第5話 体力テストと美少女の友達

◇ 橘 麗華 ◇


 今日も今日とて、朝早くに学校へ行った私であるが、やはり教室には先客がいた。


「おはよう、佐藤くん。」

「おはよう、橘さん。」


 昨日のことがあったからか、お互いもう作り笑顔をする事無く無表情で挨拶をした。


 なんだが久しぶりに自分の素を出せたような気がして、胸がスッキリする。


「なぁ。」

「ん?なに?」

「橘さんはいつもこの時間に登校するのか?」


 何を聞くのかと思えば…そんな事か。

 ここは少し、意地悪をしてやろう。


「ううん。佐藤くんと、朝話したいからだよ。」

「あっそ。」

「えっ」


 控えめに言っても美少女であるこの私に「話したい」なんて言われた時には必ず男は顔を赤くするのだが、佐藤くんにはそういった変化が全く見られない。

 それどころか、軽くスルーされた。


「ねぇ、私にこういうこと言われてドキドキしないの?」


 思わず聞いてしまった。

 だっておかしい。どう考えてもおかしい。自慢とかじゃなくて本当に美少女である私に見惚れない男は居ないはずだ。

 自意識過剰すぎたのかな?


「そうだね。確かに橘さんはすごく可愛いと思う。」

「か、かわっ!………うぅっ」


 いきなりそんなこと言われたら、照れちゃうじゃんかぁっ!


「でも、橘さんは僕が照れたりするような反応を期待してそう言ったんだろ?」

「う、うん……」


 な、なんで分かったの?も、もしかして、顔に出てた?!


「表情を見たらわかるよ。まるでおもちゃを見つけた子供のような表情をしてた。大方、僕をからかいたくてやったんだろう?」

「……ごめん。」


 そんなところまで見抜けるなんて……

 本当に申し訳ないことをしてしまった……


「別にいいよ。少しドキッとしたのは事実だし…」

「ほ、ほんとっ?!」

「う、うん。」

「やっっったぁぁ!」

「え、なんでそんなに嬉しがるの?!」


 ようやく!ようやく私にドキドキしてくれた!本当に分かりずらい!もっと顔に出しなさいよ。


「ううん、こっちの話。佐藤くんあんまり表情が変わらないから、何に興味があるか気になってたの。」

「あぁ〜。なるほど……」

「佐藤くんは女の子に興味は無いの?」

「うーん。人並み以下だと思う。」

「どうして?」


 そう聞くと、何故か暗い表情をする佐藤くん。


「…僕は人を信じるのが得意じゃないんだよ。」

「うん。」

「人って大体裏の顔と表の顔があって、皆自分を偽っているだろ?僕はそういうのが嫌なんだよ。橘さんだってそうだろ?」

「……うん。」


 すごく共感出来る。私の周りにも、表面は仲の良い友達を装って、少しでも隙を見せたら噛み付いてきそうな人が沢山居た。


「だから、人の言うことは基本信じないようにしてるんだ。きっとその人の本音じゃないから。」

「………そうなんだ。」

「あぁ、でも、3日前橘さんが色々言ってきた時は、橘さんの本音が聞けて本当に嬉しかったよ。」

「……っ!」


 そう言ってからニコッと笑う佐藤くん。


 その笑顔は、偽装されたものではなく、自然と出た笑顔だった。


 私は思わず、佐藤くんに見惚れてしまう。


 って言うかあれ?佐藤くんちょっとイケメンじゃない?前髪上げたらめっちゃイケメンにならない?!ちょ、ちょっと見たい!


「ね、ねぇ!」ガラガラッ


 ちょうどその時、教室に人が入ってきたので、会話は中断された。

 会話を続ければいいと思ったのだが、あまり関わらないで欲しいと言われた手前、無闇に話しかけることは出来なかった。


 佐藤くんの素顔を見ることは叶わなかった。




◆ 佐藤 楓 ◆


 な〜んか最近妙に絡んでくるなぁ橘さん。


 朝だし誰もいないからいいんだけど、僕としてはどうしても警戒してしまう。

 女が嫌いっていうのもあると思うけど、僕はそれ以上に女の経験値が足りない。


 女の扱い方とか分かんないし。

 陽キャの奴らは上手いことやるんだろうなぁ…


「おーい、楓?」

「ん」

「これから体力テストだぞ。」

「あぁ、そうだった。」


 この高校は行事を詰め込みすぎている気がする。まだ入学してから3日しか経ってないぞ?

 それなのに体力テストって…


「よし、今回は何を本気出す?」

「どうせ50m走とシャトルランだろ?」

「その通り!」


 僕は中学時代めちゃくちゃ努力したおかげで運動は出来るが、それがどうも規格外らしい。

 

 中学の頃、体力テストの全種目で学年1位を取った時はかなり注目を浴びた。

 それ以来、僕は2種目だけ本気を出すことによってあまり目立たないようにカモフラージュすることにしたのだ。

 実は言うと運動は好きな方だ。だから体力テストで2種目しか本気を出せないのは苦肉の策なのである。





「位置についてー、よーいどーん。」


 抑揚のない声でスタートし、生徒は2人ずつ走っている。

 っていうかここの先生は皆やる気がないのか?


『おおぉ!』


 周囲がどよめいたと思ったら、橘さんともう1人の女が走っていた。


「や、やべぇ!めっちゃ揺れてるぞ!」


 僕の隣で悠太が興奮したように騒いでいる。


「悠太、幼児体型にしか興奮しないんじゃないのか?」

「まぁそうだけど、あれはあれで良きかな!」


 そういうもんなのか?


 っていうか男って皆女のお胸とお尻と顔しか見ないんだな。

 性格と内面を無視して人の価値を決めるとか稚拙すぎると僕は思う。

 それこそ、走って胸が揺れたくらいで騒ぎ立てるとかもうしょうもなさすぎて笑えてくる。


 ふと、橘さんがいる方目を向けると、橘さんは走り終えていて、腰まである長い黒髪を風に靡かせ、額の汗を拭っていた。


 おっふ。


『おっふ!』


 男子全員が今の仕草でやられたらしい。

 かくいう僕もやられそうになった。危ない。やはり橘さんは危険だ。今後どう接していくか考えなくてはならないかも。


「おい、楓。俺らの番だぞ。」


 悠太に呼ばれたのですぐに配置に着く。


「位置についてー、」


 ふと、ゴール地点に目を向けると、橘さんがこちらをじっと見ていた。


 やりずらいな。


 まぁいい。気にしない。僕は全力を出すだけだ。


「よーいどーん。」


 僕と悠太は一斉に走り出す。


 僕は悠太を早い段階で引き離し、さらにギアを上げていく。


「5.6!」


 先生がそう叫ぶと、辺りにどよめきが広がる。


「6.4!」


 遅れて悠太もゴールする。


「いや、楓。お前速すぎ。」

「これも全て、中学時代に努力しまくった結果だな。」

「何をやったらそんな速くなるんだよ。」


 周りでは、「誰だあいつ」「悠太くんかっこいい」「やべぇ!めっちゃはえぇ!」など、騒ぐさつらばかりで、今にも僕達の方に近寄って話しかけようとしている。


「じゃな、悠太」

「おう。」


 悠太に一声かけておく。

 僕はなるべく話しかけられたくないので、すぐに『近寄るなオーラ』を出す。

 俯いて猫背をし、悠太からそれとなく離れて端に寄る。


 完璧だ。


 僕はいつも、話しかけられるのを避けるためにこうする。悠太もそれがわかっているので、何も言うことは無かった。


 案の定、僕に話しかけようとした人は皆離れていく。

 いくら足が速いとはいえ、根暗でぼっち気質のやつに話しかけても意味が無いと思ったのだろう。


 それでいい。


 人間とは不思議なもので、頭が良くても不細工だと誰もその人に話しかけない。逆に、頭が悪くてもイケメンであれば、皆その人に話しかけに行く。

 その人の纏う雰囲気に惹かれ、ほんの少しでも好感があれば話しかける。人の本質を見ようとしない。

 要するに、自分に箔をつけたいのだろう。「俺、いつもイケメンと一緒にいるぜ」みたいな。


 優越感を得るためだけに、イケメンに近づく。

 そこにあるのは、打算だらけの人間同士の化かし合い。



 餌に群がる豚共め。




(あぁ、クソ。性格悪いな僕。)


 僕は人の集団の中心にいる悠太を見る。


 もっと純粋な気持ちがあれば、陰キャであれぼっちであれ、絶対に話しかけに行く。


 そうでなければ、僕は悠太と親友にはなれなかっただろう。


「ねぇ!君、すっごい速かったね!」


 俯いて歩いていた僕の視界に、ポニーテールの女が入り込んできた。


「あ、うん。どうも。」


 僕はぎこちない返事しかできない。

 って言うか、誰だよこの女。


「あ!ごめんね、いきなり話しかけちゃって!私は鳳苑路心音ほうえんじここねだよ!すんごい名前でしょ?同じクラスなんだよっ!」

「あぁ、うん。へぇ〜。」


 あぁ〜あの人か。知ってる知ってる。僕達のクラスの陽キャだ。橘さんと話しているのをよく見かける。


「君の名は!?」

「あぁ、佐藤楓です。」

「あれ?!スルーされた?!っていうか敬語やめてよ!」


 ぷんすか、という効果音でも出てきそうな可愛らしい怒り方をする。


「もうっ!今ボケたつもりだったのにぃ〜!」

「あぁ、ごめん。気が付かなかったよ。あれでしょ、某人気映画のことでしょ?」

「もういいですよ〜だ!」


 頬を膨らませている。なんだか可愛らしいな。顔も橘さん程ではないが、整っていて美少女だ。

 なんだかそう考えると、橘さんがいかに規格外の美少女か思い知らされるな。


「なぁ。ごめんて。なんか奢るから。」


 未だに頬を膨らませている美少女にそう言ったが、それを聞いた途端に太陽のような明るい笑顔になった。


「うん、許す!その代わり、私のことは心音って呼んで!私たちもう友達でしょ?」

「うん…え?友達?」

「ん?そうだよ?」


 は?待てよ。何言ってんだこの女。友達?巫山戯んな。そんなノリで話しかけてきた奴を友達だと思えるかよ。きっと何か裏があるに決まってる。


「はぁ〜…」

「え、な、何?」

「何が目的だ?」

「え?」

「僕を通じて悠太と繋がりたいのか?それなら悠太に直接話しかけるんだな。悠太はそういう間接的なことは嫌いだぞ。」


 僕が考えたことは、この女が僕を通じて悠太と仲良くしようという魂胆ではないか、ということだ。これが一番可能性がある。そうでないと僕に話しかけるなんてことは絶対にしない。

 僕と話したって、無意味だから。


「…………」

「…どうした?」


 黙って俯いてしまった。図星だったのか?


 そう思っていると、いきなり顔を上げて僕を見つめてきた。

 その表情は、いつになく真剣で、真っ直ぐに僕を捉えている。


「……ど、どうしたんだよ。」

「あのね、私、別に悠太くんと仲良くなりたいから話しかけた訳じゃないよ。」

「え?」

「私は、佐藤楓と友達になりたいから話しかけたの。」

「………は?」


 有り得ない。どうして?僕の何がこの女を惹き付けたのか分からない。


「どうして、僕なんか…」

「私は、純粋に仲良くなりたいの。他でもない、佐藤楓と。」


 懐かしい感覚だ。


 確かあれは、3年前の春だった。同じように声をかけてきた1人の男がいた。そいつとは今も仲良くしていて、親友になったっけ?


 悠太なんだけど。


「…ごめん。疑うようなことを言って。」

「良いって〜!じゃあ、これからは私の事、心音って呼んでね!」

「わかった。よろしく、心音。」

「うん!よろしくね!楓くん!」


 人生で初めて、異性の友達ができた。

 そんな実感は湧かないが、きっと心音とも、悠太と同じように信用できる友達になるかもしれない。いや、そうなって欲しい。


「話は終わった?」


 どこからともなく、橘さんがやってきた。


「うん!れいちゃんありがとね!」

「ちょっと、人前でそういう呼び方はやめてって言ったでしょ?!」

「えぇーいいじゃん。楓くんしか居ないんだし。」

「か、楓くんって、あんた……」

「それに、れいちゃんと楓くんはもう友達でしょ?」

「っ!」


 友達。そう聞いた瞬間、橘さんの体が強ばったのが分かった。

 そして、恐る恐る僕の顔を覗く。


「と、友達……なの、かな?」


 上目遣いにそう聞いてくる橘さんは、本当に心臓に悪い。


 とはいえ、僕は橘さんのことを悪い人には思えない。ここ最近、朝話している感じだと、とても純粋な人だと思う。


「そうだな。僕とはもう本音で話し合った仲だからな。友達なんじゃないか?」

「っ!そう、よね!うん。友達よ!私のことは麗華って呼んでね!」

「分かった。僕の事も楓でいいぞ。」

「うん!」


 嬉しそうに笑う橘——麗華。

 麗華の自然の笑みを見るのは、これが初めてだ。


「そんな風に笑うんだな。」

「あっ」


 麗華は直ぐに顔を強ばらせる。


「そんな風に隠さなくていいよ。凄く可愛い笑顔だったと思うよ。」

「かっ!かわっ!かわわわわっ!!」


 麗華は顔を真っ赤にして、そっぽを向く。

 あれ?僕なにかしたのか?ただ褒めただけなのに。


「はっ!そ、それよりも!ちょっと」

「あ、おい…」


 麗華は、急に振り向いたと思ったら僕の方に近づいてきて、僕の前髪を手で退かした。


「あっ……………」


 僕の顔を見て暫く固まっていた。

 

 しばらくすると、急に僕から距離をとって走ってどこかへ行ってしまった。


「あれ、僕なんかしたか?」

「うーん。ちょっと見せて!」


 そう言って同じように僕の前髪を手で退かす心音。


「あっ…………………」


 麗華と全く同じ反応をする心音。


 先程と同じように勢いよく僕から距離をとった。


「あ、あの!私、ちょっとお花をつみに行ってくるぅ〜〜!!!」


 そしてまた勢いよくどこかへ行ってしまった。


 残された僕は


「…………えっ、あれ、涙が…」


 そんなに酷い顔をしているのか、と、絶望していた。

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