【03 光芒】

 ◇


 上京し、早くも二週間が過ぎた。

 だが、わかばはの不安定な日々はまだ続いていた。


 ◇

 肝心の就職活動は、連戦惨敗だった。

 街から持たされた支度金は食費と宿泊費で日に日に減り、とうとう底が見え始めた。これならせめて初日ぐらいは、目一杯楽しんでから挑むべきだったかと、今さらながら後悔する。ここ数日、安ホテルに直帰してシャワーと簡便な食事を済ませ、お祈りメールのチェックだけしてすすり泣きながら床につく日常が続いた。


 そろえるだけそろえた各種資格も、タイプ技能試験の成績表も、何の武器にもならなかった。詰め込んだS-O-Wに関する諸知識は、歯牙にも掛からなかった。北区高級レジャー施設、南区繁華街のグルメランド、中央公園の路上ライブ。この都市がどれほど名所であふれていても、打率ゼロ割では憂さ晴らしをする気すら起きない。


 現場未経験者に用はない。

 即戦力だけが欲しい。


 口に出ようと出まいと、彼らの態度はどれも同じだった。


――で、何ができるの?

――ウチ、今そういう人、求めてないんだよね

――割のいい仕事なら、他にもあるでしょう? 


 少しでもそのような語感が相手の口から出れば、わかばは黙るより他はない。パニック状態でロクな返答などできなかった。どこの面接でも、紋切り型が通用しない後半はまともなアプローチもできず、ただ黙り込み、時間だけが過ぎた。


 憧れだけでおなかは膨れない。

 人はパンのみにて生きるわけではないが、光合成ができるわけでもない。


 まぶしいだけの世界は、わかばに何もくれなかった。


 ◇


 結局、何の成果も得られぬまま、ただ時間だけが過ぎた。十社、何十社と同じことが続き、ワイヤードで探せる情報はとうとう尽きた。死に物狂いで探せども、未経験可のオルガニスト求人は見つからず、藁にもすがる思いで使う気もなかった離職者救民センターに足を運ぶ。


――アンタ結局何がしたいんだ――


 壮年の相談員に問い返されると、わかばは小さな膝小僧を見つめながら、力なく答えた。


――オルガニスト――


 安ホテルのチェックアウトが迫っていた。他に帰る所などどこにもない。

 玉砕必須の背水の陣ならば、せめて最期は華々しく本命で散りたい。自己分析で導き出した薄っぺらい見栄も嘘も、ここまで追い込まれては何の価値もない。

 壮年の相談員は長い沈黙の末に深く溜め息を吐くと、いくつかの身分証明の開示を要求し、控えを取ると後日中央駅へ行くよう指示した。

 どんな事情が裏で巡っていたのかは知らないが、曰く、とある【民警】の辣腕刑事がオルガニストを欲している、と相談員はぞんざいに告げた。


 そうやってわかばは、何度目かの振り出しに戻った。


 ◇


【民警】

 民営化され、企業となった警察組織。


 S-O-Wの市民はこの単語に、あまりにもいろんな思いを抱くのだという。


 それは、法の理念や良識よりも、純粋な力が勝ることを意味し、酷くつまらない言い方をするなら暴力の時代の幕開けを示唆していた。億万長者たちの利潤追求権や、既得権益の力が全てを支配する暗黒時代が、この市警の民営化から始まったのだ。


 七年前、腐敗した行政の象徴としてS-O-Wの市警は無残にも解体された。有識者たちの予想通り、腐る者たちは腐り果て、やがて信用を失った。反面、『市声の代弁者』と自称するメディアの各社は、驚くほどの躍進を遂げた。結果、フェイクニュースも含む告発と弾劾、不買や排斥運動が横行し、『汚職や悪徳警官の大半は、市場原理というによって淘汰されるだろう』という推進派の主張は、楽観的ながらもある程度あたった形になる。

 しかして同時に、株主や出資者たちの意向を忖度し、恣意的な検挙が横行し始める。警察組織の独立性は徐々に減衰し、正義の論拠は『法』ではなく、『時勢』に委ねられるようになった。


 行政は、慌ててあの手この手の対策に出たが、後手後手の対応全てが火に油を注ぐ結果となる。渡航手数料の増額、移住認可の厳格化、ありとあらゆる橋と港に設置された検問所。どれも軽犯罪者の隔離には貢献したが、抜本的な解決(即ち暴力組織や不正取引の追放)にはならなかった。法人税の減税、企業の捜査摘発部門への資金支援などはむしろ、権力者のいいように利用されて終わった。頼みの綱はメディア操作だったが、利用者の分散と集中による分離主義セクショナリズムを加速させるだけで、相互監視は果たせても無用な小火を消すことは出来なくなった。


 そして信用の土台を失った行政は、極小さな政府という名の無法地帯を作り上げ、全自動スタンプマシンの傀儡に成り下がった。こうして監督者を欠いたままの隔離システムだけが完成し、陸の果ての人工島は、彼岸の土地へと変貌を遂げた。


 約七億人がひしめくこの地球上で、ほぼ最後だった公的警察機構の瓦解を突破口にして、世界最大の経済都市は最大の犯罪隔離都市に様変わりした。

 民警は、これら悪夢の先駆者として、混迷と流転の時代を象徴する単語となった。


 ◇


 その民警が、オルガニストを募集することには、まだ理解が及ぶ。


 市営時代に蓄えられたビッグデータも、虎の子だったカウンターマルウェアも、今や各企業の倉庫で日の目を浴びることなく埃をかぶり続けている。作り掛けだった各種監視システムは、企業同士の連携不足の甲斐あって、穴だらけだと聞いている。


 デバッグには、猫の手も借りたいのだ。

 たぶん、キツい仕事になるのだだろう。

 しかし他にアテのないわかばは、好奇と思うより他なかった。


 夜が明け、安ホテルを後にし、わかばは再び振り出しのコマに戻った。

 在来線を乗り継いで中央駅セントラル改札口を抜けると、終戦何十年だか百何十年だかを記念して開設された広大な平和公園が目に入る。そこに至るまでの駅構内には、ガラス張りの天井や、所狭しと映写される電光掲示板、広告塔を兼ねたホログラム柱が林立し、忙しく明滅する。


 まぶしいだけの煌びやかな世界。

 おなかのふくれない光芒の世界。


 憧れていたはずの夢物語の世界から逃げるように、わかばは目的地を目指した。


 下手に世情を知ってしまった分、歩くだけで憂鬱になる。

 広大さと緻密さ、行き交う人々と情報の流れの速さ。

 そこに付いてゆけない自分との器量差をまざまざと叩きつけられる。ふと視線をそらせば、興味もない雑多な情報がこれでもかとわかばの足下を埋め尽くす。



【ガネッサ・ガラム氏敗訴 アークロイヤル銀行十四年ぶりの独立?】

【南区労働組合事務所から銃器押収 中南会の黄果樹氏は関与を否定】

【カズペック・オパール社襲撃される 西区四度目 組織的犯行か?】

【流出する個人情報 企業ぐるみの可能性 労監は弁連と連帯を表明】

【グロリア・ジタン新曲発表 前事務所とのトラブルから華麗に再起】

【夕方 曇りときどき雨東南の風 ビル風、乱流、ゲリラ豪雨に注意】



 歩道標識と共に映写される情報の波が、わかばの影をかき乱す。

 花柄トランクを押しながら、逃げるように駅構内を往来していると、待ちぼうけしていたらしい誰かさんが遠くで手を振っている。次いでわかばが視線を向けると、とても好く通る声でわかばの名前を呼ぶ。


「織部さんですかぁ?」


 わかばは驚いて〝ひゃあ〟と素頓狂な声を上げた。あまりの情けなさにわかばは耳まで真っ赤になった。駆け寄ってくる声の主は、その態度で身元が取れたと判断したのか、即座に踵をそろえて敬礼し、それはそれは好く通る声で報告した。


「八時二十五分、新居田晴三郎、現刻を持ってただいま到着いたしました!」


 誇らしく胸を張る青年に、気圧されながらもわかばはなんとか応える。

「お、織部わかば、です――今日は、よ、よろしくお願いします!」

 青年はニコリと笑顔で応えた。服装は私服だが、コーディネートはイマイチ。短足に見えるカーゴパンツと、ジャケットも丈が合っていないのが一番目に付く。本当に警官なのかとわかばは疑った。


 わかばの視線から察したのか、青年は近くのロボットを引き留める。ドラム缶のような円柱形の頭に乗ったチガの、触角のようなリールを伸ばして自身の端末に接続し、画面を提示した。


「結構、この顔のせいで学生と間違えられるんですよ、ご確認ください」

 端末には、民警の事業者証明書が表示されていた。


【株式会社小粋警備保障:捜査課第二班:第三警督:新居田 晴三郎】


 証明写真はかなり前のデータなのか、画像が荒く目と眉の見分けがつかない。整っているが月並みな童顔は、間違いなく晴三郎本人だろう。企業側の正規コードを端末で照会すると、いよいよわかばも彼が警官であることを認めなければならない。


「今日は担当者のせんぱ――弊社の岩舞に代わりりまして、僕がわかばさんを就労先までご案内することになりました。まだまだ至らないところもあるかとは思いますが、どうかよろしくお願いします!」

 本当に、好く通る声だった。それだけしか印象に残らないほど。

 わかばはただ、そうですかとしか応えられなかった。


「とにかく、善は急げです! 迷っちゃわないうちに目的地へ向かいましょう、今日の道案内は僕が責任をもってあたりますのでご安心を!」

 好く通る声でそう伝えると、さっと踝を返して二歩も三歩も先へ進む。置いてきぼりを食らったわかばは、遅れまいと花柄のトランクを押しながら、急いで青年を追いかけた。


 ふと、わかばは訝しんだ。

 晴三郎が口にした就労先という回りくどい言い回し。


 別建ての施設ということになるのか、業務委託か何かへの斡旋なのか。

 わかばがその疑問を問いかけようとした瞬間、青年は踝を戻して、とても好く通る声と笑顔で答えた。


「見合っただといいですね」

 好く通るその文言を聞いたとき、わかばは無意識に唇を嚼んだ。


 ああ、またアテが外れた。

 振り出しからは、まだ一歩も動いていないんだ。

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