第7話 芽生え始めた思い
これは高校入学前の春休みの出来事である。
その日僕は、悠太に映画を見に行こうと誘われて映画館に来ていた。
「なぁ、何観るんだよ。」
「ふっふっふ、観てからのお楽しみだ!」
もったいぶって館内に入ったはいいが、見渡してみるとカップルが多い。
「おい、まさか恋愛映画じゃないよな?」
「な、なぜ分かった?!」
「いや、どう見てもカップルしか居ないし。」
っていうかこんな所に僕と悠太の男ふたりが来て大丈夫なのか?変に誤解されてないか?
……なんかヒソヒソ言われてるし。
僕は乱暴に座席に座る。その隣に悠太が座った。
「なぁ、別にいいだろ?いい機会だ。楓もそういうのに免疫つけておけ。」
「必要ない。現実的にありえない。」
僕が恋愛映画を毛嫌いするのには理由があって、それはこの後すぐに分かる。
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『危ない!』
男がそう叫んで、交差点を渡っている女に駆け寄る。
女は今にもトラックに轢かれそうになっている。
『きゃー!』
『くっ!』
男は、間一髪のところで女を助けることに成功した。
『大丈夫かい?怪我はないかい?』
『は、はい…ありがとうございます!』
ズキューンッ!
女がお礼を言った後、変な音とともにハートが撃ち抜かれるエフェクトが出てくる。
いや、おかしい。
あのな?ひとつ言わせてくれ。
助けてもらったくらいで惚れるか普通。確かに命を救ってもらった感謝はあるかもしれない。だけど、もし、その助けてくれた人がこの映画に出てくるイケメンじゃなくてブサイクだったら???
惚れないだろ絶対。
だって女ってそういう生き物じゃん。まぁ逆も然りなんだけど。
そもそもなんなんだよこの、イケメンに対するチョロインっぷりは。イケメンが消しゴム拾ってくれたら惚れてしまうようなもんじゃないか。
とまぁ、そんなこんなでヒロインがチョロインっぷりを発揮しつついよいよクライマックスに来た。
『みちこ!』
『は、はいっ!』
『俺はお前のことが好きだ。初めて会った時から運命を感じていたんだ!お前なしでは俺は生きていけない!ずっと、俺のそばに居てくれ!』
『はいぃっ!』
待て待て。何だその臭いセリフは。現実でこんなこと言ったら引かれるぞ。
僕は辺りを見渡す。
ある人は頬に手を当ててうっとりしている。またある人はパートナーとイチャイチャしている。そして僕の隣に座る悠太は…
「ひぐっ、えぐっ、ぐずっ…」
号泣していた。
とりあえず悠太は置いといて、女たちは何故このセリフでうっとりしているのか。現実で言われたらドン引きするくせに、何故映画の中でイケメン俳優がやるとうっとりするのか。
本当におかしい。現実で好きな人から臭いセリフ言われたら引くくせに。
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とりあえず僕が恋愛映画を毛嫌いする理由なのだが、僕は現実的ではない恋愛、つまり、人の理想や妄想を現実化した映画や漫画が大嫌いなのだ。
そして、映画の中にもでてきた臭いセリフを、映画館で聞いた時と告白で言われた時の女の反応の違いも嫌いだ。
かといって、僕自身恋愛が嫌いという訳では無い。
ただ、僕は愛情を知らないので、人を愛する気持ちがわからない。
『愛する』という表現は少々重いかもしれないが、恋愛というのは『好意』から始まって『愛』に収束するものだと僕は思っている。
だから必然的に、僕は人を好きになれない。
そもそも言い寄ってくる女なんていないし、もし居たら信用出来ないけど。
ちなみに悠太が泣いていた理由は、イチャイチャするカップルを見て悔しかったからだそうだ。
◆
シャトルランが終わった後、僕は人との接触を避けて先に教室に行こうとしていた。
「ねぇ、楓くん!シャトルラン凄いね!」
そう話しかけてきたのは心音だ。隣に麗華もいる。
なぜここに?
「あ、ありがとう。」
「楓、本当はもっと走れたでしょ?」
知っているぞ!と言わんばかりに自信ありげに話しかけてきた麗華。
「さぁね。っていうか、なんで2人はここに?」
「あ、いや、えっと、私は、別に……」
モジモジしながら言い淀む心音。
心音の身長は麗華より小さいので、モジモジしているその様は小動物のようだ。
って!いかんいかん。何を考えているんだ僕は。心音のこの態度もわざとかもしれない。
でも、僕と真剣に友達になりたいって言ってきたし………
「ふ〜ん。」
思案していると、僕と心音をつまらなそうに見ている麗華が声を漏らした。
「な、なんだよ。」
や、やばい。もしかして、小動物とか思ったのがバレたのか?
「ううん。別に?」
「そ、そうか。それで、麗華はなんでここに?」
「あ、私はね、シャトルラン走ってた楓くんがかっこよくて、お疲れ様くらい言いたかったからだよ。」
「ななななっ!」
麗華の言葉に反応したのは、僕ではなく心音だった。
僕は反応する間もなく、麗華がポロッと言ったことに困惑していた。
(か、か、かっこいい……だと……?)
恋愛映画の中だけの事かと思っていた。
まさか、自分が『かっこいい』と言われることになるとは思わなかった。
「あ、あ、あ、あああ……」
自分でも顔が赤くなっていることが分かる。
どうして僕が、こんなウブな反応をしてしまうのか。
経験が無いからだ。
僕みたいな陰キャぼっちに話しかける人など皆無だったので、かっこいいなどとは無縁だと思って生活してきた。
仮に言われたとしても、すぐに嘘だと思って反応しない。
でも、僕は麗華のからかいを見抜いたことがある。その時に出た癖で、麗華はからかう時には口角が上がる。
しかし、この時は無かった。
真顔で、僕の目を見つめて、訴えてくる。
本音だという事を。
僕はたまらず顔を背ける。
「あ………ありが、とう。」
「うん!」
ちらっと見た麗華の顔は、50メートル走を走った後に見たものと一緒だ。
『自然と出た笑顔』だった。
「か、楓くん!」
「は、はい!」
未知の感覚に戸惑っていたところ、急に心音に声をかけられたので、反射的に敬語になってしまった。
「わ、私も!楓くんのこと、かっこいいって思ったからぁ!」
大声でそう言って、教室の方へ走っていった。
辺りにざわめきが生じる。
「誰がかっこいいって?」「誰が言ってたの?」などと言葉が飛び交う中、僕はもう思考がぐちゃぐちゃになっている。
「な…………なに………あ」
いきなり、麗華が僕の手を握ってきた。
「あのね、楓。」
麗華は、空いている方の手で僕の前髪を退かした。
顕になった僕の目をしばらく見つめ、目と鼻の先まで僕に近づいてくる。
「私たち、本気だから。」
そう言って、心音と同じく、教室の方へ走っていった。
僕は勢いよく肺に空気を取り込んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
シャトルランをした後よりも疲れている気がする。
動悸が治まらない。
この気持ちは、何なのだろう。
今までは、女と接触することも少しはあったが、全くドキドキしなかった。
それなのに、どうして………
疑問が尽きない。頭に血が上ってまともな思考をすることが出来ない。
シャトルランの影響もあったのか、僕の視界が次第に狭くなってきた。
教室に戻ろう。
2人が居るかもしれないが、これはちょっとまずい。
そう思って足を踏み出したつもりだったが、力が入らなくなり前に倒れようとした。
「おいおい、危ねーぞ。」
咄嗟に支えてくれたのは、僕の親友の悠太だった。
「保健室に連れてってやるから、今日の帰りに詳しく事情を聞かせてくれよ。」
それっきり何も言うことも無く、僕に肩を貸して保健室まで連れていってくれた。
やはり持つべきものは信頼出来る友だ。
薄れゆく意識の中で、そう思った。
◆
「さて、聞かせてもらおうか!」
僕と悠太は今、帰路に就いている。
あの後保健室で、僕は死んだように眠った。目が覚めた時にはもう放課後だった。
教室に行くと、まだ人が残っていたが、僕に声をかけることはしなかった。遠巻きに見てコソコソと話すだけだ。
別に今に始まったことではないが、居心地が悪い。
そう思っていると、僕の前に2人の女が現れた。
「えっ?」
何を思ったか、1人が僕の手を握ってきた。
僕の心臓が、ドキンッと大きい音を立てる。
「あ、あの!楓くん!また明日ね!」
「あ、お、おう。」
「楓、バイバイ。」
「う、うん。」
手を握ってきたのが心音で、もう1人が麗華だった。
2人は僕に声をかけたあと、2人仲良く帰っていった。
……まぁこんなことがあれば悠太も聞いてくるよな。
そこで僕は、麗華と心音と友達になったことを説明し、そのあとの出来事も話した。
「あ〜、うん。なるほどなぁ。」
悠太は、どこか納得したような顔で頷いている。
「どうしたんだよ。」
「いや、まず楓が俺以外に友達を作ったってことに驚きなんだが………そっかぁ、橘さんと
「おい、だからなんなんだよ。」
「いいや、これは俺の口からは言えない事だ。楓が自分でしっかり考えろ。愛を知らない楓には必要な事だぞ。」
悠太はもちろん、僕の家の事情を知っている。それを踏まえた上で必要な事なのか?
…うーん。分からん。
ただ、凄くドキドキした。心臓の脈が、いつもの3倍以上早くなった気がする。
…………確か同じような事が、前にあった。
高校入学前の春休み。僕と悠太で観に行ったあの恋愛映画のワンシーン。
ヒロインの女が、一目惚れした男の手に触れて、鼓動が早くなるシーン。
あのヒロインと同じ事が、僕に起きている?
まさかな。そんなことありえない。
僕は今まで好意を向けられたことが無いし、どういうものかすら知らない。
でも、脳裏に焼き付いて離れないのは、2人の屈託のない笑顔。
…なんだか変な気分だ。
興奮ではなく、高揚でもない。体がフワフワしている感覚だ。
それからは、親友と黙って歩いていた。
僕に聞こえているのは、人の声、車の音、工事の音。
そして、穏やかに脈打つ僕の心音だった。
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