【10 入城】

 真龍城の一角に、わかばとマイゼンの目的地がある。


 二人はロビーの電光表札を一瞥し、該当者の在宅表示を確認した。先行するマイゼンの後を追って無人のエントランスホールを抜け、わかばは魔境のお口へと向かう。灰色の住宅街の中は、想像通り華僑を中心とした人種の坩堝で、その大半が民警のマイゼンを注視する。


 明らかに、警戒されていた。


「城ってのは――そもそもは城壁を指す字だったらしい」

 マイゼンは、唐突に話を切り出した。

「城壁ってのは――普通は、防衛のためにこさえるんだろうって考える。 だが、実際は国外逃亡や人材流出への備えだったそうだ。 古今東西の都市には、重税や徴兵から逃げようとする奴は常にいた。 かの有名な万里の長城も、どうやら監視施設としての役割の方が重要だったらしい――まあ、苛政は虎より猛しって諺もある位だ」

 語り終えると同時に、刑事は皮肉交じりの笑顔を見せた。

「そうなると、って言葉は、まるで牢獄や監獄を指す言葉にも思えませんか?」


常にどこからか降り注ぐ刺さるような視線に堪えたのか、首筋には一筋の汗が浮き出ている。かび臭いエレベーターに入ると、マイゼンは自分の端末をチガに接続し、階数を入力する。

 バス事件以来わかばの端末が動かない。よって認証の類いは、全てマイゼンが解除しなければならない。

 これではまるで、わかばが犯罪者のようだ。


 真鍮製の柵が開くと、仄かなオゾン臭が二人を迎えた。配線とダクトが、葛藤のように絡み合いながら壁一面を覆う。カラフルな蛍光塗料で描かれたスプレーアートだらけの壁面には【Smoke On the Water】と一際大きく描かれている。丁寧に工夫を凝らしているが、なぜそんなところに描かれているのか、わかばにはまだ理解できずにいた。


 遅れるなよ、と呟いてマイゼンが先に歩を進めた。

 真龍城の最上階は、上下とも下層階の倍はありそうな間取りの部屋がほとんどで、間口はあり得ないほど広かった。奥へと進み、【Al Capone】と表札の出た部屋を前にする。ドアの鍵は、非常識なまでに増設されている。


 いかにもアラベスクな飾り文字を追うと、マイゼンは物憂げに息を吐いて立ち止まる。どこか緊張しているかのようにも見え、つい先刻まで、得意げに嘯いていたのが嘘のようだ。わかばが一歩後ろでやきもきしながら待っていると、マイゼンはついに心を決め、きっと前を見据え、インターホンも押さずにドアを直接ノックして、シンセイ以上に好く通る声で言い放った。


「マルボロ、いるか?」


 返事はなかった。

 数十秒無言が続き、次はインターホンを押してから言った。


「マルコ・ボレロ、いるのか?」


 またも返事はなかった。


っ! 返事ぐらい――」


 マイゼンの怒気混じる声を妨げるように、いくつも増設された錠前が続けざまにけたたましい音を立てて解錠する。勢いよく開いたドアがマイゼンは顎を打つと、弾かれて対面するもの、即ち家主の鼻頭をも打ち、再びマイゼンにも襲いかかる。


痛ってぇAi――」

「たぁ――何だよ、このバカみたいな扉」


 型も銘も違う六つの錠前を従えて、ドアは両者のあいだを漂った。マイゼンの巨躯に隠れた影から、苦悶の声が聞こえる。恐る恐るわかばが顔を覗かせると、暗闇の中にギラリと碧い瞳が浮かびあがった。


「――このクソポリ公」

 わかばは、家主の姿に息を呑んだ。


 容姿は、のものでもないが、完全なでもない。しかし中性的、と呼ぶにはあまりにもどぎつい。ドラァグクィーンのような姿が目を引いた。

 刑事が言葉を濁した訳が、今理解できた。


 マイゼンは、何から口に出せばよいか分からないと言った風に黙り込み、わかばもその場に釘付けになった。しばし沈黙の後、ルージュに染まった当事者の肉厚な唇がようやく開き、厳しい言葉を投げかけた。


「遅かったわね」

「悪かったよ」

 色々詰まった末のマイゼンの返答がこれだった。

 部外者のわかばを蚊帳の外に、家主の言葉は滝のように流れ出す。


「はあ? それだけ? まあ、反省するだけ進歩したわよね。それとも何? 人待たせられるほど出世したって言いたいの? 今さら民警風情がそんなデカイ面しても――いえ、元々面デカかったわね、ゴメンナサイ、謝るわ」


 長身で、細身で、無駄のない引き締まった身体つき。背はわかばよりも頭二つほど高い。肌は透けるように白く、驚くほどきめ細かい。明らかに作り物の長いブロンドはサイケデリックに煌めき、そのくせ目立ったダメージが見当たらず、艶やかな光沢を輝き放つ。目鼻立ちは証明写真の頃よりも美事に整っており、より鋭さを増している。深い堀りの奥から輝く碧眼は、カラコンだと一発で気がついた。


 女装したアンディ・ウォーホルやイヴ・サン=ローラン、ヘルムート・バーガーの姿が、脳裏に浮かび上がる。気骨と気品に満ちた眼差しは、その人物の生き様を余すことなく語っている。

 男女を超越してしまった者アンドロギユノスだけが持つ、どこか神秘的な、見る者全てを黙らせる力、美醜という概念すら超克してしまったなにかが、偽の碧眼にみなぎっていた。


 変貌してしまったであろう旧友の姿を見て、ただ黙するマイゼン。それでもマルボロは容赦なく、次々と艶めいた声色と言葉を浴びせ続けた。


「それよか前より男前ね、少し痩せた?」

 挑発するように、偽物の碧眼は嗤った。マイゼンが果敢にも応戦する。


「やつれたのさ。存じ上げるとおり、出世できたからといって仕事が楽になる訳じゃない。お前だって、部下の教育には苦労したんじゃないのか?」

「お生憎様、ウチの子は優秀なの――存じ上げるとおりね」

 しっかりとした顎と肉厚な唇が、煽るように艶容にうごめく。


 ふと、マルボロはまるで今し方気付いたように、巨躯の陰に隠れていたわかばを発見して、すぐさま満面の笑みで迫ってくる。


「まぁ、なんてかわいい子! 女の子じゃなかったら食べちゃうところだったわ! お名前なんて言うのかしら? あ、コイツから聞いてたわぁ。 ごめんねぇ、こんな、むさいオッサンと二人きりなんて怖かったでしょぉー? 痛いとこなーい? 変なことされなかった? んもーぅ、いやだわ、アタシはないんですもの、そんな怖がらないでよぉ!」


 途端に口調のトーンが上がった。硬直したわかばを無視して勝手に話を進める家主が手を取ろうとすり寄ってきたとき、マイゼンが睨みを効かせて牽制する。岩のような堅い掌がマルボロの掌をはらい、わかばの華奢な腕を強く掴んだ。

「約束通り連れてきたぜ、さんよ」

 億万長者。

 岩男が吐き捨てるようにそう唱えると、マルボロは静かに応えた。

「脅してるつもりなら、今すぐ考え改めなさい」

 光の加減のせいか、瞳は妖艶に輝いて見えた。


「ヨタカにヤクザに高利貸し。チンピラ、闇医者、用心棒、そしてセーフハウスのお留守番。この真龍城には、ポリ公に恨み持った奴がごまんといる――袋詰めで引き揚げられたくなかったら、尻尾巻いてさっさと帰ることを推奨するわ」


 なおもマイゼンは挑発し返した。


「そいつァいいね、俺が土左衛門扮して鑑識送りになるのを我慢すれば、晴れて真龍城ここの捜査令状が出せる――念願叶ったりだ」


「見つかればの話ね、ここ失踪事件も珍しくないから、今夜は帰れないかもよ?」

「おいおい、無事に連れてきたら、駄賃込みで帰してくれる約束じゃないのか?」

「だったらその娘引き渡してよ、アンタの顔が怖くて萎縮してるじゃない?」

「お前の厚化粧に怯えてるんだよ」


 減らず口の応酬が、わかばの頭二つ上で繰り返される。つい先刻、憐憫の情を分けてくれていたはずの辣腕刑事が、マルボロにつられてみるみるうちに悪人面に変化してゆく。


 魔女という語彙が浮かんだ。


 瞬間、わかばは勇気を振り絞ってマイゼンの手を振りほどき、一足早く部屋に足を踏み込む。ここでまた立ち止まっては、元の木阿弥だ。

 しかし、早々にわかばは膝を折った。



「くっさぁ――」



 ゴミの堆積と、それらを覆い隠さんとする消臭剤、芳香剤が複雑怪奇に混濁した臭い。この世の産物とは思えない異臭フレグランスに当てられて、若干意識が朦朧とする。

 魔女の森で呪いに苦しむわかばを見て、マイゼンは力なく呟いた。


「なあ、ホント汚いぞ、今のお前」

 ふり向くと、至極真剣な眼差しで魔女と岩男が相対する。

「アンタんトコだって似たようなもんでしょう――おたがい言いっこは御法度よ」

「確かに、今さら身綺麗になれと言われても限度がある。だがお前は――」

 刑事が愚痴るように小さくそう呟くと、魔女も短くうなずいてから、言う。


「いい教えてあげましょうか? 匂いも跡も残らない。 真龍城このへんには、いっぱいあるわよ」

 マイゼンは黙す。そして消えそうなほどかすかな声で、自分のケツは自分で拭く、とだけ言い捨てて踝を返した。


 勝手にやってなさいと吐き捨て、マルボロがドアに手をかけた瞬間、わかばはとっさに振り返り、待ってとマイゼンを呼び止めた。

「岩舞さん!」 

 別れは突然にやってくる。経験上、再会できた覚えはない。

 わかばは、必死に声を張り上げた。


「新居田さんや、他の皆さんにも、そうですけど」

 真龍城、刺さる視線のど真ん中、仕方無さそうにマイゼンが立ち留まった。

 たぶん、これが本当の最後かもしれない。

「短い間ですが、ありがとうございました」

 できる限り好く通る声で、わかばはマイゼンに別れを告げた。ざん切り頭を掻き毟りながら、達者でな、とマイゼンはそれだけ告げた。


 何故だかすこし嬉しく、そして途方もなく寂しくなった。


「駄賃は後払いよ! 今日いっぱいは回線開けときなさい!」

 灰色の城を闊歩する真っ黒な背広に向かって、マルボロが叫ぶ。再びドアは閉じ、増設された六つの錠前がけたたましい音を上げて施錠されてゆく。

 

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