【25 前座】
雨足は次第に強くなる。風がガタガタと窓を揺らす。
◆――――◆――――◆
寿命の切れかかった白熱灯、仄暗く陰気な部屋、
マイゼンは軋むソファで両腕を枕にして仰向けに寝ころび、無責任な憶測と報道ばかり告げるブラウン管を睨みつける。ソファの斜向かいに置かれたオルガンから、諦観を潜めた諌言の声が聞こえてくる。
「茶酌みの一つでもしてくれたらどうなんですか?」
マイゼンは、気だるく
【株式会社小粋警備保障:情報資料管理室:室長 敷島 美帆】。
眉目秀麗、才識兼備。絵に描いたように鋭利な女。
その鋭利さゆえにハコモノを宛がわれ、丸ごとお蔵入りにされた女。
嫉妬から行かず後家と揶揄する者もいるが、本人の知るよしではない。
「お話聞いた限りですと」
シキシマはマグカップをトレーに置いて、再びデスクへ向かう。
「ホシが増えたところでウチが得をするような案件に思えません。素直に西区の応援に出向いた方が、稼ぎはよかったのではなかったのでしょうか?」
マイゼンは横目をちらりと向け、さも自分達が無力であるかのように応じた。
「今朝みたいな小火ならとにかく、こういうパラレルな雑事で合同捜査となると、俺みたいな札付きは嫌煙されてな――行ったところで門前払いさ」
自業自得でしょうとシキシマが厳しく断じる。
型落ち気味のオルガンが、うなり声を上げる真空管と共に膨大な熱を排出。作業台の上で忙しく首を振る扇風機と、色紙大ほどあるフロッピーリーダーの甲高い駆動が鳴る中で、室長シキシマのタイピングはコンスタントに続く。
「で、大手より先に、新居田君たちを西に走らせて、あろうことかその宝船まで扇動――それほどこの件にご執着する理由を、一度はお伺いしたいですわね」
「はて――正規で手続き踏んでたら何年かかるか見当もつきませぬし」
マイゼンは敢えてシキシマを見なかった。
「いい加減な脚本だとどこぞの偉いお方が証拠資料諸々ゴネて、挙げ句予防逮捕だなんだと酷いこと言われてしまいますからな――」
期待して少し振り向くと、シキシマはマイゼンですら堪える排気熱の中で顔色一つ変えずタイプし続けた。
「当然です、ウチは清廉潔白だけが取り柄ですから」
張り合い甲斐のある女だ。マイゼンは影でほくそ笑んだ。
「清貧と貧乏をごっちゃにしちゃ困りますな」
「おや、そちらは別に、正規ルートに頼らなくても手は打てますでしょう?」
そうシキシマが口にしたところで、マイゼンは上体を起こす。一つ苦言でも申し上げようかと口を開くのと同じタイミングで、シキシマが勝ち誇ったように微笑んだ。
「お待たせしました、やっと岩舞さんの案件に取りかかれます」
「うん? 思ったより早かったな」
「港湾部の活動は諦めました。 感染範囲が特定できない以上、Dos攻撃の規模と実害は予想できません。 警戒態勢をレベルⅡに引き上げて、区画ごと封鎖するしかなさそうです。 新居田君の現場対応と宝船の処理能力とやらに期待しましょう」
「蓮根の土左衛門が何体出るだろうな?」
「雑魚を泳がせろと申したのはそちらです」
「分かった分かった――食材はよこすから、巧く調理してくれ」
激しいタイプライターの演奏と、重苦しいオルガンの駆動音が止む。シキシマは色紙大のフロッピーを所定のファイルにしまいながら、マグカップの残りを一気に飲み干す。
「これ以上ゴネるかどうかは、一応目を通して判断します、ディスケット下さい」
マイゼンは豆鉄砲食らった鳩のような素振りで、無言のまま足下の鞄を渡した。ついでに気を利かせて珈琲でも煎れに行こうかと給湯室まで歩を進めたが、生憎室長お気に入りの豆を切らしていたことを思い出し、無様にノコノコと引き返す。
シキシマは、マイゼンの古い依れた鞄をそろえた膝に置き、比較的柔らかめの口調で諌言する。
「――そろそろ企画書ぐらいご自分でタイプなされたらいかがでしょう? 過去がどうあれ、民営化以前からご活躍なさっていた方、それも弊社の立ち上が時からの功労者を、全員が全員ないがしろにする理屈でもないでしょう」
からかうなよとマイゼンは笑って見せた。
オルガンの排熱が顔面に吹き付けても、あえて涼しそうな顔を浮かべてマイゼンは続ける。
「餅は餅屋に任せるのが俺の主義だ。今の俺が手錠を掛けられるのは
シキシマが珍しく目線を合わせた。やせ我慢の甲斐にしては、やや白々しい応答を添えて。
「あら光栄、岩舞さんも私と会いたいと思ってくださったなんて」
「言ってろよ」
満更でもなさそうにそう吐き捨てて、マイゼンは再びソファに腰を落とした。
◆――――◆――――◆
マイゼンが、自ら企画書を出すことはそうそうない。
昔堅気の頑固者が、七年前の民営化騒ぎに死に損なってから七年。今や公僕時代には耳にしなかった採算や相場、市場傾向などという警察官には難解な概念がまかり通るようになった。何一つやり方を変えず黙々と仕事をこなした結果、マイゼンは今や干されて冷や飯食いの穀潰しと言われるようになった。
歯がゆさに耐える。この七年、ずっとマイゼンはその身で学んできた。
それでも、まだ自分が警察官でいられる
それは偶然にも、消えた同僚が教えてくれたのだ。
◆――――◆――――◆
「弘法も筆を誤るかもしれませんよ?」
「だったら毎晩講壇に預かりゃせんだろ?」
誰の、とシキシマが問いただしたので、俺の、とマイゼンが応える。失笑でシキシマは返し、リーダーに渡されたディスケットを差した。
「それではご拝聴させていただきましょうか――岩舞善治郎の推理とやらを」
待ってましたと云わんばかりに、マイゼンは上体を上げて両手で膝を打つ。
「調いましたぜ、ご静聴くだせえ」
マイゼンの緞帳が開いた。ガラス窓に打ち付ける雨音は拍手に思えた。
「昔々あるところに比仲漁尾って輩がいてな――」
◆――――◆――――◆
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