第19話 事態の収束

◇ 城倉じょうくら あかね ◇


「楓ちゃんっ!」


 お姉ちゃんのただならぬ声が聞こえた私は、リビングから走ってお兄ちゃんの部屋に向かった。


「どうしたの?!おねえちゃ………お兄ちゃんっ!!」


 お兄ちゃんはドア付近に倒れていた。息が荒く、顔も真っ赤だ。


「楓ちゃんっ!しっかりしてっ!」

「お、お兄ちゃんっ!ど、どうしよう…!」

「あかねっ!タオル濡らして持ってきてっ!あと私の鞄に風邪薬と解熱剤があるからそれも持ってきてっ!」

「う、うんっ!」


 戸惑っていた私にお姉ちゃんが指示を出した。この時の私は思考が半分止まっていたから、お姉ちゃんの指示に何も疑問を持つことなく従った。


 リビングに着いた私は、早速お姉ちゃんの鞄を漁り始める。全てのポケットを、満遍なく調べあげる。しかし…


(お菓子、お菓子、ボディシート、お菓子、スマホ、お菓子、お菓子…………ってほとんどお菓子しかないじゃんっ!!)


 お姉ちゃんの鞄の中にはお菓子しか入ってなかったのだ!

 そういえば出発前にもお菓子たくさん持ってきたと言っていたが、さすがにこれは持ちすぎである。


(ど、どうしよう…)


 もちろん私も持っていない。まさかお兄ちゃんがこのタイミングで風邪をひいているなんて予想していなかった。


(私の準備が悪かったのかな?そんな事ないよね?!)


 とりあえずお姉ちゃんは後でお説教。


 応急措置として持ってきていたタオルを水で濡らし、お兄ちゃんの部屋に向かった。






 部屋に行くとお兄ちゃんは既にベッドに横になっていて、苦しそうに息を荒らげながら寝ている。その様子を、お姉ちゃんは上から覗き込んで心配そうに見ていた。


「あれ、風邪薬は?」


 お姉ちゃんは私が濡れたタオルしか持っていないのを見て少し眉をひそめた。


「いや、こっちのセリフなんだけど…」


 お姉ちゃんは昔から天然なところがある。その事を分かっていながら、薬があると思って探しに行ってしまう私もどうかしている。

 こんなド天然さんが、薬を持ってきているなど有り得ない。どう考えても準備が良すぎる。

 加えてお姉ちゃんの天然は良い時もあるが、人をイラつかせたりする時もある。ほんと気をつけて欲しい。


 とりあえず濡れたタオルでお兄ちゃんの額と首に付いた汗を拭いた。


「ん、お水持ってくる。」


 そう言ってお姉ちゃんは立ち上がり、リビングの方へパタパタと走っていった。


 その様子を眺めながら、私は幼い頃の記憶を思い出す。あれは確か、私が小学1年生の頃。お兄ちゃんとの関係に大きな亀裂が入ってから数日としないうちに、お兄ちゃんが風邪を拗らせた。

 あの時も今みたいに、お兄ちゃんを看病していた。


 懐かしいなぁ。お兄ちゃんが起きてたら拒絶されちゃうと思って、寝てる間しか看病できなかった。おかげで私とお姉ちゃんは毎日寝不足になってたなぁ…


 もう修復できないほど溝が生まれてしまった私たち。だけど、お兄ちゃんを駅のホームまで行って見送ったあの日、お兄ちゃんは私たちと目を合わせてくれた。


 もしかしたら、まだやり直せるかもしれない。あの時のことを許してくれるかもしれない。

 そんな期待を胸に、勢いに任せてお兄ちゃんのもとに訪れた。


 だけど、苦しそうにしているお兄ちゃんを見て、今更後悔していた。

 お兄ちゃんはあの日以来、強くなろうと必死だった。私にはそれが、苦しさを紛らわせようとしているようにしか見えなかったのだ。

 ずっと、無理をしていたのかもしれない。私たちに弱い所を見せないように…


「どうしたの?」

「お、お姉ちゃん…」


 いつの間にか近くにいたお姉ちゃんが、横から私の顔を覗き込む。

 すると柔らかく微笑んで、そっと抱きしめてくれた。


「大丈夫。大丈夫だよ。」

「……どうして、大丈夫だって分かるの?」


 ずっと疑問に思っていた。お姉ちゃんは大丈夫だとしか言わない。私は不安で不安で仕方がないのに。


「私は楓ちゃんを信じてる。」

「っ!」

「私たちは家族だよ?どんな時も支え合っていかなくちゃいけない。」


 お姉ちゃんは私の肩に手を置いて、真っ直ぐに私の目を見つめて、


「それに、私たちが楓ちゃんを信じないでどうするの?」


 また微笑んで、そう言った。


 お兄ちゃんが人を信じなくなったのは私も分かっていた。でも、どうして信じなくなったのか、その理由は知らなかった。

 だけど今なら分かる。お姉ちゃんの言葉で気付かされた。


 お兄ちゃんは自分を信じてくれる人しか信用しない。


 お姉ちゃんは既に気付いていたのだ。そして私に気付かせてくれた。

 天然だけど、こういう所は敵わないなぁ。


「…ありがとう。お姉ちゃん。」


 そう言って私たちはゆっくりと離れた。そして2人でお兄ちゃんを見守る。


 まだ苦しそうにしているお兄ちゃんは、何かを掴もうとしているのか、ゆっくり手が動いていた。


 私はその手を握ってあげる。そして祈る。



(私の気持ち、伝わってるかな…)



 お兄ちゃんの苦しみを、少しでも和らげてあげたい。そう思って、お兄ちゃんを握る手に力を込めた。


 すると私の体はお兄ちゃんのベッドの中へ引き寄せられ、逃がさないとばかりに力強く抱きしめられた。


「わ、わわわっ!」


 わ、私今、お兄ちゃんにハグされてる?!


「わぉ、なんか面白そう!」


 何故かテンションが上がるお姉ちゃん。

 突然のことに戸惑う私を無視し、お姉ちゃんがベッドの中に入ってこようとしたその時…



————ピンポーン



 家の呼び鈴が鳴らされた。


「あぁ、もう。いい所だったのに…」


 そう言ってベッドから降りようとすると、



「あいたぁっ!」


 盛大にコケた。



「だ、大丈夫?」

「あはは……ちょっと見てくるよ!」


 気まずそうに目を逸らしたお姉ちゃんは、開いていたドアを勢いよく閉めて、ドタドタと騒がしく走っていった。


 締まらないなぁ、と思いつつ自分の現状に目を向ける。

 お兄ちゃんは目を瞑ったままで、起きている様子はない。でも私を抱き締めたままだ。




 そして私はまた思い出す。


 お兄ちゃんが寝ている間に看病を終えて退散しようとしたら、私たちを引き留めてこう言った。


『…僕を、ひとりにしないでっ!』


『お願いだから……そばにいて…』





 あの後すぐに寝てしまったお兄ちゃんは、ずっと寂しい思いをしていたのかもしれない。

 添い寝をしようとしたけど、あの後お母さんに見つかってお説教されてしまったので出来なかった。


 だけど、今なら…



 私はそっと、お兄ちゃんを抱き締めた。




「ずっとそばに居るよ。」


 お兄ちゃんが感じていた孤独を、私たちが払拭する。




 そんな思いを込めて、呟いた。


 聴こえたのか分からないけど、私を抱きしめる力が抜けていったから、きっと聞こえていたのかもしれない。






 しばらくお兄ちゃんに抱きついていると、お兄ちゃんの体温が高いからか、次第にうとうとしてきた。

 溢れ出る睡魔に身を任せて、そのまま寝てしまおうと思ったその時、


「あ、あんた何してんの?!」


 聞いたことの無い声が聞こえてきた。




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◇ 佐藤 楓 ◇



「なるほど。そんなことがあったのか。」


 僕が起きてからすぐに泣き止んだ妹——茜は、僕の腕に、コアラのようにくっつきながら勢いよく首を縦に振った。


「うえぇぇ、うぇぇえぇん…」


 未だに泣き止まない麗華。


 茜から事の顛末を聞く限り、何やら壮大な勘違いをしているようだ。

 それにしても、麗華がどうしてそんなに泣いているのか分からない。聞いたところによると、茜を「泥棒猫」と言ったらしいが、何がどうなって泥棒猫なのかさっぱりだ。


「あ、あの、楓くん…」

「ん?」


 何やらモジモジとして、心音が聞いてきた。


「その、茜ちゃん?とはどういう、関係なのかなっ?!」


 ん?


 僕は未だにくっついている茜を見る。茜もきょとんとした顔をして、どういう意味か分かっていないようだ。


 しかし、この状況を見れば誰でも勘違いしてしまうだろう。現に麗華も間違った解釈をしているようだ。


 まぁ残念なことに…


「僕達は家族だ。」

「ふぇっ?!そうなの?!」


 多分、心音は僕を二股してるヤバいやつとでも思ったのだろう。もちろん僕にそんな趣味はないし、そもそも恋愛なんて出来ないから誤解も甚だしい。


「そ、そうなんだ。てっきり………」

「そんなことより、どうして麗華と心音が家に来たんだ?」

「あ、えと、私たちお見舞いに来て、真奈さんとれいちゃんが喧嘩して、それで、えっとね…」

「落ち着け。」

「む、むり!私もまだ状況飲み込めてないもん!」


 余計に慌てる心音。しかしまぁ起きた時はさすがの僕でも驚いた。状況はまさにカオスだったからな。


 なんにせよ、麗華と心音はお見舞いに来てくれたんだ。


「心音。」

「な、なに。」

「ちょっと来て。」


 心音をベッドの近くに呼ぶ。心音は恐る恐る、ゆっくりと、慎重に近寄ってきた。

 なんでそんなに怖がるんだ。


「っ!!!!」

「お見舞い、来てくれてありがとな。」


 そう言って僕は、心音の頭をポンポンと軽く撫でた。


 このテクニックは僕が体調を崩す前、麗華と心音との距離感について考えていた時にネットで見つけたものだ。これは異性との大切なスキンシップのひとつらしい。


「麗華も、こっち来て。」

「ううぅ、ぐすっ…」


 まだ少し泣いている麗華を近くに呼ぶ。心音と違って麗華は床にへたり込んでいたので、赤ちゃんのようにゆっくりとハイハイして近くに来た。


「おい、そんなに泣くなよ。」


 僕は、麗華の目から溢れ出る涙を人差し指ですくい取り、そのまま頬を優しく撫でた。そしてその手を下に持っていき、麗華の顎を優しく持ち上げて、


「お見舞いに来てくれてありがとな。」



 秘技、『顎クイ』。

 これもネットの情報で、「どんな女の子もイチコロ!」と書いてあった。

 イチコロの意味が全く分からないが、麗華の涙は止まったようなので一安心。


 麗華と心音を見ると、2人とも顔を真っ赤にしていてピクリとも動かなくなった。

 どうしたんだろう…


「お、お兄ちゃんすご……」


 隣で妹が何か言ったが、僕は異性との接し方を学んだのでこの対応は間違っていないはず。


「ぶはっ!」


 今まで静観していた真奈——姉さんが吹き出して笑い始めた。


「あははははっ!楓ちゃん最高!」

「お、おう。」


 何やら楽しそうにこちらを見て笑っている姉さん。

 長い間姉さんとまともに話してなかったため、そのテンションに全くついていけない。


「楓ちゃんお腹すいてるでしょ?お粥作ってあげるから待っててね。あ、この2人借りてくから、茜は楓ちゃんに女の子は何たるかを教えてあげてね。じゃっ!」


 早口でそう言った姉さんは、未だに放心状態のふたりの手を取ってリビングに向かっていった。







 それにしても、僕は本当に恵まれている。

 今まで悠太以外でお見舞いに来てくれた人はいない。だから今回、新しく出来た友達がお見舞いに来てくれて、本当に嬉しく感じていた。


 僕を心配してくれる友達がいて、僕のために涙を流してくれる友達がいる。

 これがどんなに素晴らしいことなのか、改めて確認することが出来た。


 次第に僕の心には、もっと麗華と心音のことを知りたいと思う気持ちが芽生えてきた。

 僕は2人と友達だけど、お互いまだ知らないことだらけなのだ。


 僕は2人をもっと知りたい。僕のことも知って欲しい。だけど僕には、自身のことを話す勇気がない。


 それはきっと、恐れているから。

 両親が死んだという事実を自分の口から言うことで、再確認してしまうから。


 僕がこの調子だから、お互いのことを知るのはまだまだ先になりそうだけど、麗華と心音なら待っていてくれるだろう。

 なぜなら僕達は、



『友達だから』







 なんだか元気が出てきた気がするぞ。




「お兄ちゃん。」



 茜の声で僕は我に返る。長い間考え事をしていたようだ。


「どうした?」

「あ、あのね、謝りたいことがあるの…」


 茜は悲しそうな顔をしながら、ゆっくりと話し始めた。

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