第8話 帰省1
シャトルランがあった日から土日を挟み、週明けから本格的な授業が再開となる。
僕はこの土日を利用して、1人で実家の方へ向かう事にした。
僕の両親に、入学したことを報告するためだ。
実家は岡山にある。そこまで、6時に出発する新幹線に乗って向かっていた。
家族連れや、僕と同じく実家に帰省する人も沢山乗っている。
知っての通り僕の両親は既に他界している。まだ物心つく前の出来事だったので、特に何も感じるものは無い…………はずなのに。
「ぱぁーぱ!おなかすいたー。」
「お?待ってろ。おにぎりあるからな。」
「おかーさん。ユニバ行きたい!」
「うーん。1日だけ時間あるから、行ってみよっか!」
はずなのに………
(……くそっ!)
この言いようのない、行き場のない、憤りに近い感覚はどうしたらいいのだろう。
この感覚はきっと、身内をなくした人しか共有できない感覚だ。
家族同士のじゃれ合い、子供連れを見ていると気分が沈む。こんな気分は久しぶりだ。
そうだ。あの頃も、こんな事があった。
あれは確か、小学3年生の頃だったか。学校で先生からある課題を出された時の気分に近い。
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「はいは〜い、皆さん良いですか〜?」
ザワザワと落ち着きのない子供たちに呼びかける先生の声が、教室に響く。
「明日は参観日です!授業のテーマは、『名前の由来』ですよ〜!お父さんお母さんに自分のお名前の由来を聞いてきてくださいね〜!」
「「はぁーい!」」
他のみんなが元気に返事をする中、僕だけは返事をせずにずっと下を向いていた。
それに気付いた先生は、僕に近づいてくる。
「楓くん。もし、辛かったら、明日学校来なくてもいいんだよ?」
「………大丈夫。ちゃんと学校いく。」
「そっか!楓くんは強いね!」
よしよし、と頭を撫でられる。
当時の僕は今ほどひねくれていなかったので、頭を撫でられただけでほんのわずかだが、気持ちが楽になった気がした。
従姉妹の家に帰ってから、僕は一言も話さずに部屋にこもった。そして直ぐに布団に横になって目を瞑った。
どうして僕にはお父さんお母さんがいないんだろう?
この時の僕は幼かったので、自問自答しながら自分の両親に怒っていた。
今思えば、相当理不尽な事だと思う。
もちろん両親が事故で死んでしまったことはわかっていたが、幼い僕はまだ「死ぬ」という事がどういう事かあまり分かっていなかった。
『もう二度と会えない。』
従姉妹の両親からそう言い聞かされていたが、そもそも会った記憶がなかったので漠然としたままだ。
会ったことの無い両親と、会うことが出来ない。これがどういう意味なのか理解するには難しかったのだと思う。
そうしてしばらく目を閉じていたその時、
「ごはーん!」
「ごはんだよーーー!」
2人の元気な姉妹が、僕の部屋に突撃してきた。
1人は小学5年生、もう1人は小学1年生だ。
「入ってこないでよ。」
「ごはんいくよ!」
「ごはんごはん!」
僕が若干不機嫌に言葉を発したのにも関わらず、2人の姉妹は元気に僕を引っ張っていく。
2人の元気な様子に度々僕の心は救われていたが、この時ばかりは余計にイライラが募るばかりだった。
「いただきまーす。」
従姉妹の家族4人と僕で食卓を囲み、ご飯を食べ始めるが、僕の箸はテーブルに置かれたままだった。
「どうしたんだ?楓。」
従姉妹のお父さんがそう問いかけてくる。
「……別に。」
雑に返答すると、従姉妹のお父さん——叔父は困ったように眉を八の字にして、叔母の方に視線を向けて助けを求める。
「あ、そうそう!明日参観日でしょ?見に行くからね!」
叔母は努めて明るく振舞っているが、僕の気分は叔母の言った言葉で一気に下がった。
「………来なくていいよ。」
「おかーさーん。プリン食べたーい!」
僕がぼそっと言った言葉は、従姉の言葉によって掻き消された。
「えー?うーん、お風呂出てからね!」
「やったぁ!おかーさんだいすきー!」
「わ、わたしもほしいー!」
「はいはい。」
「いぇーい!」
従姉妹が揃って叔母に抱きつく。
その光景を見ていた僕は、そろそろ限界に達しそうだったので、席を立って部屋に行こうとした。その時、
「かえでも、おかーさんいたらよかったのにねー!」
その言葉に、抱きついたままの姉妹以外凍りついた。
もう、限界だった。
「うるさいな!簡単に言うなよ!僕だってお母さんに会いたいよ!会いたいんだよっ!」
僕がいきなり怒鳴ったのを見て、4人とも動きが止まり、目を見開く。
「顔も知らないお父さんお母さんに会いたいよ!会いたいけど………会えないんだよ……」
気付けば僕は泣いていた。
「なんで………なんで…僕ばっかり……こんな目に………」
涙が止まらない。止めようとして必死に袖で拭うが、余計に溢れ出てくる。
「どうして……どうして、帰ってこないの?お母さん、お父さん………僕、良い子にしてるよ?先生に怒られたことないのに…テストでいつも100点取ってるのに………なんで……」
僕は膝から崩れ落ちた。そのまま倒れようとしたところを、叔父が支えてくれた。
「すまない、楓。俺達が分かっていなかった。お前はまだ子供なのにこんな事になって辛いよな。その気持ちを、俺たちが理解してやれなかった。すまない。」
その言葉を最後に、僕の意識は途絶えた。多分、泣き疲れていたんだと思う。
◆
翌日。気がつくと自室の布団で寝ていた僕は、誰とも話すことなく朝食を食べて、何も言わずに学校へ向かった。
その時の従姉妹達は、悲痛な表情を浮かべ、僕に声をかけようにもかけられないでいた。
「わたしのなまえのゆらいは、しょうらいおおきくはばたいてほしいからーーー」
一人一人発表していく度に、その人の親が深く頷いている。
「じゃあ次は……と。」
僕の番だが、先生は僕の事情を知っている。だから僕をとばそうとする。
そうなる前に、僕は立ち上がった。
「っ!」
先生の目が見開かれる。
この場に僕の親はいない。従姉妹の両親も、昨日のことがあって来ていないかもしれない。
だけど……
「僕には、お父さんお母さんがいません。」
そう言った瞬間、取り囲むように立っている親達が息を飲んだ。
「顔も知りません。見たことがないからです。そして、これから会うこともできません。」
静寂が教室内を支配し、皆が僕の方に注目しているのが分かる。
「でも、僕をここまで育ててくれた、従姉妹のお父さんお母さんには、とても感謝しています。」
そこで僕は、辺りを見渡す。
いた。
廊下から、隠れるようにして僕を見ている。
その従姉妹のお父さんお母さんに向けて、
「ここまで育ててくれて、ありがとうございました。」
僕は深々と、頭を下げた。
周囲にどよめきが生じる。恐らく小学3年生がその年相応でない事を言っているのに戸惑っているのだろう。
大人しい子とはよく言われていた。当時の僕には勉強と読書しか無かったから。でもそのおかげで、他の人より大人びていた。
廊下では、従姉妹のお母さんが涙を流して崩れ落ち、それをお父さんが支えるのが見えた。
「最後に、僕の名前の由来ですが」
僕が話始めると、周囲はまた沈黙する。
「正直僕にも分かりません。」
先生を含めたこの場の全員が悲しい顔をした。
「でも、僕のお父さんお母さんが、僕のために一生懸命考えて付けてくれた名前だと思っています。だから僕は、この名前に誇りを持って、お父さんお母さんの分も幸せになりたいと思います。」
そう締めくくってから、僕は席に座った。
沈黙が続いていた教室に、1人、また1人と拍手が広がっていく。
それだけで僕は報われた。
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「……っは!」
気付けば僕は眠っていた。
「…懐かしい夢を見たな。」
心のモヤモヤもいつの間にかすっかり無くなって、清々しい気分だ。
◆
岡山で新幹線を降りた僕は、徒歩10分の距離にあるホテルにチェックインして荷物を置き、そのまま両親が眠る墓地に向かった。
今回の帰省では従姉妹の家には寄らない。地元を離れてからまだ少ししか経ってないからだ。
「ただいま。」
ひとつの墓石の前で立ち止まり、声をかける。
思い返せば、あの参観日以来、お墓参りをしない日は無かった。
ひねくれて、人間不信に陥り、人と話すことを避けるようになって、無愛想になってもなお、僕のお父さんとお母さんのことを忘れることは、1度も無かった。
「新しい高校な、悠太と一緒に通ってんだ!悠太はたくさん友達を作ってたけど、俺はイマイチかなぁ。」
そうだ。僕はこうやって毎日、一人称を「俺」に変えて学校の出来事をお父さんとお母さんに報告していた。
「でも、俺にも新しい友達ができたんだよ!
お父さん、お母さん、ちゃんと聞いてくれてるかな。
「麗華はすっごく美人なんだ!多分学校一の美少女だよ!まぁちょっと小悪魔な部分もあるけど、凄く良い奴なんだ!」
ちゃんと、元気にしてるかな。
「心音はとにかく元気がいいんだ!おかげでこっちまで元気になっちゃってさ!おまけに美少女だし!」
向こうで、幸せにしてるかな。
「俺には勿体ないくらい、良い友達が、できたんだ……だから………」
僕の頬に、暖かいものが流れた。
「だから………心配しないで……ひぐっ、僕は……ぐすっ」
どうして…
「元気で、やってるからぁ………」
僕を、置いてかないで…
「うう、あぁぁ…」
参ったな。泣かないって決めたのに。
「お父さん……お母さん……先に、いかないでくれよぉ………」
1度でいいから、その姿を見たかった。
1度でいいから、その温かい手に抱かれたかった。
1度でいいから、名前を呼んで欲しかった。
1度でいいから………
「うわあぁぁぁぁぁ…!」
『愛してる』と、言って欲しかった。
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