6話 負けヒロインは寝取りたい?


「……………」

「あ、もう行く、姫乃? じゃあ、また昼休みにな」


 唐突に会話を打ち切って、姫乃ひめのが僕の側を離れた。

どうやら遠巻きにクラスメートを発見したようだ。人影から人影へ、まるで忍者のように身を隠しながら校門を突破して行く姫乃。

 人見知りの姫乃は教室ギリギリまで知り合いに会いたくないらしい。『学校』という耐久レースはクラスメートに見つかった瞬間に始まるものなのだそうな。

 話しかけるなオーラ全開で足早に昇降口に消えていく姫乃………あ、出て来た。消えたばかりの昇降口からずひゅんとUターンで戻って来た。そして、乱れてもいない前髪を熱心に直しつつ下駄箱の様子を横目で伺い………おお、行った行った。また影のように中に消えていった。下駄箱にいた顔見知りをやりすごしていたのだろう。

 朝から大変だなあ、人見知りって。

 隣のクラスの事情なので詳しいことはよくわからないが、姫乃は教室で浮いてこそいるものの、特に誰かに苛められているとか、嫌われているとかそういったことはないらしい。それでも姫乃は同級生との触れ合いを異常に嫌う。恐れていると言ってもいいほどだ。

 学校での姫乃は教室で過ごす時間を可能な限り削ることに腐心しており、休み時間の度にせっせと教室を出ていっては、開始のチャイムギリギリに戻って来る。そんなことを繰り返していたら、いつしか姫乃は『予鈴』と呼ばれるようになった。

 だからなんだというのだろう。

 姫乃には姫乃の事情があるんだ。

 SNSのフォロワーの多寡が人生の豊かさの指標にはならないし、友達がいなくたってまともに育った人間は一杯いる。わざわざ価値観の違う集団に飛び込んで精神をすり減らすくらいなら、その時間と労力を心ときめくことに費やした方が遥かに有意義じゃないか。姫乃は姫乃のやり方で学生生活を謳歌しているのだ。

 なーんて。

 それらしいことはいくらでも言えるけれど、やっぱり彼氏としては彼女がぼっちだと果てしなく心配だ。なんだよ、予鈴って。人の彼女の動向を便利に利用してるんじゃないよ。友達百人とは言わないまでも、せめて一人、笑顔で話ができる級友が出来たら嬉しいのだけど。

 偶然ポケットから抜き取ったタイミングでスマホが鳴った。姫乃からだ。


 ――やったー、教室侵入成功! 夏のおかげで今日は誰にも見つからずに潜入できたよ。すかさず寝たふりに入ります。また昼休みにね。すぐ来てね。絶対だよ。


 普段無口な分、文章だと饒舌になるのは人見知りあるあるらしい。なんかよくわからないけれど、お役に立てたのなら何よりだ。



「ちょっとやめてよ。知らんし、そんなん。マジでウケる。あはははは!」

 教室に入るとすぐに兎和とわの大きな笑い声が聞こえて来た。こちらは姫乃と正反対で、いつもの話題の中心にいる。

「あははは、マジで知らんし。エルサルバドルの外務大臣なんて」

 どういう話題なのかはわからないが、とにかく教室での兎和はいつも楽しそうだ。

「あ、なっちゃん」

 人気者は目ざとく僕の姿を見つけると、机から飛び降りてパタパタと寄って来た。

「なっちゃんなっちゃん。さっきはごめんな、邪魔してもうて。あの後どうやった? ちゃんとイチャイチャできた?」

 言い方よ。

「ほんまに邪魔する気はなかってんで。ただただ近道したかっただけで。今のうちは完全に二人の応援ガールと化してるから、安心して」

「おう、そうか。ありがとよ」

「ででで、どどどど、どうだった? ちゅちゅちゅ、ちゅー的なことは、ししししはったのかしらー?」

「やめろやめろ、してねーわ」

 さもいかがわしいふうに口元に手を立てて、耳に顔を寄せて来る兎和。

「お、夫婦がイチャイチャ内緒話してるぞー」

「おいおい、そーゆーことは家で済ませてこいよ、夫婦ー」

 そんな僕らを見咎めて、クラスメートからの野次が飛んだ。

 ――夫婦。

 もちろん彼らに悪意はない。僕と兎和が幼馴染で一緒に暮らしていることを知っているから言うだけだ。定型文というか、挨拶代りというか、お決まりのいつものからかいセリフ………なのだけど。

「――夫っっ」

「――婦っっ」

 そんな冗談が今の僕らには効いてしまう。言葉の矢が矢羽の辺りまでズッポリと突き刺さってしまう。

「あれ、どうした夫婦。いつもみたいに夫婦漫才やってくれよ」

「夫婦喧嘩か? さては夫婦善哉用の夫婦茶碗、夫婦石で割っちゃったか?」  

 うおー、矢の雨だ。壇ノ浦ぐらい降って来る。

 日本語ってこんなに夫婦にまつわる単語があったのか。

 どうしよう。そんな視線が僕の兎和の間を一瞬行き交い、

「はいはーい、みんな聞いて聞いてー」

 先に動いたのは兎和だった。見る人が見れば孔雀のように突き刺さっている言葉の矢を欠片も見せず、カラッとした笑顔で手を叩いた。

「発表がありまーす。なんとー、相生夏くんに彼女ができましたー!」

 うそだろ、そういう感じで言うのかよ――そんな意味を込めて兎和のブレザーの裾を引くと、もうしょうがない、さっさとバラしてしまった方がいい――そんな視線が眼鏡越しに返ってきた。

「お、やっとカミングアウトかー?」

「知ってた知ってたー」

「おせーよ、式はいつー?」

 クラスメートはみんないいやつらだ。自分に恋人もいないのに祝福ムード満開で冷やかしの言葉を投げてくれる。兎和はそんなクラスメートに向かい、覚悟を決めるように息吸い込むと、

「その彼女の名前はー!」

「兎和、やっぱ俺が言うわ。三組の亀島姫乃……さんです」

「いよっ、亀島さんやでー。はい、みんな拍手―!」

 

「………お、おー」

 パチ? パチ? パチパチパチパチパチパチ……パチ?


 疑問符を含んだ拍手がさざ波のようにゆっくりと教室に広がっていった。

 すまん、みんな。無理させて。

 期待と異なっていたことは明らかだった。それでも拍手の準備はしていたから一応する、そんな雰囲気で手を叩いてくれるクラスメート達。決して口には出さないが、その頭上には隠しようのないクエスチョンマークが浮かんでいた。

 顔でわかる。一番多い疑問は、

 ――誰それ?

 である。

 クラスとフルネームを読み上げたうえでの誰それは彼氏としてちょっと悲しいけれど、まあ無理もない。姫乃は転校生だし、無口だし。

そして二番目に多い疑問が、


「え、夏って委員長と付き合ってんじゃねーの?」


 である。なんか口に出ちゃってるけど。

 決して口に出さないはずのセリフを軽々と口に出したのは鳩田雄一郎はとだゆういちろう、通称ぽっぽ。山羊座B型バレー部所属。長所は細かいことを気にしないこと。

「え? え? もしかしてお前ら別れたん? 委員長フラれたんか? イカちーなー!」 

 短所は細かいことに気が回らないこと。

「ちょちょ。待てよ、ぽっぽ。わ、別れるとか何言ってんだよ。僕達付き合ってたことなんて一回もないし。なあ、兎和?」

「そそそそそうやでー、ななななな何を言ってんのよー。うううううううちはー、なななな夏のことなんかあっあっあっあっ………」

 うわー、死ぬ死ぬ。兎和が死ぬ。効きまくっちゃってるよ、どうしよう。

「ねえ、あたしもぴょんと相生は付き合ってるって思ってたんだけど。違ったの?」

 一人が一線を越えたらもういいやという思いだろうか。さっきまで空気を読んでいた貝原汐里かいばらしおり(獅子座O型ソフトボール部所属)までが真正面から疑問をぶつけてきた。

「いやだから違うって、マジで。僕達は――」

「ごめん、相生。あたしぴょんに聞いてんだわ。どうなの、ぴょん?」

 ぴしゃりと僕をシャットアウトして兎和に向き合う貝原。少し、怒っているようにも見える。

「え、ええ、えええー。し、しおりんまで何よ。なんでうちがこんな兄弟のなりそこないみたいなんと付き合わなあかんのよ、きしょいなあ。う、ううううちにはちゃんと好きな人がいてるねんから」

「いや、嘘じゃん」

「う、嘘ちゃうし! ホンマにいっし! も、もうかなりいい感じのとこまで攻略進んでっし!」

「誰よ、それ?」

「ええ? それ聞く?」

「聞くでしょ。マズいの?」

「マズくはないけどー、それはー、そのー、なんやったかなー」

「今もしかして好きな人の名前思い出してる? そんなことある?」

 やべえ、しおりん追及厳しい。とてもさっきまで空気読んで拍手していた人とは思えない。

「まままま待ってよ。だだだだだだからそれはそのー……」

「……三年の柏崎かしわざきさん」

「そう、三年の! 柏崎パイセンよ!」

 昇天寸前の幼馴染に耳打ちで助け舟を出した。こういう時は取りあえず誰もが知るイケメン先輩の名前を挙げていれば間違いないだろう。

「柏崎さん、彼女いるじゃん」

 ごめん、大間違いだったわ。

「あ、ああああれ? そそそそうやったっけ?」

「うん、女子大生の彼女。ちょっと前から付き合出したって噂になってたじゃん」

「あー、はいはい。あったなーそんな噂。聞いた聞いた」

「噂を聞いてたのに攻略中なの? で、かなりいいとこまでいってんの? どゆこと?」

 ああ、もう泥沼だ。すまん兎和、時間を稼いでくれ。僕がナイスな言い訳を思い付くまで、ほんの一瞬。

「いや、だからー、それはどういうことかと言うとー。つまりー、逆にどういう事やと思う?」

「え、あたしに聞く?」 

「聞くよ。聞いたげる。なんでも言ってみ?」

「えーっと………略奪狙ってるってこと?」

「はい、正解!」

 え、正解なの? 教室が一瞬静寂に包まれて、


「マジでかああああああああ―――っっ!」 


 僕の時より遥かに大きな歓声が爆発した。

「マジか! マジか! いいんちょー! 略奪狙ってんのか? マジいかちーわ!」

「え? え? マジで言ってんの、ぴょん? いいの、そんなん?」

「うぇ? いやー、ど、どどどどうなんやろー? ええのかな? あかんのかな?」

「いいだろ! そんだけそいつのことが好きってことじゃん。奪っちまえよ。結婚してんじゃねーんだからさ、俺は断然いいんちょー応援するわ! 夏もそうだよな?」

「ぐぅぇ、僕? 僕が応援するのは立場上おかしくないかな……色々と」

「なんでだよ、いいんちょーがこんなに恋してんだぞ! 幼馴染なら応援してやれや!」

 バシッと肩を叩かれた。鳩田雄一郎の長所一つ追加………意外と熱血漢。

「うん、そうね。あたしも応援するわ。頑張れ、ぴょん。年増になんか負けんな!」

「そうだそうだー! 頑張れ、委員長!」

「行け行け、ぴょんちゃん! 寝取ったれー! 巨乳の出番だー!」

「NTR! NTR! NTR! NTR!」 

 どういうコールだよ。

さすが人気者のいいんちょーは違う。人の恋人を奪う話でここまで教室を一つにできるなんて。

結果的に言いだしっぺという形になってしまった兎和は退くことかなわず、

「う、うん。わ、わかったー。うち頑張るわー、好きな人に彼女がいても絶対諦めへんからー! 絶対奪い返すからー!」

 汗をダラダラかきながら支援者達に拳を突き上げて見せるのだった。


 ………僕はいったいどんな顔で兎和の寝取り宣言を聞いていればいいのだろう。


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