【02 魔窟】

 ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇


 夜明け前が一番昏いのはなぜなんだろう。

 その昔、誰かから理屈を聞いた気もする。


 だが、今は忙しくて思い出せない。

 思い返すことさえ出来ない。


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 エレベーターが目的の階に止まり、真鍮製の柵が開く。女はコンソールに接続した端末を一瞥し、まだ事務所に人が残ってないか確認する。表向きは、家主しかいないことになっていた。

 念のため、手元の1911A1ガバメントを確認する。動作に異常はないが、弾の数は心許ない。護身用のスタンスティックを地下層で廃棄したのは間違いだっただろうか。だがチガやコンセントがなければ使えない電装品など、いたずらに荷物を増やすだけだ。

 流石にこれ以上残業をする余力はない。女は覚悟を決めた。


 柵を出てから数歩進むと、太さも長さも多様な配管が廊下の壁一面を埋め尽くす。カラフルな蛍光塗料で施されたスプレーアートが妖しい光を放つ。中でもひときわ太いダクトには、【Smoke On the Water】と書かれている。


 それが血痕を誤魔化すためのものだと知ったのは、つい最近だ。


 女は薄汚れた作業着のファスナーを胸元まで開け、内ポケットから拡張機器とカードを一枚取り出す。さらに窮屈だった胸元を解放すると、チョコレート色の肌に冷たい夜風が吹き付けて、汗まみれの素肌をさらった。

 女は歩きながらマスクを外し、深呼吸をした。

 

 やはり地上の空気は美味い。


 地下層の濃密な空気にはない、自然な軽やかさが肺を満たす。仕事上がりに浴びる夜風は、なんといっても心地いい。

 だがそれも、還元酸素の副産物である微量なオゾン臭で台無しとなった。粗悪品になるほど純率が高く、密室で吸えば気付かぬ間に酸素中毒を起こす。未だほどききれない警戒心は、まだここの生活に慣れきっていない証左だ。


 女は【Al Capone】と書かれた表札の前で立ち止まる。キーナンバーを打ち込み、複合レーンに決められた順番でカードを数回リードし、複雑に絡み合った六連鍵を開錠する。


「ここで罠とか、止してくれよ」

 扉は無事に開いた。

 代わりに、男たちの汗と芳香剤、鼻腔の奥を衝くような薬の匂いが漂った。


 ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇


畜生Zut

 女は呆れた。唾を吐き捨てた。

 こんな夜中だというのに、また客を呼んだのか。性懲りも無く、飽きもせず。

 日頃から当人が口にする警戒心とは何のことだ。女は無限に毒を吐けるような心持ちだった。


 器用に後ろ手で戸を閉め、扉にストッパーを噛ませ、念のため鍵は開けたままにした。行きずりの男たちとの鹿も嫌いでは無いが、巻き込まれるのは御免だ。足下のバカでかいピンヒールも気にせず踏みつけてぐんぐんと奥の部屋へ進む。開けた胸元に手を伸ばし、心許ない仕事道具を取り出し、安全装置を解除する。

 壁を背に忍び足で移動し、リビングへ踏み入る。意を決して暗闇に踏み入ると、特段異質な気配はないが目の前には凄惨な光景が広がっていた。

畜生Zut!」

 そう叫んで女は、手にした仕事道具をホルダーに戻す。直後、天井のセンサーが動作を感知し、淡い自動灯が点く。薄明かりの中で目の当たりにしたのは、ソファに放り出された家主の。その周囲には行為の残骸となった汚れた衣類が散らばり、ことの壮絶さを告げる。やがてエアコンとサキュレーターが作動、汗と強烈な芳香剤の香りが撹拌される。


 女は溜め息を一つ吐いて、皮肉交じりに嘯いた。

愛の最前線アヴァンギヤルドってか、激戦だったようだな?」


 返ってくる言葉はない。はだけたシャツから見える家主の胸板はゆっくりとわずかに上下し、口元からはかすかな寝息が聞こえる。自分の労を考えると腹が立たしく感じたため、女は軽くソファを蹴りつけた。


「おはよう、ボス」


 家主は起きない。かわって二、三度指をはじくと、今度は音感センサーが反応し照明が起床灯から薄暗い映写モードに切り替わる。

「おはよう、ボス」

 続けざま別方向に指を弾き、天井の映写機を起動させる。やかましい光点が室内で縦横無尽に交錯する。


「オイ、起きろよ、朝の仕事溜まってんぞ」


 壁一面に投影される情報の数々。メール一覧、スケジュール表、なんだかよくわからない株価のレートグラフ。天井センサーから投影される赤点ポインターが、女の長い指先を追いかけ、キビキビとした動きに合わせて名簿がスクロールされる。

 女は顧客名簿の一欄に、見慣れない日系人の名前を見つけた。

「ア、シャー――イ? なあ、これどう読むんだ?」

 振り返れども、家主は寝返りを打つだけ。ああとかうんとか、艶っぽく嬌声を漏らしては夢の中でも懇ろにふける。


 我慢の限界だった。

 女は家主のだらしなく露わにされた尻を思いきり蹴った。


Ai痛っあ!」

 ご機嫌よう、眠り姫。

 続けて女は嘯く。

「キス代わりにしちゃ、ちとキツかったかな?」


 恨めしそうな表情のまま家主は上体を起こしたが、バランスが取れず無様にソファから転げ落ちる。痛みに耐えながら片膝を立てるが、油まみれのゴミ袋を踏み抜いては再び倒れる。何度か大声を立てた挙げ句に、観念したのか仰向けになった。


「あはは、おかしい、頭痛いわ――水持ってきてよ」

「アル中が、まじめに仕事する気あんのかよ?」


 呆れつつも女は手を差しのべた。家主は一つ笑みを浮かべ、一回り大きな白い掌で褐色の掌を強く握り、体重を掛けて立ち上がる。共倒れにならないように踏ん張りながら、女は強く握り返した。

「ただいま、ボス」

Bentornatoおかえり mioワタシの fedele caneかわいいワンちやん.」

 手の甲に血管が浮き出たところで、両者は握手を解く。

 それが二人の親愛の証しおきまりだった。


 ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇


 空かさず家主が口を開く。

「それで、お仕事はどう? 手筈通りに進んだかしら?」 

 おかげさまでな、と短く答え、女は相手を見据えた。家主はSiそうと短くうなずいて、そのまま寝汗まみれのワイシャツを脱ぎ捨て、全くの裸になった。


 細身だが、身長は女よりも頭一つ高い。容姿も相まって、ただ立っているだけでも威圧感を与える。相手を惑わすには十分な要素が、生まれながらに備わっている。

 女はあえて強く出た。


「そっちは一晩中お楽しみのご様子だったな?」

 そうでもないわ、と家主は吐き捨てる。

「アイツ口ばっかり、ツッコんだら後は乱暴なだけ、やんなるわ」

「あー、わかるわそれExactement、萎えるよな」

「それより、ワイヤード越しに覗いてはいたけど、実際現場どうだった?」

 上々さ、と意気揚々に応える。


「ブローカー共の溜まり場は、アンタの予想通り西区の旧再開発地域、それも地下だ。上層の工期満了をもって、予定通り来月末には第三層に沈められる」

「お馬鹿な連中ねぇ。カズペックの点数稼ぎには持ってこいだけれど」

「たんまり溜め込んでやがったよ。あそこは出るまでが苦労する分、撒くには手堅くていいね、おかげで嗅ぎつけてきた連中もまんまと――」

 家主はSiSiはいはいと軽く呟くと、女には目もくれずあたりを徘徊し始めた。会話より着る物の方が重要らしい。女はなんとか苛立ちをこらえながら、改めて問い質した。


「肝心の価格操作の方はどうだったんだ、ボス?」

 可もなく不可もなくね、と家主はぶっきらぼうに言い捨てる。

「下限値の二歩手前辺りで留めたわ。まー大暴落には繋がらないでしょうけど、当面はね。アイツもコイツもみんな遠慮しなくなるから、これからが稼ぎ時よ」

 実に打算的で、まるで感情のこもらない言葉使い。女は天を仰ぎ、一つ嘯いた。

「今週末のS-O-Wは曇りのち鉛玉の雨あられ、所により激しい銃撃戦が起こるでしょう、てか?」


 手ごろな衣類を漁りつつ、家主は律儀に応えた。

「そこまでバカじゃないわよ。最も手放したい一心でクソ三下の売人に捌いてる奴らもいるでしょうけど――ドラム付けたタイプが最安値かしらね、かさばるから」

 トンプソンかと訊ねると家主は短く相槌を打つ。しばらく間を開けてから、女は一転、嬉々として名簿をスクロールして家主を捲し立てる。


「で、次の仕事は?」


「スクリーン勝手に動かさないでって、いつも言ってるでしょ?」

 家主の至極不期限そうな口ぶりに、女は重ねて煽る。

「誰なんだよ、そんで額は? 来たんだろ、久々の本業が」

「――売り子pusherよ」

 女の至極不満そうな表情に、金は持ってるからと家主は付け足す。


「もっとも、借金と横領が元で今はスポンサーの日系ヤクザに追われてる。凍結されなかった残り口座から有り金全部寄越すって言ってるわ――受けてもいいけど、偽装口座やセーフハウスの手間は掛かるし、コスト考えると先月の穴埋めには今一歩だから、まだ悩んでる最中なんだけどねェー」


「日系か? なら飛び道具は出てこないよな」

「どうでしょう? 昨日誰かさんのおかげで価格が下落したから」

「そうだな、スリケンに気を付けるよ」

「目視で避けられたらアンタ、アークロイヤルのSPに転職できるわよ」

 そりゃ違いねえ、とワザとらしく笑う。家主も応じて、不自然な歓声が室内にあふれた。女は頃合いを見図り、懐からカードを取り出し、間髪入れずポーカーフェイスで要求を提示する。


「一つ特定された、予備が欲しい」

マジでVeramente?」


 ヒット。

 女は内心ほくそ笑んだ。火急不測の事態を装うと、目上への強請は成功しやすい。

 誰かさんから学んだやり方。


「どうも前から張ってみたいでさ、最後の最後で嗅ぎつけられちまってね。連絡入れたんだが、生憎アンタ、懇ろ中でね」

「何その言い方」

「後半は死に物狂いで市内一周さ、おかげで使の寝顔を拝むことができたよ」


 家主は至極鬱陶しそうに一息吐くと、足早に奥の電算室から真新しいカードを持って現れ、手裏剣スリケンのように投げ渡した。女が空中でカードを掴むと、家主が釘を刺す。

「今後は身の振り方に注意なさい。コレ作るの、今大変なんだから」

「感謝してるぜ、ボス」

 女は短くそう告げて、早々にバスルームへ向かう。


 ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇


 作業着のポケットからナイロン糸を取り出し、カードを括る。ノブを利用してカードを内側のリーダーに挟み、静かに扉を閉じる。ノブから伝わるオートロックの感触。糸を引き、リーダーへカードを通すと、開錠はされるがランプの色は施錠を意味する赤のまま。


「相変わらず、いい仕事してるぜ」

 カードをドアの隙間からたぐり、女は小さく呟く。

 メーカーが意図的に残したセキュリティホールを直接活用できるこの魔法のピッキングカードがなければ、認証ゲートだらけの地上世界を秘密裏に渡り歩くことなど容易ではない。女は改めて入室し、内鍵を掛けた。


 鼻歌交じりに三面鏡の前に立つと、女はインナーごと作業着を脱ぎ捨てる。部屋中に散らばる医薬品から、必要なモノを漁り始める。腿や腕にベルトで締めた各種装備を外しながらショーツに手を掛けたとき、電子音を立てて扉が再び解錠。

 ドアの前には、したり顔の家主が仁王立ちになって待ち構えていた。

「玄関の鍵、ちゃんと閉めてっていつも言ってるでしょう?」


 家主は見せびらかすように手元でカードを弄ぶ。女は耳まで真っ赤にしながら、沸き立つ怒りを喉元でこらえ、長い縮れ髪を掻きむしりながら悪態を吐く。

「なあ、だからって、風呂場を勝手に覗いてもいい理由にはならないだろ?」

 家主は一瞬驚き、そして大笑いした。

「ああ、ごもっとも。確かに私、はないわ」

 勝ち誇ったように嘯くと、家主小躍りでリビングへ戻った。無意味だと分かっていても、確実に鍵を施錠した。洗面台に山と積まれた化粧品の中へ、無造作に手を突っ込む。使い慣れた抗傷スプレーを探しながら、女はこらえきれない苛立ちを堪える術を求めた。


畜生Zut!」

 結局、悪態しか出てこなかった。

 汚泥と返り血で汚れた褐色の素肌。昨晩全身にこしらえた数々の勲章を確認する。銃弾こそは受けなかったものの、各地奔走した際に作った外傷と痣が体中のあちこちに散らばっている。

 昼夜で気圧環境に差ができると、左膝の古傷がイリイリと疼く。


 厚い唇を噛みしめ、女は三面鏡に映った無力な誰かさんを見て呟いた。

「アタシは、アタシなりの筋を通す――今度こそ」


 ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇


 夜明け前が一番昏いのはなぜなんだろう。

 その昔、誰かから理屈を聞いた気もする。

 だが、今は忙しくて思い出せない。

 思い返すことすら出来ない。


 ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇ ◇――――◇

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