13話 勝ちヒロインがやってくる
もちろん、言い間違いなのである。
持ち前のコミュ障と極度の緊張と
『明日、わたしに付き合ってください』
これが正解である。
………いや、これでも充分びっくりなんだけど。
「え? これ、どうことなん?」
週末、土曜日。兎和は朝から十三回目となる疑問を口に出した。
「マジで? マジで? 姫しゃまが家に来るの? あの可愛い姫しゃまが? 人見知りクイーンの姫しゃまが? うちに会いに? えへへへ。やんやんやん、どーしよどーしよー。ねえ、どーしよー♪」
そして、一秒後にはしゃいでリビングを飛び回り、
「……ホンマにどーしよ。殺されんの、うち? 逃げた方がいいんかな? 約束時間とおに過ぎてるし。武器とか準備してんのかな? どーしよどーしよ」
その一秒後に蹲り、
「マジでどういうことなん、これ?」
その一秒後に十四回目となる疑問を口に出した。
「なっちゃん、どーしよ!」
兎和は、わかりやすく動揺していた。
「おい、聞いとんのか、ボンクラ! 何を落ち着いて座っとんねん!」
「うるさいな、兎和こそ落ち着けよ。本人が言った通りだろ。料理を教わりたいんだよ」
百太郎の作り方を教えてください。
時間をかけて己の間違いを訂正した後、姫乃はさらに時間をかけてそう言って深々と頭を下げた。
百太郎 → 百三郎 → 出し巻き玉子。ここまでの変換に数秒を要したのは、基本的に食欲がなく、出来るなら錠剤で全ての食事を済ませたいと言っていた姫乃と料理の間にあまりにイメージの乖離があったからだ。
「でも、姫しゃまどないしたんやろね。急に料理習いたいなんて」
「さあね、僕が聞きたいわ」
姫乃の家は近所でも有名な金持ちだ。料理を習いたいのなら料理教室でもなんでもいけばいい。よりによってどうして兎和なんだろう。
「やっぱりあれかな、うちの産み落とした百三郎が常軌を逸して美味かったってことなんやろか?」
「知らないよ」
「姫しゃまの舌と心と胃袋を根こそぎ鷲掴みにしたってことなんやろか?」
「知らねーって」
「……なあ、なっちゃん。昨日から薄々思っててんけどさ」
「なんだよ」
兎和は僕の座るソファの背もたれに後ろから肘を乗せると、
「もしかして、なっちゃん…………怒ってる?」
グイッと顔を覗きこんで来た。
「――怒ってないよ」
「いや、顔。ホンマ嘘ヘタやなー」
うるさいな。怒ってるよ、悪いか。
だって、初めての週末だぞ。恋人になって初めての土曜日だぞ。それはもう絶対に、絶っっ対に恋人同士で過ごすべきだろう。
なんで兎和? なんでそっち行った?
映画とか、遊園地とか、買い物とか、スイーツとか、楽しいことがあるじゃないか、色々と。どうしてくれる。密かに大量に買い込んだデートスポット紹介雑誌をどうしてくれる! 最悪、どこにも行きたくないなら家でもよかったんだ。巷にはお部屋デートなる便利な言葉もあるようですし。
なのに、なんで兎和? なんで料理?
まあ兎和が慣れたキッチンで教えたいと言ったから、結局姫乃は我が家に来ることにはなったけれど。それでもやっぱり今日の姫乃のメインは兎和であり、僕は添え物というか、バーターというか、ついでの感が否めない。
「なあ、兎和よ。僕は器が小さいのか?」
「なによ、もう」
当初、僕は姫乃のぼっちを心配していた。人との関わりに背を向けて家庭科室に引きこもる姫乃に、せめて一人でも友達が出来てくれたらと願っていた。それを思えば、こうして自分から兎和を誘ったということは、本来ならば諸手を上げて歓迎しなくはいけない事態のはずだ。それなのに………モヤモヤする。
「なあ、兎和! どうなんだよ、僕はどうなんだ?」
「面倒くさい」
「そうじゃなくて! どう見えるかって話だよ。大きいか小さいか」
「ホンマに面倒いー」
スマホが震えた。これ幸いにと逃げる兎和を見送って画面を指で擦る。姫乃からだ。
――おはよう、夏。今家の前にいます。
やっと来たか。ここは一端心を落ち着けて……。
『おはよう、入りなよ。兎和も待ってるよ』
ふむ、これでいいだろう。器の狭さは微塵も感じられない。己の返信を読み直しているうちに返事は来た。
――無理。
ん?
――ごめん、ちょっと外に出て来てくれる?
「あ、姫乃。おはよう」
「…………まむ」
外に出ると姫乃がいた。朝の定位置、お地蔵様の前でレモンティーのストローを咥えている。表情は、若干曇り気味だろうか。
「遅かったな。家で何かあった?」
「……ううん、別に」
「そっか。まあちょっとくらい遅れたってどってことないけど。入ろっか」
「……遅れてない」
「ん?」
扉を振り返ろうとしたら、姫乃がボソッと呟いた。
「時間通りには着いたの。それで……ずっとここにいた」
「は? なんで? え、待って。時間通りって………三十分もここにいたってこと?」
こくりと頷く姫乃。
「嘘だろ? 入って来たらいいじゃん、寒いのに。家で待ち合わせって、あれだぞ、家の前って意味じゃないからな? 入って来ていいんだぞ」
「……わかってるよ」
「じゃあ、なんで? 入って来なかったん?」
「……………」
察せよとばかりに、姫乃は唇をツンと立ててレモンティーを吸った。
嘘だろ、ここへ来てまさかのコミュ障炸裂かよ。自分で言い出したことなのに。毎朝来てる家なのに。今さら入れないとかあるか?
「………まむ」
あるんだろうな、姫乃に限っては。玄関まで迎えに行くのと部屋に上がるのはハードルの高さが違うとか、制服で築いた関係性は私服になるとリセットされるとか、そんな感じのコミュ障事情があるんだろうな。ごめんな、気付かなくて。
「と、とにかく入ろうか、寒いだろ。入る………よな?」
姫乃が頷いてくれたのを確認して扉を開いた。それでももじもじと動こうとしないので、
「ほら、おいで」
手を伸ばすと、姫乃はしばし視線を泳がせて迷った後、
「……まむ」
おずおずと僕の手を握った。迷ったわりに握る力は相当に強い。可愛い人だな、この人は。
「夏………好き」
「ん」
私服の姫乃を玄関に引き入れて扉を閉める。寒風は心の中のモヤモヤも綺麗に吹き飛ばしてくれていた。
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