未来都市:S-O-W

時茄雨子(しぐなれす)

湖上都市:S-O-W

【01 追憶】

 ◇――――◇――――◇


 都市そこは、どんなところなの。


  幼き日、織部わかばは二人に訊ねた。

――とてもすばらしいところさ なにせ、誰も帰って来ないのだから――

  叔父は、一度不器用にはにかむと伏せ目がちにそう答えた。


  それからシスターに、同じことを訊ねた。

――とてもおそろしいところよ なにせ、誰も帰って来れないのだから――

  シスターは、苦し紛れの笑みを浮かべてそう応えた。


 ◇――――◇――――◇


 以来、食事時にあれこれと思い悩む癖がついた。

 誰も帰ってこないのに、どうしてそれが分かるのか。

 どうして二人は識っているのか。


 夕食のたび、思い出しては繰り返し問いただすと、二人は決まって同じように返すだけだった。それからはあれこれと考えるようになった。自分でも調べて、よく考えるようになった。

 そうやって考える内に、食べるのが遅くなった。そうやって織部わかばの不安症は形成されたように思える。


「――やめよう、今さらそんな自己分析」

 これから何かESに書き加えたところで、過去は変わらない。採否通知はひっくり返らない。わかばはそう自分に言い聞かせると、最低限の咀嚼で半生の白身魚を嚥下した。

 あたりが明るくなり、背後からシスターの声がした。

「まだ食べてるの? もう遅いんだから、いい加減寝なさい」

 わかばは、ワイヤード・ネット端末の通知画面を注視しながら、振り向きもせず力なく〝うん〟と返した。声にもなっていなかったかもしれない。冷凍ムニエルはまだ半分ほど残っている。どれほど年月を重ねても、習慣として根付いてしまった癖はなかなか抜けない。考えれば考えるほど、咀嚼と嚥下は億劫になり、食べる速度はさらに低下する。


 シスターは羽織っていた藤色のカーディガンをわかばの肩に掛け、優しく諭した。

「また次、頑張ればいいじゃない」

 三ダース目を迎えた不採用通知を見つめながら、わかばは〝そうかなぁ〟とか細く呟いた。

「そうよ。いずれ、神様が道を用意してくださるわ」

 虚空を見つめ、わかばは重いため息と供に〝そうかなぁ〟と繰り返した。やや呆れながらシスターは食事時まで端末を手放せないわかばを軽く咎めて、キッチンを後にして〝おやすみ〟とそう告げた。

「おやすみ、シスター」

 わかばは返すときですら、端末が手放せなかった。


  ◇――――◇――――◇


 ワイヤード上で短大相当教育課程カリキユラムを修了したその日、わかばはシスターに本心を告げた。つい先月のことだ。街の大人たちからは不評を買うだろうと予想したが、長年支えてくれたシスターなら、隠さずに本心を打ち明けることができるとわかばは信じていた。


――都市SOWに出て、オルガニストになりたい――

 一瞬だけ、シスターは戸惑いの表情を見せた。だが、すぐにあの優しい笑顔で応じてくれた。

――あなたのしたいことだもの、あなたの自由にするべきだわ――

 シスターは快くわかばの望みを聞き入れた。涙が出るほど嬉しかった。


 だが、わかばの生活はその日から一転した。

 大人たちとの居心地の悪い留意面談が始まった。


――どうして電算機技師オルガニストなんだ――

――電算補助士タイピストの仕事ならまだいくらかあるのに――

――行ったら最後、二度と街には戻れないんだぞ――


 ある者は、親切のつもりで孤児院に押しかけ、端末片手に様々なデータで都市の暗部を捲し立てた。ある者は、犯罪発生率の上昇率や就労支援額、生活保護受給額の減少傾向、その他様々なゴシップサイトから、ありとあらゆる言葉を借りてS-O-Wの存在を罵った。ある者は、口汚くを語りだそうとして、シスターに遮られた。

 街一番の電脳少女は、どんな意見にも一切妥協しなかった。この平凡な人生が、どれほど大切で尊いものか諭されても、納得なんてできなかった。


 大人たちもめげずに熱弁した。わかばはそれを全て無表情に聞き流した。

 見え透いたマッチングテストの結果に合わせ、ほどほどの職をもらい、お見合いを待つ。結婚して、子供を産み、育て、与えられた役割をこなす。たくさん我慢して、地域からの信用値クレジットを稼ぐ。それに慣れれば人生は保証され、愛想笑いの数だけ人は愛してくれる。

――死んでも御免だ――

 わかばは、心の底からそう感じた。

 街の人たちは大好きだ。だが、このまま貰われるのを待つだけの日々など、納得はできなかった。自分が特別な存在なんて奢った考えは露ほども思わないが、自分の可能性を頭ごなしに否定され、それでも耐えて我慢し続けることが大人だとしたら、一生子供で構わない。わかばはそう決意した。

 そうやって意地を張り続けて、すでに二ヶ月あまりの時が過ぎていた。説得に訪れる大人の数もめっきり減り、それを好いことにあたらぬ下手な鉄砲を撃ち続ける、起伏のない日々が続けられていた。


 ◇――――◇――――◇


 もう寝よう、億劫になるのにも飽きた。

 わかばは食べきれなくなったムニエルを冷蔵庫に戻すと電灯を消して、寝室へ向かう。パジャマに着替え、短く切った髪を梳かして床につくと、わかばは羊を数える代わりに都市の風景を思い浮かべた。


 巨大なクレーター湖に築かれた灰色の牙城。

 毎時メガフロートから吹き上げる大量の水蒸気。

 あたり一帯を包むスモッグに乱反射する極彩色のネオン。

 街中に電子機器があふれかえる、世界最大の情報都市S-O-W。


 まだ遠い。絵空事の異世界。

 ワイヤード越しに見る、夢物語の出来事だ。


 ◇――――◇――――◇


 明くる朝、朗報はシスターを介して告げられた。

「本当なの?」

 シスターは相変わらずあの優しい微笑みで〝ええ〟と応えた。

「今朝市長からメールが来たの。次の便で出発だから、早めに支度なさいな」


 事態は一変した。わかばの頑固さに根負けした街の大人たちは、市長に圧力を掛け、移住許可証を発行させた。併せてS-O-W直通の電導弾丸特急リニア・シヤトルレールの臨時座席を電装移牧民ノマデスたちからすることにした。

 平たく言えば、わかばは渡航権を得たのだ。それも、限りなく正規の条件で。

 目の前が明るくなった。早速わかばは身支度を始めた。本当は勘当も同然だったのだが、もはやわかばは何も気に掛けなかった。

 憧れのオルガニストになって、都市に住める。毎日端末やオルガンをいじくり回しても、何も言われない。何を見ても何を読んでも、深夜に起きていても咎められない。大人たちの心持ちも尻目に、わかばの浮かれ具合は有頂天に達していた。


 今のわかばに身寄りはいない。

 最も親しかった叔父は、ずっと昔に遠くへいった。一人で孤児院を切り盛りするシスターは、わかばの意思を尊重すると言った。大人たちは天を仰ぎ、数少ない同年代の友だちは、画面越しに隣町からわかばを祝福した。


 あっという間の一週間が過ぎて、早朝のショッピングモールにけたたましい警笛が鳴り響く。地下搬入路の駅舎で、自治会役員と護衛の保安官六名がわかばとシスターを迎える。遅れて到着した白銀色の軌道車両を、何人かの若手保安官が警戒しつつ睨みを着ける。


 友だちは、その場に一人もいなかった。

 みんな早々に結婚して、子供を産んで、今は家庭のことで手一杯で足を運べなかった。

 同年代で独り身は、もうわかばだけだった。 


 しばらくすると鋼鉄の扉が開き、車内からノマデスたちが現れる。色とりどりの民族衣装と、様々な電子拡張機器オーグメントで身を包んだ異邦人たち。その先陣を切る酋長が、わかばたちの前に歩み寄る。役員を先頭にして保安官たちが並び立ち、各々が鉄砲を手にした緊張感の中で、一度目の予鈴がけたたましく鳴り響く。わかばは、シスターの掌を強く握りしめた。


――上がれば最後、誰も二度と帰って来れない――


 遠い昔に耳にしたあの言葉に、この一週間、実感はなかった。

 しかし今になって、焦燥感がこみ上げてくる。

 滝のような汗が全身を包み、目の前の世界が揺らぎ始める。

 自治会役員が麻袋を持って列車に歩み寄り、ノマデスの酋長チーフと二、三の固有語パロールで言葉を交わす。酋長は渡された麻袋を作り笑いで受け取ると、早速袋の中の金貨を数え始めた。酋長は頭の飾り羽を撫でながら、怯えたわかばの顔を見て怪訝そうに訊ねた。


「こんな小娘を、に放り込むのかね?」


 保安官たちは無言でにらみ返し、役員は申し訳なさそうに俯いた。沈黙を守り続ける大人たちに代わって、シスターが酋長に応じる。


「彼女の意思よ、彼女自身が決めたことだわ」

「君たちの神は、逃げ出した羊にとんと無慈悲なようだね」

「いいえ、祝福してくださるわ。あなたたちの神様とおなじように」


 酋長は鼻で笑ってわかばを一瞥すると、皮肉交じりに微笑みかけ、君の旅に幸あれ、と固有語で告げて踵を返した。

 貨物車両の狭い予備座席に重い花柄トランクを詰め込むと、最後まで付き添ってくれたシスターへ、短く別れを告げた。本当はもっと何か言いたかったが、緊張して言葉が思いつかなかった。


「わかば、達者でね」


 そう言ってシスターは柔らかく微笑んだ。

 藤色のカーディガンをわかばの肩にかけ、しっかり抱きしめた。

 懐かしい匂いがする。腕の力は、昔よりも衰えていた。


 二度目の予鈴が鳴り響く。降車するシスターの背を見送るとき、わかばは初めて自覚した。

 上京すると心に決めたあの日から、浮き足立った思いの裏に、いつもべっとりとした不安がつきまとっていたことを。

 少し未来の自分には、期待以上の絶望が待ち受けているのではないかという不確かな予感を。


「待って――」


 けたたましい警笛にかき消されて、わかばの言葉は車内にすら届かなかった。

 視認用の狭い車窓からホームを覗くと、やっとのことで見えたシスターが最後まで静かに手をふり続けていた。


 それが織部わかばの目に映る、最後の故郷の光景になった。


 退屈になるほど鮮やかだった風景が、一秒ごとに何十キロも彼方へ遠ざかってゆく。嫌になるほど見続けた光景が、永劫の彼方へと連れ去られてゆく。電動トンネルに差し掛かると同時にブザーが鳴り響き、車窓には強固な防護シャッターが下りる。外の様子はもう分からず仕舞いになった。


 予備座席には見張りを着けない取り決めが交わされており、ノマデスたちはそれを律儀に守った。わかばの胸の内に、心音と、心残りだけが留まった。

 何かを言うべきだった。あの日の問いの本当の答えが訊きたかった。

 端末のジャックを引き延ばし、手すりの二首端子チガに接続する。リールカバーが丸く、古い型だ。遠目ならば確かにカタツムリCsigaが留まっているようにも見える。


 前に進まなくては。たとえ、ほんの少しでも。


 唇を噛みしめ、まぶたの滴を払う。〝引き返せないんだ、もう決めちゃったんだ〟そう決意を胸に反復する。藤色の袖で涙を拭いて、わかばはタッチペンを握りしめ液晶画面を睨みつけた。だが、会計士資格の講座内容は、まるで頭に入ってこない。


 となりにだれかいてほしかった。

 本当の願いは、ただそれだけだったのかもしれない。


 やっとそれに気がついたとき、わかばはバックライト消えた液晶画面の向こう側に、ひとりぼっちで泣いている女の子を見つけた。


 ◇――――◇――――◇

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