7話 勝ちヒロインとランチデート


「ごめんごめんごめんごめん、なっちゃん、ごめん。あれは違うから。あの宣言はあくまであの場を乗り切るためだけのフェイクであってうちは決して………」

「わかってるわかってるって!」


 わかってるから耳打ちはやめてくれ。

 朝のHR明けである。

 血相を変えて飛んできた兎和とわを視線で制した。教室の熱狂は担任教師の一喝でようやく収まったものの、余熱はまだチラチラと燻っている。下手なことをするとまたどんな冷やかしの矢が飛んで来るかわからない。

一度は応援すると言ったものの、貝原かいばらを始めとする女子の軍団の皆様はやはり兎和の宣言を完全には信用していないようで、僕達が接触を図るとチラチラと探るような視線が飛んで来た。

 あんな騒ぎはもうたくさんだ。取りあえず今日のところは余計な誤解を生まないよう、コミュニケーションは必要最小限に留めよう。そんな取り決めを交わして、僕達はお互いの席に分かれた。

「なっちゃん、なっちゃん」

 いや、取り決め! 必要最小限だっつってんだろ。

 一時間目終了後、早速寄って来た兎和に牽制の視線を送ると、空気を読んだ幼馴染はごめんごめんと頭を擦りつついったん身を引き、

「なっちゃん、なっちゃん」

 次の休み時間にやって来た。

 そうじゃない。そうじゃなんだ、兎和。絶対にまだ早いから。女子達が全員見てるから。そんな思いを視線に乗せれば、兎和はまたぺしっとおでこを叩いて後退り、

「なっちゃん、なっちゃん」

 次の休み時間にやって来る。取り決めとは!

「なっちゃん、なっちゃん」

「だから、取り決めぇ!」

 そんなこんなで休み時間の度に襲来する兎和を回避していたら、いつの間にか昼休みになっていた。今日の教室に長居は無用だ。鞄を引っつかみそそくさと席を立つ。

「なっちゃん、なっちゃん」

後ろからまたぞろ誰かの声が聞こえた気がしたけれど、あくまで気がしただけなのでそのまま教室を後にした。



学食に殺到する生徒達の流れから一人離れて渡り廊下へ出る。

特殊教室棟へと繋がる廊下にはひとっこ一人歩いてはいなかった。無人の渡り廊下を足早に通過して階段を下る。

 ……いや、待てよ。

 気が変わって、そのまま二階のトイレに入った。尿意はないが手を洗って、口を濯いで、鏡に向かって髪型を直してみる。

「どうかな、今日の僕?」

 お世辞にもイケメンとは言えないけれど、特別悪いって訳でもない顔に向かって問いかける。まあまあだよ、そんな答えが返ってきた。

 よし、行くか。念のため、もう一度口を濯いでから、高鳴る胸を抑えてトイレを出た。

 階段を下ると、中庭に面した一階東側に目当ての家庭科室はあった。キョロキョロと辺りを気にしつつ扉に手を伸ばすと、

 ――ガコン。

 と手が弾かれた。鍵がかかっている。まだ来ていないのだろうか。珍しい。いつもなら瞬間移動でもしているのかって速さで中にいるのに。

「迎えに行ってみよっかな……」

「……まむ」

 そう思って振り返ると、レモンティーのストローを咥えた姫乃ひめのと目が合った。



「座って、ここ」

 家庭科室の扉を開くと、姫乃は定位置の窓際の椅子に座り、僕のために隣の椅子を引いた。家庭科部の唯一の部員である姫乃は自由に鍵を持ち出せるので、昼休みは毎日ここで過ごしている。もはや家庭会室の備品のような姫乃だが、

「今日は遅かったんだな。なんかあった?」

「……うん、ちょっと。人に捕まってて」

「そうなんだ。珍しいな、クラスメート?」

「……知らない人」

「そんなわけないだろう。絶対向こうは知ってるつもりで話かけてるぞ」

「そうかな? 本当にまったく知らない人だったけど」 

ストローを咥えながら首を捻る姫乃。人の顔を覚えないこの性格がある限り、コミュ障克服は難しそうだ。

なつも早かったね。いつももっと遅いのに」

「まあ、教室から真っ直ぐ来たしな」

「うそ、トイレ行ってたでしょ」

「え?」

「……どうかな、今日の僕? まあまあだよ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、姫乃は僕の声を真似た。

「いや、後つけてたのかよ! 止めてくれよ、恥ずかしい!」

 本当に忍者みたいな子だな。てゆーか、独り言を聞かれたのが恥ずかし過ぎる。

「どれどれ、見せてごらん。今日の夏を。本当にまあまあかな?」

「やめろって」

「じー」

「見んなよ」

「……うん、かっこいいよ」

「え、マジ?」

「ふふふ」

「あ、からかってんだろ、やっぱり!」

 嬉しそうに笑いながら姫乃は拍手をするように太腿をぱたぱたと合わせた。

 恥ずかしい反面、貴重な姫乃の笑顔が見れたのがちょっと嬉しい。

自分のホームグラウンドにいるからだろうか、姫乃の笑顔は朝よりずっと柔らかく魅力的に見えた。

「はい、お邪魔すんでー」

 その顔が一瞬にしてビキッと固まる。

 ノックもなく扉が寸法一杯までばしーんと開かれたからだ。

「うえっ、兎和? なんだよ、お前。こんなところまで」

「それはこっちのセリフなんですー! なんでうちがこんなとこまで来なあかんのでしょうかー!」 

 軽ギレ気味の兎和はずかずかと家庭科室に入り込んでくると、

「はい、こちらー! 必要最小限のものですー!」

 学生の昼休みに絶対欠かせない弁当箱を突き出した。

「あれ? これって………僕のやつ?」

「当たり前やろ! なんでうちがうちの弁当箱わざわざ見せびらかしにくんねん。なっちゃん、今日お弁当忘れて行ったやろ」

「え、マジで?」

「え、マジで? ちゃうわ、ボケ! 人が何回も何回も渡してあげようとしたのに、話しかけんなみたいな感じメンチ切ってきて!」

「ぐえ、あれ、そういうことだったのか。ごめん」

「あっげっくっ、どっか行きよるしっ! 空っぽの鞄持ってどっか走って行きよるし! なんやあの背中、スタンドバイミーか! 鞄に夢だけ詰め込んどんのか! 見たことないから知らんけどっ!」 

「ごめんごめんごめん、マジでごめん!」

 そうか、休み時間の度にやって来ると思ったら。アレ、弁当箱を届けに来てくれてたのか。やけに鞄が軽いとは思っていたけれど。やってしまった、そりゃあ怒るのもの無理はない。

「あの、兎和ちゃん………」

「あぁ~ん、姫しゃま~~~。やっぱ可愛いねー。ごめんねぇ、お邪魔して。すぐ帰るからね~~」

 なんか姫乃には随分態度が違うけど、それもまあ無理はない。

 兎和は僕の肩越しに姫乃を見つけると、百点満点の笑顔で手を振り、

「あれ、姫しゃまもお弁当ないやん。忘れたん?」

 目ざとく、姫乃が手ぶらで座っていることに気が付いた。

「あ……えっと、忘れたわけじゃない……けど」

「そうなん? じゃあ、もう食べたん? 姫しゃまって早弁とかする感じの子なんや。意外ー」

「いや、そうじゃなくて……食べないから……昼ご飯」

「は?」

 あ、マズい。兎和の眼鏡がぎらりと光った。

 これは入っちゃったかもしれない……。

「え? え? どーゆーこと? 食べないってどーゆーこと? ダイエット? せんでええよ、そんな薄いのに!」

 ああ、やっぱり。入っちゃったよ、兎和の世話焼きスイッチが。

 姫乃は極端な偏食家な上、極端な少食家だ。出会って一年程になるけれどレモンティー以外の物を口にしているところを見たことがない。本人曰く、基本的に一日一食で夜しか食べず、その代わり日中はずーっとレモンティーを飲んでいるのだという。

「いや、アカンアカン! 何その生活、病気なるで!」

 そして、根っからのお姉ちゃん気質である兎和がそんな壊滅的な食生活を許すはずがなかった。

「ちょっとでもいいから無理してでも食べんと! あんた彼氏やのに何やってんのよ。ほら、どいて」

 兎和は有無を言わせず僕を押しのけると、手早く弁当箱の包みを解き、

「はい、食べて」

 戸惑う姫乃の口元に玉子焼きをずいと突き出した。

「……え? ちょ、え?」

「遠慮せんでええんやよ。どうせなっちゃんのやし。この百三郎はかなりやるよ、めっちゃ美味しいから。はい、食べて。はい」

「百三郎……? 玉子焼き……え?」

「おい、兎和。無理矢理は止めろって、混乱してんじゃん」

「はい、あーん」

「………まむっ」

 あ、食べた。

「どう? 美味しいやろ?」

 兎和の顔に満面の笑みが浮かぶ。

「……うん、美味しい……すごく」

 その笑顔につられるように、姫乃はこくりと頷いた。

 えー、食べた。姫乃が食べたよ、百三郎。すごい、姫乃がご飯を食べるところ初めて見た。恐るべし、世話焼きモードの兎和。

「えへへへー。そうやろそうやろ? じゃあ、次はこっちも食べて、ちくわ天」

「おい、それ僕の弁当だろ」

「ええやんかちょとくらい。姫しゃまはお腹空いてんの。はい、次はこれ。皮なしシューマイ。肉団子やんとか言ったらあかんで」

「やめろって!」

「どう? 美味しい? 美味しいやろ。うちも一口呼ばれよー」

「なんで兎和まで食べてんだよ!」

「なによ、もう。こっちはうちのお弁当やからいいやんか」

いや、そういうことではなく! そーゆーことではなくっっ!

 気付いてくれよ、応援ガール。弁当を届けてくれたことは本当にありがたいんだけど、恋人同士のランチなんだよ。なんでそこに座れるんだ。なんで自分の弁当を広げられるんだ、応援ガールよ。

「はい、次はアクアパッツァいってみよか。レシピも画像も知らんと名前の語感だけで作った問題作やで」

そんなもん弁当に入れるな、応援ガール。頼むからもう帰れってくれよ。そんな意味を込めて咳払いを何度か放ってみるが、

「まっず! さすがにまっずっ! 姫しゃま、これは食べんといて」

 もちろん、ガサツな関西人には届かない。

「てゆーか、姫しゃま肌めっちゃキレーよねー。羨ましい。洗顔何使ってんの?」

 あまつさえ、終わりの見えない美容トークまで始めようって勢いだ。だめだ、こいつ。やっぱり全然応援する気なんてありゃしない。

「あれ、どうしたん? なっちゃん。早くお弁当食べーや」

「うん、食べたいんだけどさ。なんというか、その二人で食べたいなーっつって……」

「二人? 三人やんか」

「いやだから、その恋人同士の二人で食べたいなという……」 

「………あ! そう言うことか! ごめん。めっちゃお邪魔してもうた。ヤバいヤバい、帰りますー」

 おお、気付いた。よかった、一応最低限のエチケットは搭載してくれていたらしい。ほとんど全部口に出して言ってしまったような気もするが、ようやく空気を読んでくれた応援ガールは口をもごもごと動かしながらあわあわと弁当を纏め始めた。


「……待って!」


 しかし、そんな兎和を止めたのは姫乃の珍しい大声だった。

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