第20話 それぞれの和解

「あの時…お兄ちゃんに酷いこと言ったの、ずっと謝りたくて…」


 僕の腕に抱きついて、俯いたままそう言った。

 『あの時』とは、僕が知る限りひとつしかない。僕がまだ小学3年生の時の出来事だ。


『かえでも、おかーさんいたらよかったのにねー!』


 この言葉を発したのは茜ではなかった。だけどあの場で、姉さんの発言に対して何ら反応を示さず、あたかも同調しているかのようにケラケラと笑っていた。


 当時小学1年生だった茜に対して、憤りを感じなかったといえば嘘になる。発言をした姉さんに対しては言うまでもない。

 しかしあの頃はお互い精神的に幼かった。何気なく発する言葉に責任を持て、と言うのは小学生には無理な話だ。


 その事にもっと早く気づくべきだったのだ。僕が気づいたのは丁度1週間後の夜だったが、その時にはもう従姉妹の関係に溝が生まれていた。


『その溝はとても深く、謝って済むものではない。もし謝られたとしたら、従姉妹が僕に情けをかけているということ。すなわち、親がいない僕を哀れんでいる。かと言って僕から歩み寄るのも間違っている。』


 この固定概念に囚われた僕は意固地になり、従姉妹との会話を徹底的に避けるようになった。


 その結果が、今にもこぼれ落ちそうなほど目に涙を貯めて俯いている茜だ。ずっと後悔の念に苛まれ、どうにかして僕に歩み寄ろうと苦しんできた。

 結局これは、僕のくだらないプライドが招いたもの。一時的な苦しみで済むならいいが、茜は今までずっと苦しんできた。


 僕には、その苦しみが分かってしまった。


「…っ!」


 僕は思わず茜を抱きしめた。


「ごめん。」


 親がいないという事実に長い間苦しめられてきた僕は、茜の苦しみが痛いほど分かってしまったから。


「ごめんなぁ…」


 思わず目から涙がこぼれてしまった。


「お兄ちゃん………うえええぇぇぇん!」


 茜も、僕の胸に顔を押し付け、嗚咽を漏らしながら大泣きした。




◇ 橘 麗華 ◇



 真奈さんに手を引かれて台所にやってきた私達は、「お粥作るよ!」という気合いの入った声で我に返り、テキパキと準備を始めた。

 私は具材を切り、心音は卵を溶き、真奈さんは研いだお米を鍋で沸かしているのを眺めているだけだ。

 何もしないのかこの人は、と思って見ていると、私の視線に気づいた真奈さんは、


「私料理出来ないから。」


 と言って微笑んでいた。







「あの…」


 私は玉ねぎを刻む手を止めて、真奈さんに声をかけた。


「なぁに?」

「………先程は楓のお姉様とは知らず、無礼な態度をとってしまい、大変申し訳ありませんでした。」

「ほぇ?」


 とぼけたような声を出し、真奈さんは固まった。


「あ、あの!私も、すいませんでしたぁ!!」


 私の右隣にいた心音も、真奈さんに頭を下げた。


「堅い!2人とも堅い!!」


 あははっ!と笑いだした真奈さんはとてもフランクで、話しやすそうな雰囲気だ。おかげで私の緊張もほぐれた気がする。


「もっと砕けた感じでいいよ。あ、でも敬語は使ってね。私の方が歳上なんだから!」


 えっへん!と胸を張る真奈さんに少し敗北感を感じた私は、今日から牛乳を沢山飲むと決意した。


「で、でか………」


 心音が小声で呟いたことは、真奈さんには聞こえていないようだ。


 まぁ、そんなことはどうでもいい。私は謝罪だけを言うために真奈さんに話しかけたのではない。


「あの、真奈さんは楓のお姉さんなんですよね?」

「そだよー。」


 軽く返事をした真奈さんは、鼻歌を歌いながら体をゆらゆらと揺らしていた。おかげで大きなおっぱいが「ぽんよぽんよ」と揺れている。見せつけているのかこの人は。

 まぁ別に、どうでもいいし。楓は大きさで判断しないから。多分。


「家族なのに、なんで苗字が違うんですか?」

「あ、それ私も気になってた!」


 私が質問すると、心音も賛同する。

 玄関で鉢合わせした時も、苗字が「佐藤」じゃないことに違和感を感じたし、一瞬不法侵入してる他人だと思った。


 私は若干ドキドキしながら真奈さんの返答を待った。


「あれ?聞いてないの?」


 驚いたようにそう言って、真奈さんは体を揺らすのをやめた。


「私たち、『本当の』家族じゃないんだよ。」


 そう言われた時、心音は「えっ」と言って驚いていたが、私はあまり驚かなかった。

 親の再婚などで苗字があやふやになるのはよくある事だ。


 そんな甘い考えをしていた私の思考は、真奈さんの次の言葉で吹き飛ばされる。


「楓ちゃんの両親は、楓ちゃんがまだ物心着く前に、死んじゃったんだよ。」


 …………え?死…??


 真奈さんは、さっきまでのフランクな態度を一変し、私の目を真っ直ぐと見据えていた。


 真奈さんの急な態度の変化もそうだが、『死んだ』という直接的な表現が私の甘えた思考を消し去っていった。

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