【28 推敲】

 ◆――――◆――――◆


 風の合手、雨の拍手、オルガンの大歓声。

 岩舞善治郎の檜木舞台は、間もなく佳境に入る。自然と弁師の言には熱がこもる。


「結論から言うと」

 マイゼンはそう見得を切ってから、一度ひとたびむせた。


「――ご明察の通りフジ=ルネッサンスはガラム商会のフロント企業で、十四年前の設立当初から薬物売買に深く携わっていた。 シノギの人材派遣を隠れ蓑にしてあちこちにシンジケートを蔓延らせ、一部の営業ルートは現在も機能していると思われる。 主に実売には手を出さない棚問屋で、ずいぶん稼いでいたようだ」


 映写された資料に向かい、観客であるシキシマもまた熱弁を振るう。

「出入りが多く、社員のほとんどが互いの素顔も知らない人材派遣ともなれば、外部からの追跡可能性は下がります。 巧く取締機関の裏を突いたものですね」

 

「今日のマトリは、どこも詰まるところ保険会社の一部門でしかない。 しがない個人事業主ならまだしも、企業ぐるみの犯罪に調査摘発ともなると、向こうはオレたち以上に及び腰になる」

「どれほどの経験と情報網があれど、不確かな情報だけでおいそれと他社の台所にまで手を伸ばすことは予断捜査と見なされる――というわけですか」

「だからいつも共食いになるんだ、物証の上がりやすい小物ばかり狙うからな」


 マイゼンの太い指先に赤点が灯り、動きに合わせて次の資料が映写される。

「次にこの男だ」

 資料室の壁面に容疑者の証明写真が映し出される。漫然とした指揮でも、赤点はマイゼンの太い指先を完璧にフォローする。


 容疑者、の第一印象は、典型的なくたびれただ。


「八年前、海路を乗り継いで密入した男だ。 この経歴は逮捕当時のモノだが、直後に始まった民営化のドサクサに紛れて赤の他人にすり替わっていた。 いつから始めたのかは不明だが、やがて薬物に手を染めてた。 当初は中継卸売り、活動はワイヤードのみで誰とも会わず、マトリすら見逃すような末端売人で通っていた」

 マイゼンは合間に冷めた珈琲をすする。

「が、七年前に転機が訪れた。 棚問屋だったフジ社が、当時新興勢力だった仲南会との価格競争に敗れて大赤字を扱いたとき、話を聞きつけた比仲が颯爽と現れた。 そして赤字の大部分を解消し、かつ新規顧客も獲得できた」

「あらすごい」

「なぜできたと思う?」

 シキシマは目を細め、しばし無言を貫く。マイゼンが次の資料を映写させる。


 資料を目にした途端、シキシマは眉間に皺をよせて大きく溜め息を吐いた。

「クズだが頭は回る。滋養強壮って意味じゃ、ある意味正しい使い方かもな」


 フジ社の検診で使用された注射器からは、覚醒剤が検出された。担当医はその翌月、新聞の一面に死体なって大々的なメディアデビューを果たしたが、当時のメディアは事件を担当医の仕業にでっち上げ、検診を受けた者たちのその後については一切触れていない。


 この記事を書いた記者が、かのヘンリー・ウィンターマンである。


「獲得した新規が社内の人間じゃ、もはや企業じゃなくてネズミ講ですね」

 言い得て妙だが、確かに中たっている。マイゼンはそう零した。


「知らぬ間に投薬された輩も多かろう――設立当時から続いてる経営陣はとにかく、残りの引き抜き幹部連中は事情に疎い。 派遣っては、往々にして横の繋がりが形成しづらい。 あちこち飛ばしていれば情報共有は皆無だ。 登録者をうまく飛ばせば、疲弊して労監や弁連への告発も減らせる」


「在庫処分と隠蔽を条件に、晴れて一般企業へ裏口入社ですか」

 とんだヘッドハンティングですこと、と呟くシキシマ。

 夢のキャリアアップですな、といってマイゼンは愉しそうに嘯いた。


「比仲は、表向きの営業マンとしても優秀だったらしい。 顧客にはお抱えだった社長の他、通常取引先の人間もいる。 には、表と裏の双方からかけていたようだな」

というのでは?」

 まあな、と意地悪そうに嗤って応えた。


「今、ブンタが聴取している運転手――確かドミニカと言ったか? 奴っこさんの話によれば、普段の比仲は表面上おとなしく見せかけているが、実際はかなりのアル中で、酒が入るとそりゃぁ酷い有様だったそうだ。 ドミニカとは同じ治療外来で知り合うと、退院後よく呑みに誘われるようになり、なんと新しい職場まで用意して貰った――が」

「ツケが貯まってゆくうちに、徐々に本性現して、というやつですか」

「養育費と慰謝料で首が回らなかったドミニカは、まるで逆らえなかったそうだ。 都合が悪いことになれば侠客ヤクザで脅す、それでも駄目な奴には薬で黙らせる。 似たような手法で比仲は手駒を増やした。 着々と裏事業は、誰にもバレないまま成長した。 やがて比仲の態度は年々横柄になり、社内でもまるで王様気取りだったらしい――だが」

「度が過ぎて、お上からの罰が下った」

 シキシマは、ほぼ無感動に言い当てた。

 マイゼンの指揮に併せ、フジ社内部の最後通告が映写される。


「日付は去年のものだ。 懲戒処分をチラつかされてからは流石に反省したのか、事業はあのチリチリ頭のような外注スタッフに回し、それからは目立つような真似もせず、ガラムの大意に従っておとなしくやってた――」

 次にヘンリーの記事。

「だが、どういうわけか、今年に入ってからタガが外れた。 毎日のように酒池肉林の乱痴気騒ぎに身を投じて、あっちで乱闘こっちで暴行、手打ちにできるネタも尽きて、ついにはトップ直々に懲戒免職が下った――その翌日」


 三面記事の引用が壁面のスクリーンに映写される。枠自体が小さい、S-O-Wではごくありふれた記事。気を付けなければ見落とすような交通事故。

「当の社長が西区で跳ねられた」


 どうだい、と言わんばかりにマイゼンは手を広げた。

「遺体を回収した民警はカズペック・オパール。 一昨日から銃器の摘発でてんてこ舞いでな、身元が判明したのは今日の昼間、俺たちがドミニカの花火始末に明け暮れてた時だ――経費で資料を買ったら、該当車が出た。 あの二段バスの後輪だ」


 一息吐いて、シキシマは訊ねた。

「――これでホンを書くとして、事態そのものがフジ社の内部問題にすり替えられて終わる可能性は?」

 覆水盆に返らずだ、とマイゼン。

「派遣が薬のフロント企業、そこに集団武装テロだ。 どれだけメディアに箝口令が敷かれても、文屋にこの条件はいい素材ネタになる。 本家のガラムは向かい風、労監も含めて便乗したがる輩も多かろう――最も、慣例通り一番深い闇の部分は、元の闇に孵されるだろうがな」

 マイゼンの小さな瞳が一瞬だけ光った。その時シキシマは、一瞬だけ息を呑んだ。

「では比仲の安否は――」

 フジ自身がカタを着けるのさ。マイゼンはそう呟いた。


「怖いオジサンたちから買った玩具で火遊びに興じた連中は、薬の段階ですでに詰みだ――背水の陣で見境なしになし――オレも獲物ヒナカが無傷で手に入るとは思っちゃ居ないよ」

 一瞬だけ、場の空気が凍り付く。

「新居田くんが下手を踏むと?」

「――やるのは奴じゃない、宝船だ。 比仲はがつく方に、舞台上から転がり落ちるだけさ。 の都合でな」

 悪い刑事ね、とシキシマ。


 悪い刑事。その言葉を聞いて、マイゼンは少し思うことがあった。

 マイゼンは、悪党の気持ちなど理解したくない人種だ。だが、悪党の考えを理解しなければ、悪党を捕まえることなど出来はしない。だからマイゼンは、自ら悪党と同じやり方で事を進めている。

 影に隠れて自らの手を汚さず常に立場を維持し、報酬と責任とリスクを分散させながら破滅からは遠ざかり、情報を取捨選択して操作し、情勢を味方に付けることで勝手に動く駒を増やす。


 そのやり方を最初に教えてくれたは、二度とマイゼンの隣に立ちはしないのに。


「構いやしない――オレが欲しいのは観客の注目スキャンダルだ」


 マイゼンは鼻を鳴らし、鞄からもう一枚のディスケットを取り出した。

「コイツは、ヘンリーの自宅サーバーから回収した名簿だ。 他には比仲が社長へのカウンターとして留保していた、薬物売買に関する内部告発資料が収められている。 ドミニカとチリチリを預かってるあいだ、この資料の整合性を立証できるのは、俺たちだけだ」

 ディスケットを持つ指へ、無意識のうちに熱と力がこもる。


「――もみ消される前にかき集めれば、今が駄目でも後でこっちに勝算ができる」

 シキシマはそう言ってフロッピーを受け取ると、すぐにデスクへ向かった。マイゼンはその華奢で肉薄な肩を見つめながら、その通りよと応えた。


「悪党どもが他社民警に癒着と忖度の仕方を教育してるあいだ、俺たちが影で筋書きを書き換えてやればいい。 わかりやすい糸口が見えて、怯えた市民が株主を追い立てれば、小粋俺たちでなくても各社動かざる得なくなるそうすれば――」

「――合同起訴も捜査企画も仕上げられる?」

 シキシマの切れ目がマイゼンを射貫いた。先を言い当てられて、マイゼンは豆鉄砲を食らった鳩の如く呆然とした。

「長丁場はお体障りますわよ先生、先月血圧で引っかかったばかりでしょう」


 熱の上がるマイゼンを諌めると、シキシマはもっと引いた目線で話を広げた。

「――ガラムと中南会、二大大手が一斉に薬物から身を退き、捜査側に協力して市場に混乱を招いたのが半年前。 然る情報筋では、制御不能な末端売人の炙り出しに我々民警を宛がい、メンツとポイントを稼させて恩を着せるのが目的だともっぱらの噂ですが、実際のところどうなんでしょうか」

 マイゼンは、カップの底を見つめながら、持論を述べた。

「狼はどんなに手懐けても森ばかり見てる――かつての捜査機関は皆、市場原理とやらに従って恣意的にしか動けないし、保険屋に転職したマトリ連中も、今じゃ仲南会の傀儡だ。 それに俺たちのような捜査課出身じゃ、もとより良くて三下が限界――恩を着せて貰うどころか、倉庫代がかさんで余計にリスクが増える」

 一旦息を吐くと、マイゼンはやや憂鬱そうに呟いた。

「むしろ最初からそうやって、気に入らない民警を淘汰する算段だろうな」


 濃い茶色の苦水をすするマイゼンに、シキシマが問いかける。

「どの道冷や飯を食わされるぐらいなら、商談の機を無視してもいいと?」

 談合なんぞクソ食らえ、とマイゼンは笑い飛ばした。

「だから、直接何の得もしない分、俺たちの方がずっと真っ当に取り組めるのさ」 

 シキシマは、いつ煎れてきたのか熱い珈琲を差し出した。呆気にとられたマイゼンがカップを受け取ると、ご指摘なさったとおり、と切り出す。


「昨今の民警の動きは、内部から見ても目に余るものがあります。岩舞さんのような考えをなさる方は、決して少なくないはず――ですが他社にも他社のしがらみが有る以上そう簡単に賛同者が集まるとは思えません――この企画、後々発案者ご本人のお力添えも必要になりますが、構いませんね?」


 マイゼンは熱湯同然の珈琲をものともせず、一口で飲み干した。

「ドサ回り付き合えってか? いいぜ、交通費自費でやってやるよ」

「あら以外、泥臭い仕事はお嫌いだとばかり」

 辛辣な皮肉にも、マイゼンは鼻で笑って返す。


「あのクソ面白くもねえ――偉そうなだけの総会屋共を追い出して、昔みてぇに警察官が真っ当に仕事ができるようになるなら、俺ァ幾らでも道化にもなってやるさ」

 岩舞善治郎はそう啖呵切った。


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