14話 負けヒロインはタグを見る
「やーん、姫しゃま私服可愛い――っ!」
「……あ、えっと、兎和ちゃん。きょ、今日は……」
「いらっしゃいいらっしゃい! いやー、嬉しーわー、姫しゃまが遊びに来てくれるなんて! 狭くて汚くて古いなっちゃんの家やけどゆっくりしってってなー」
失礼過ぎるだろ、お前。
「……う、うん。きょ、今日は……」
「あ、コートかして、かけとくわ。うわっ、軽っ! 尚且つあったか! やっぱりええとこのブランドやし」
タグ即見? コートを預かって躊躇わずにタグをガン見できる神経よ。
「家賃や、家賃。この一着で2LDKの家賃やで」
独特な金の例えをするんじゃないよ。
「……あ、あの、きょ、今日は……」
「どうどう? 似合う、姫しゃま? 2LDKを纏ったうちはどう?」
「着るんじゃねえよ!」
あと姫乃にも喋らせてあげてくんないかな。さっきから『今日は』しか言ってないからさ。
「あははは、ごめんごめん。喋り過ぎやな、うち。ついついテンション上がってもうて。改めまして、姫しゃまいらっしゃい」
「あ、うん………きょ、今日は……よろしくお願いします」
唐突に話を振られた姫乃は戸惑いながらも、何とか念願の『今日は』以降を口にしてぺこりと頭を下げた。
よく言えた。よく言えたぞ、姫乃。何かもう泣きそうだ。
最初はどうなることかと思ったが、なにわともあれ兎和の料理教室開講である。
「やーん、姫しゃまエプロン可愛―――っ!」
いや、まだだ。まだ始まらない。今度は姫乃のエプロンいじりが始まった。
「手触りもつるつるやし。ほら、やっぱりいいとこのやつや。てゆーか、エプロンなんか作ってんの、このブランド」
だからいきなりタグを見るんじゃないよ。
「よ、よくわかんない……家にあったやつ適当に持って来ただけだから………」
「いや適当って! こんなブランドのエプロンが適当に生えてくる家って! こーゆーもんは普通百貨店の二階にしか生息してないもんなんよ?」
早く料理始めろよ。
「えー、とゆー訳でね。出し巻き玉子ということで。教えるもなにも簡単よ、こんなもん。玉子割って放っておいたらいつの間にか出来上がってるから」
大嘘つくな。
「……玉子を割る……わかった。怖いけど……包丁頑張る」
「頑張らない頑張らない。玉子割るのに包丁の出番はないから。すごいな、そっからか。手でいいんよ。最初は両手でいってみよか」
「う、うん」
兎和は不安げな表情で玉子を手に取ると、
「ふーん!」
板チョコでも割るかのように両手で左右に引っ張り始めた。
「お、おお、マジか……」
引かないで、先生。気持ちはわかるけど、引かないで。
恐々とこちらを振り返る兎和に必死でアイコンタクトを送る。そーゆー子なんです、真面目にやっているんです、と。
「そ、そうか。えーっとね、姫しゃま。じゃあ、一回手置いて。玉子を割る時はぁ、こうやって台にぶつけて――でいでい! そこから両手で、ほら割れた」
慣れた手付きで玉子を割って見せる兎和、ツルンとした黄身がボールの中でブルンと震えた。
「……すごい。天才」
「あ、ありがとう。じゃあ、姫しゃまもやってみよか」
姫乃の尊敬の眼差しに困惑しつつ、それでも笑顔を絶やさない兎和はすごいと思う。
「玉子を台にぶつける………えい……」
「ソフトぉ~。玉子への優しみがすごいわ、姫しゃま。でも、ヒビ一つ入ってへんからもうチョイ強く行ける?」
「強く………振りかぶってぇ」
「高い高い。頭の上まで振り上げんでいいから。そやな、最初は一緒にやろか」
二人羽織をするように、兎和は姫乃の背中に張り付いて玉子を持つ手に掌を重ねた。
「まむっ!」
「どうしたん?」
「……な、なんでもない」
わかるぞ、姫乃。兎和は女子へのパーソナルスペースがぶっ壊れているんだ。テンションが上がれば平気で抱き付くし、上がらなくても手は握る。コミュ障からすればありえない距離感なんだろう。
頑張れ、姫乃。これも料理の訓練だ。個人的には、エプロン女子二人が抱き合ってる姿はとても麗しく思うが、そーゆーこととは一切関係なく料理の訓練を頑張れ、姫乃。
「よし、ほないくよ。せーの、でい!」
「割れた!」
「そしたらヒビに親指をかけてぇ、一気に割る」
「ひぃ、ベトベトする」
「そんなもんやから! はい、一気に!」
「えいっ」
つるりと黄身がボールの中に滑り落ちた。
「……できた」
「はい、完璧。上手やで、姫しゃま」
「か、完璧………」
兎和に褒められたのがよほど嬉しかっただろうか。姫乃はパッと顔を輝かせて僕を振り返ると、
「えへっ」
べったべたの指で鼻の下を擦ってみせた。
そして二時間後。
「うう、怖い……いぃぃ……きゃあ! わっ、できた……」
「おお、ええやん! 初めてにしては上出来よ。ばっちりばっちり!」
姫乃は爆発物でも扱うかのような手付きで、玉子焼き鍋から玉子焼きを皿に移し替えた。そして、卵液でべたべたになった手をエプロンで拭い、傍らの兎和を振り返る。
「ほんとにばっちりなの………これ?」
「え? あーん。うん、間違いないよ」
「色が……紫色になっちゃったんだけど」
「いいやん、紅イモ。うち紅イモ大好きよ。入ってないけど」
「形が……見本と全然違うけど」
「ロックよね、枠にはまらんこの感じ。長方形の鍋で……四国? 四国に作れるなんてマジヘビメタやん」
「焼き具合は……これでいいの?」
「いいよ。一個の玉子でレア・ミディアム・ウェルダンのグラデーションが成立してるというこの奇跡、素敵やん」
「……………………………」
姫乃は頭に巻いた三角巾を外し、改めて皿の上で湯気を放つ玉子をマジマジと凝視すると、
「……ほんとにばっちり?」
「ばーっちりばっちり。重要なのは味やから。見た目なんてどうでもええの。食べて美味しければそれでばっちり。とゆーわけで…………なっちゃん食べて?」
「よし、まかせとけ」
皿を取り寄せ、箸を握った。
「いや、ホンマに食べたらあかんやん!」
その腕を兎和がガシッ捕まえる。
「離せ、兎和。食べていいって言っただろ」
「冗談に決まってるやんか! こんなもん、マジで食べてどうすんの。聞いたことないような病気になるで」
「ならないよ」
「なるよ。わけのわからん外人の名前が付いた病気になるよ!」
「バカ言うな。玉子焼き食べたくらいで病気になんかなるか、普通」
「普通はね! 普通の玉子焼きはそうやねんけど! これは特別っていうか何ていうか、出来た瞬間に賞味期限が五年切れてるっていうか……」
「いただきまーす」
「待って!」
今度は姫乃が皿の方を奪い取った。
「
「無理?」
「うん」
不安げに眉を顰めて頷く姫乃。
「わかった、無理はしないよ」
姫乃に嘘はつきたくない。僕は絶対に無理をしないと約束して、玉子焼きを口に放り込んだ。
「うわー! 何してんの!」
「バカ、無理しないでって言ったでしょ!」
うるさいなあ、もう。何を騒いでいるんだよ。
「姫乃が無理をするなって言ったから、我慢せずに食べたのに」
「が、我慢せずにって………」
「なっちゃん、マジ言ってんの、それ?」
なんだ、二人ともその顔は。彼女が初めて作った手料理だぞ、食べたくない男がいるもんか。あの危なっかしい手付きから察するに、恐らく姫乃は料理自体が生まれて初めてのはず。
普通なら家族とか友達の口に入ってしまう可能性の高い人生初料理、それが目の前にあるのならこんなチャンス逃す手はない。マスト・イートだ。
「でも……美味しくないでしょ?」
もじもじとエプロンの裾を弄る姫乃。
ふむふむ。確かになんかじゃりじゃりするし、べたべたするし、パサパサするし、カリカリするし、ピリピリする。口の中がオノマトペで一杯になる独特な味だ。
「うん、美味しくはないな」
「――ふぐっ」
「なっちゃん!」
「でも嬉しかったわ、ごちそうさん」
そう言って手を合わせると、ボッと姫乃の顔が炎上した。
「そ、そんな……ど、どういたしまして……わたしも、嬉しい」
「うわー、姫しゃまのテレ顔可愛ぃー」
ついでに兎和の顔もにまっと崩れる。
なんか知らんが、二人とも嬉しそうなので良かったと思う。
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