、お元気かね」
件の岩男がわかばへ向かって言い放った。
わかばは心底焦った。偶然とは言え、これから世話になろうという相手にクラッキングを仕掛けていた、なんてことがバレたら洒落にならない。最悪、斡旋を反故にされるかもしれない。咄嗟に端末を後ろ手で隠したが、冷や汗で掌から滑り落ちそうになる。
「おかげさまでな」
突如、背面から声がした。意表を突かれ、わかばが振り向くと、悪漢を懲らしめた今日のハイライト、あの褐色肌の女性客が立っていた。
無精髭を撫でつつばつが悪そうに黙した後、しぶしぶ協力感謝する旨を述べ、岩男は一度だけ頭を垂れた。
「犯人はお前が仕留めたらしいな」
褐色肌の女性客がそれを鼻で笑うと、対応の遅れた民警に容赦なく皮肉を浴びせかける。
「ずいぶん到着が遅かったが、日曜休める程には出世したか? マイゼンさんよ」
「おかげで、休み明けは気が重いよ。 どうして犯罪者は無休で働けるんだろうな? 信用値のマイナス分で何か買えるとしか思えんよ」
岩男の刑事は、下手くそな愛想笑いで返す。黒い瞳が無言で岩男を睨みつける。マイゼンと呼ばれた岩男がさらに一歩寄って身を屈め、冷たい口調で語りかける。
「このたびは弊社にもお声かけいただき、誠に傷みいります。また、貴下の仕事始めが滞りなく進むことを心待ちにしております。今後とも、どうかご贔屓に」
「言ってろ民警、脅してるつもりだったら、次はアンタらの縄張りから持っていく」
岩男の鼻が鳴るのを合図に、二人は再び距離を取った。
「先輩、護送車五分後です! 本社戻れますよ!」
聞き耳を立てていたわかばの軟弱な蝸牛に、好く通る大声が響き渡る
「聞こえてるよ、いちいち叫ぶなバカタレ!」
大声で叫ぶ青年への不満は、岩男がさらなる大声で代弁してくれた。
あたりを見渡すと、野次馬のほとんどが引き払っていた。わかばが中継として利用していたドラム缶とその仲間たちも、道の片隅に礼儀正しく鎮座している。
「マイゼン」
慌ただしく撤収準備に取りかかる警官たちに背を向けながら、褐色肌の女性客は静かに語る。
「たまには市井を見とけ。銃といい薬といい、ポイント捕り放題だぞ」
「モグラ叩きとイタチごっこじゃねえか、埒が明かねえよ」
呆れた調子で何事か吐き捨てて、女性客はその場を後にした。岩男はあとで署にツラ出せよと釘を打った。
曲がり角で彼女の姿が見えなくなったとき、わかばは少し後悔した。命の恩人かもしれないのに、お礼の一言も言えなかったことが気がかりとなったからだ。
よし、と岩男が景気よく声を張り上げる。
「ここから先は【宝船】に引き継がせ、被疑者二人はウチで持ち帰る! マトリから連絡入っても社外秘だと丁重に断っておけ! メディアにも首突っ込ませるな!」
岩男の鶴の一声で警官たちは四散し、それぞれが撤収準備を始める。再び晴三郎も他の警官たちに加わり、乗客たちをそれぞれ然るべき手順で捌いていった。
帰路につくもの、賠償を求めるもの、再び目的地に足を向けるもの。関係者が次々その場をあとにする中で、またわかばだけが一人取り残される。
「この娘だな?」
岩男が晴三郎に訊ねた。晴三郎は無言でうなずく。岩山に入ったヒビのような鋭い目に見つめられて、はじめてわかばは自分のことだと気がついた。
岩男は極めて慎重な趣で、晴三郎に語りかける。
「――シンセイ、朝っぱらからパシらせていて悪いが、このヤマお前が引き継げ」
新居田晴三郎、シンセイは、好く通る小声でマイゼンに問いただす。
「【億万長者のお使い】ですか?」
マイゼンは一瞥でシンセイを萎縮させ、背をたたいて走らせた。
「織部わかばさん、ですか?」
再び岩男がこちらを向く。
わかばは固唾を呑み、額に汗を流し、電源の切れた端末を落とした。
「ご紹介与りました――私が今日ご案内する、
岩男はそう言って自らの端末をわかばに提示した。
【株式会社小粋警備保障 : 公安部捜査課第二班 : 第二警督 : 岩舞 善治郎】
僅かにわかばの心音が跳ねる。
少なくとも一歩、振り出しからは抜け出せそうだった。
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