30話 勝ちヒロインはめんどくさい


思えば姫乃ひめのはずっと言っていた。


兎和とわちゃんみたいに楽しく出来たらいいのに』

『兎和ちゃんはすごいね、一緒に暮らしてても楽しいでしょ?』

『わたし……兎和ちゃんみたいにうまく喋れないから………』

『夏は……楽しかった』

『本当に? 本当に? 最初から? 最初からずっと楽しかった?』


 僕が楽しんでいるのかをずっと気にしていた。そういうことか。人見知りの姫乃が、兎和だけを輪の中に入れるのは、兎和とだけ繋がろうとするのは……。

「……兎和ちゃんがいれば、夏は楽しんでくれるでしょ?」

 僕にフラれないためだったのか。


「だから、先に兎和ちゃんとデートして欲しかったの。それで兎和ちゃんと同じ場所で同じことをすれば夏は楽しんでくれるかなって。バカだよね。そんなことしても意味ないのに。ごめんね、気持ち悪くて。わたし、気持ち悪いよね? 嫌いになったよね?」


 懸命に涙を堪え、声を震わせる姫乃。その小さな肩を力いっぱい抱き締めた。


「ごめん、姫乃。やっぱり僕のせいだ」

 今初めて気が付いた。僕、姫乃の前で一度も笑ってなかった。

 少なくとも兎和に見せるような笑い方は一度もしていなかった。姫乃に嫌われないようにするのに必死で、カッコつけるのに必死で一度も心の底から笑っていなかった。

 やべー、バカすぎる。

「そりゃあ、不安になるよな。マジごめん。僕から姫乃をフルとかありえないから」

「本当? 本当に?」 

「うん、絶対だ」

「わたし………夏の彼女でいいの?」

「いい! めっちゃいい! それしかない。こっちこそお願いします!」

「嬉しい。嬉しいよぉ、好きぃ。大好きぃ」

「うん、僕も好きだぞ。でも、ごめん。僕ってバカなんだわ」

 こうして言葉に出してくれないと、大好きな恋人の気持ちすらわからない。

「だから、今度からはなるべく思ってることを口にしてくれると助かるんだけど」

「……本当にいいの?」

「え?」

「本当に思ってること全部言っちゃったら。わたしすごく重いし、すごくわがままで、すごくめんどくさい女だよ? それでも本当に好きでいてくれる?」

「お、おう。もちろん!」

 任せとけとばかりに頷くと、姫乃は半眼でジッと僕の目を見つめ、

「……じゃあ、ちょっとだけ」

 意を決して、思いの丈をちょっとだけ吐き出した。


「好き……好き好き好き好き………大好き、ずっと一緒にいたい………ずっとこうしてたい………他の子なんて見ないで、他の子と話さないで、わたしだけ見てて………兎和ちゃんは特別に許す………いい子だし………でも嫌は嫌………その服も嫌………他の子が選んだ服着ないで………でも昨日のゴリラみたいなジャケットももっと嫌、最悪、眩暈がした………わたしが選ぶ………わたしの選んだ服だけ着てて………好き好き好き………なんで夏は好きって聞かれるまで言わないの?………なんでいつもヒメからなの? 夏からも言ってよ………一日十回言って………二十回言って………千回言って………マジックカフェのハートのサインのカード欲しかった………なんでさっさと行っちゃったの? 欲しかった欲しかった………ヒメがホラー苦手なの知ってたのに何でゲーム止めてくれなかったの?………止めたの? もっと強く止めてよ、ほんとに怖かったのに………今も怖い、トイレ行けない………なんでヒメが泣いてたのに笑ってたの?………ヒメがゾンビになったらって話、なんで笑ってたの? 真面目に話してたのに………撃っちゃやだ、一緒にゾンビになって………ヒメも絶対夏を撃たないから一緒にゾンビになってね、約束だよ………レースゲームも悔しかった………負けてよ。なんでいっつもいっつも夏が勝ってるの? 手加減してよ、勝たせてよ………したの? じゃあ足りないもん………下手、手加減が下手………でも、ヒメの玉子焼き食べてくれたのは嬉しかった………泣きそうになった、好き、ほんとに大好き………ほらまた言ってくれない、好きって言ってよ、すぐに返してよ………手が弱くなってる、もっと強くギュッとして………痛いっ、強い、ちょうどいいくらいにして………そうそうそれくらい………今………だから今………今だって! ………今好きって言ってよ………そう、もう一回………もう一回………もう一回、もう一回、もう一回、もう一回、もう百回………嬉しい、ヒメも好き………兎和ちゃんと試着室で何してたの? ………そもそもなんで入ったの? ………何もしてないよね? 触ってないよね? 見てもないよね? ………信じてるから………裏切ったら殺すから………わたしも死んで一緒にゾンビになるから………それからそれから………ううう、やっぱり好き………」

 

 姫乃曰く、気持ちのほんの一部だけを吐き出した。


「ふぇぇぇぇぇん、夏ぅぅ、好きぃぃぃ。あぁぁぁぁぁぁぁん」


 足りない分は涙にして。


  ……なるほどな。面倒くさい女の宣言に嘘偽りはないようだ。

 出てくる出てくる。止まらない。ずっと溜めこんでいた姫乃ひめのの気持ちが止まらない。

 しかし、これくらい受け止めてやるさ。好きな女の好きな気持ちくらい、いくらでも受け止めてやるさ。

 ただし、僕は言葉が達者な方じゃない。だからそれより強い方法で姫乃の気持ちを受け止めたい。

 僕の胸で泣きじゃくる姫乃のあごを少しだけ持ち上げた。涙で崩れそうな瞳が僕を見上げる。

やっぱりこの子は可愛いと思う。

僕の何かを察したのだろうか。姫乃が頬を赤く染め、嫌がるように顔を俯けた。

「――あっ」

 その顔をもう一度持ち上げる。臆病な姫乃の小さな肩がギュッと縮まった。

悪いけど逃がさない。今この瞬間に、姫乃の全ての不安を消し飛ばすと決めたんだ。

「やだ。みんな見てる……」

 逃がさない。

「もうっ……」

 困ったな、一瞬そんな目をしたけれど、姫乃は観念したようにゆっくりと瞼を閉じた。押し出された涙の粒が頬を流れる。

 それを合図にするようにテラスに「わあ」と歓声が上がった。観覧車のライトアップが始まったようだ。屋上にいる全員の視線が空に向く。

「姫乃、大好きだぞ……」

 今うちにキスしよう。

観覧車がみんなの注意を引いてくれている間に。

 誰も僕らを見ていない間に。

世界が僕達二人だけの間に。


「うわぁぁぁぁぁぁん! 姫しゃま、ごめんねえぇぇぇぇぇ!」


 ……なんて言ってたらやっぱり来るよねぇ。この人は。期待を裏切らない割り込み姉ちゃん。


「うわあ、兎和!」

「ひいぃ、兎和ちゃん⁉」

 慌てて飛び退いた僕をさらにもう一歩突き飛ばし、兎和はランニングバックを捕まえるラインバッカーのように姫乃に飛びついた。

「――ぐふぅ」

「ごめんね! うわぁぁぁぁん、ごめんねごめんねごめんねごめんねぇぇぇ」

 そして、尻餅をつく姫乃が呆気にとられるくらい泣きまくり、


「うち……人気者でごめんね………」


 最後に自慢のように謝罪を漏らした。

「え、兎和ちゃん? え、なんで? なんでいるの?」

「姫しゃま、あーん」

「ちょっと、兎和ちゃん、止めて」

「姫しゃま! 姫しゃま! うおー」

「おい、兎和やめろって」

「あ、なっちゃん。大変やで。姫しゃまが、姫しゃまが……いい匂いやで!」

「うるせえよ! てゆーか、なんでいるんだ、お前」

「あ、うん。うち、こっそり二人の後をつけててん」

いや、お前もかい。何やってんだ、君ら二人は何やってんだ。

「あ、違うよ? うちはただ二人が心配で、見守ろうと思って。ほら、二人ともヘタレの盛り上げ下手やからちゃんとデートできるか不安で不安で……」

 悪かったなヘタレの盛り上げ下手で。

「決して邪魔をしようとしたんじゃないから! それだけは信じて」

 両手を分厚い胸の前で組み、兎和は必死に懇願する。つい今しがた莫大な邪魔をしたことなどには全く気付いていない様子だ。

「あれ? あれ? なに、二人ともその感じ? もしかしてうち、何か邪魔してた?」

 キョロキョロと僕と姫乃を見回す兎和。姫乃はふっと吹き出すと、そんな兎和の肘を擦り、

「ううん、助かったよ………危ないところだったから」

 からかうような視線を僕に流した。

 


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