【33 帰路】


 ◇――――◇――――◇


 夜明け前が一番暗いのはぜなんだろう。

 その昔、誰かから理屈を聞いた気もする。

 だが、今は忙しくて思い出せない。


 ◇――――◇――――◇


 暗闇からの目覚めを、LARKは何度も体験した。

 それは決まって、誰かと別れた後だった。

 経験上、再開できた覚えはない。


「バカか――」


 呟きすら執拗に木霊する。

 それが実際に耳にした音か、それとも自分の中で聴こえているのか、判別は付かない。繰り返すほどに事実は重くLARKに事実を告げる。呼吸器が手元に残ったのが心残りだったが、オゾンもガスの臭いもしないから当分は安全だろう。


「――地の果てまで逃げたやつを、追っかけても始まらねえか」


 写真も、着替えも、拡張機器もなくなっていた。一式そろっていた手荷物も、すでに持ち去られていた。恐らく何の助けにならないだろうトンプソンも見当たらない。LARKは懐の仕事道具ガバメント、マジック・カード、そして身一つだけで通気孔を抜け出した。グッスリ眠っていたせいか、身体は軽く、頭もスッキリした。


 排水路は依然、傾いたままだ。多くのモノが流れた跡が残された漂流物から見て取れた。照明も復活していたが、相変わらず光量は仄かだ。


【B-二〇三】はこの仕事を始めた時以来、二度と拝んでいない。

 相変わらず、誰も覚えていない。言われるがままの建設業者も、後先考えない都市計画もおいそれと手がつけられず、事故を恐れて業者ですら忌避していると、あの日マルボロは口にしていた。


 あの日、LARKは路を前にしてふり向いた。

 あの日、魔女が生まれた。

 そして契約を交わし、二人は逃がし屋を創めた。


 ひょっとしたら今日、それが初めて報われたのかもしれない。

 金持ちの道楽者や変質者、追い込まれた権力者を相手取るより、ずっと心が晴れ晴れしている。あの道は暗く、長く、安全な経路とは決して言えない。浸水してこないという確証もない。逃がし屋としては信頼に今一歩欠ける奥の手だが、それで逃がせる相手が、救える命があのわかばなら、LARKは掛けてみたかった。


 歩き始めて何時間経過したのか、知る手だてはない。

 冷たい風が流れ、潮の香りが漂う。出口が近いことはわかる。パズルのように組み替えられた経路から、再び真龍城まで戻る道筋を割り出すのは至難の業だが、LARKは歩み続けた。

 歩みを止めなければ、たどり着ない場所などないのだ。

 どんな場所にでも、たどり着けるのだ。


 わかばは、どこへ向かうのだろう。


 ふと少女を思う。状況も弁えない能天気さ、気楽さ、悠長さ。ここ数年、自分が失いかけた精神的な余裕。LARKは駅で再開して、大人げもなく罵声を浴びせて、降りしきる雨の中で手を握って以来、そんなわかばのことを羨ましくすら思っていた。


 そんなとき、再び低いうなり声を上げて地下全体が震え出した。

「やべえな――」 

 都市の地下構造体が再び動き出し、遙か遠くで重低音が鳴り響く。

 巨人がうめいているような音。地獄の門が閉じる音だ。

 LARKが走り出して間もなく、空気の流れが逆流する。もう戻れない。戻れば自分も濁流に呑まれて、煙のように消えてしまう。 


 LARKは、一抹の不安に駆られた。

 地上に出たところで、未だ汚染区域が広がる陸路をどうやって渡りきるのか。超特急で大陸を横切るノマデスたちの弾丸特急を、どうやって捕まえるのか。自分でも無責任な方法を選んだと後悔していたが、思い返したところで後の祭りだった。


 LARKは、一瞬だけ立ち止まった。

 その長い旅路に見合うだけの言葉を、自分は何か贈れただろうか。

 風は止んだ。地獄への道は閉ざされた。確かめる術は永久に途絶えた。


 そして、が思い浮かぶようになった。


 LARKは踵を返し、己の進むべき道を向いた。

「あばよ、わかば――平和ボケ。 アタシは嫌いじゃなかったぜ」

 苦い思いを抱き締めて、LARKが帰路に向かうことにした。

 こそばゆい思いを胸にしまい、代わりに怒りを心に灯し、LARKは歩を進めた。


 全ての元凶、魔女の家Al Caponeへ。


 ◇――――◇――――◇

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