2話 負けヒロインはまだ普通に家にいる

「起きぃ!」


 テーブルクロスを引き抜くようにズバッと掛け布団が剥がされた。

 シャッシャッとカーテンレールを滑る音が耳を突き、差し込んだ朝の光がパンパンと手を打つ音と共に僕の眠りを追い立てる。


「起きぃ、ゆーてるやろー。こら~~」

 無遠慮な夢の乱入者はそれでもまだ飽き足らないのか、ガタガタとベッドを揺らし始めた。視覚と聴覚と触覚と関西弁。四方面から効率よく起こしにくる。

 目を開けなくてもわかる、真形兎和まかたちとわだ。


 きっと腰に手を当てたお姉ちゃんポーズで僕を見下ろしているんだろう。

 男であればロングヘアー、女であればショートヘアーに分類される長さの髪の毛を誇らしげに艶めかせ、小さな唇を大きな眼鏡の下でキュッと結んでいることだろう。僕より頭一つ低い身長を少しでも大きく見せるため、精一杯胸を張っているに違いない。

「あ、やっと起きたし」

 瞼を開くと想像と寸分違わぬ幼馴染の姿が見えた。


「もー、小学生ちゃうねんから。一回くらい自分で起きーや。ご飯できてるから早く降りてくんねんで」

 うっかり新妻と見紛うようなエプロン姿の兎和とわは人差し指を僕のおでこに突き立てて念を押すと、制服のプリーツスカートをヒラつかせて部屋から出ていった。ややあって、トントントンと軽やかに階段を下る音が遠ざかって行き、

「あー! お味噌汁吹いてるー! あっつー!」 

 代わりに元気な悲鳴が上ってきた。

 今日も朝から声出てるなぁ。

 生まれた時からお隣さん。姉弟同然で育った兎和が親の仕事の都合でうちの家で暮らし始めてそろそろ一年になるだろうか。毎日のように繰り返されるこのドタバタも、もはや朝の恒例行事だ。


………って、あれ? これって繰り返されていいんだっけ?



「はい、お味噌汁。今、マグマやから気ぃ付けるんやよ」

「ああ、うん……いただきます」

 リビングルームに下りて行くと、いつも通り父さんも母さんもとっくに仕事に出かけた後だったので、僕達はいつも通り二人きりで食卓につき、いつも通り兎和の作った朝食に手を合わせた。

 料理が得意な兎和は、『普段お世話になってるんやから』と、誰に言われるでもなく僕らの朝食と弁当を作るようになった。

 メニューはいつも和食。シェフ曰く簡単に作れるものということらしいけれど、それまで食パンを焼きもせずに生で齧っていた僕からすると革命的な食生活の変化だ。洋から和への転換に戸惑いを感じたのは最初だけ、一週間もすれば食卓に漂う味噌の香りがすっかり日常の一部になっていた。

 そう、今日という日は何もかもいつも通りなのだ。

「今日の卵焼きのデキはヤバいよ。マジで道場六三郎百人降臨してるからね。百三郎やから」

「ああ……うん」

「この百三郎はお弁当にも入れてるから。楽しみにしてるんやよ」

「ああ…………うん」

 兎和の大げさな自画自賛もいつも通りなら、両親譲りの関西弁もいつも通り。ご飯が少しやわらかいのも、卵焼きが塩辛いのも、和食に牛乳を合わせてくるところもいつも通りで、

「なっちゃん、ほっぺにご飯ついてるよ。ほんま子供やねんから。ジッとして」

二か月早く生まれただけでお姉ちゃん面するところも完璧にいつも通りの日常風景なので―――。


「ちょちょ、ちょ、ちょっと待って。一回待って!」


 僕は堪らずに悲鳴を上げて立ち上がった。

「びっくりしたぁ。どしたん、なっちゃん? お味噌汁こぼれるやん」

 相生夏あいおいなつという僕の名前をなっちゃんと呼ぶのは兎和だけだ。何の疑問も屈託もなくその愛称を使う兎和を見ていると一瞬記憶が混乱しそうになる。

 おかしいだろう。こんないつも通りの日常が、いつも通りに続行していいはずがない。だって僕らは昨日―――。

「どしたん、なっちゃん。ボーっとして」

「……いや、あのさあ、兎和。ちょっと確認したいことがあるんだけども」

「ご飯の後にしいさ」

「……いやあの、兎和ってさあ」

「ほら、お味噌汁冷めるよ。食べて食べて」

「…………昨日僕にフラれたよな?」


「それは言わんとってえええええええええええええええ」


 見えない何かに引っ叩かれたかのように、兎和が椅子から転げ落ちた。そのままの勢いで頭を抱えながらフローリングの床をゴロゴロと転げ回る。

「あああ、言われたー。早速言われてもうーたー。最悪やー。せっかくなかったことにしてたのに。せっかく記憶を封じ込めてたのにー!」 

「おお、そうだったのか………なんか、ごめんな」

 とりあえず、僕の記憶に誤りはなかったらしい。

 まあ、そりゃあそうだろう。なにせつい昨日の出来事だ。忘れようとしても忘れようがない。僕は修学旅行先で同居人の幼馴染に愛を告白され、即レスでお断りを入れたのだった。


 伝説の告白スポットなんてフィクションだけの存在だと思っていた。

だから、行きしなの新幹線で宿泊先のホテルの裏に片想いの男女御用達の告白パワースポットがあると聞かされた時、正直驚いた。その驚きはホテルに向かうバスの中で告白スポットが木彫りの阿修羅像だと知らされて笑いに変わり、最終日にその阿修羅像の前に呼び出す手紙を見つけて困惑へと変化し、阿修羅像の前に複数の女子達が待ち構えているのを見つけるに至って頭蓋骨が爆発した。

 いや、嘘だよ、こんなの。

 正直、悪友達のイタズラだと思っていた。「はーい、だーまさーれたー。今の気持ちをどうぞー」なんつって動画を撮られるものだと覚悟していた。しかし、予想に反して阿修羅像の前に立っていたのは、明らかに恋する乙女の表情を浮かべた複数の女子達。

 そして―――。


「なっちゃん。ちゃんと手紙に書いた通り誰にも内緒で来てくれた?」

 妙に深刻な面持ちの幼馴染。

 手紙の主は兎和だった。どうやら僕の預かり知らないところで僕に思いを寄せる女子達が学年やクラスを跨いでかなりギスギスとやりあっていたらしく、その空気を案じたクラス委員の兎和が解決に乗り出したという流れらしい。誰が選ばれても恨みっこなし、後腐れなしという条件で密かにみんなを集め、こうして告白大会を設定してくれたのだという。


 いや、嘘だって、ほんとに。

 あり得ないだろ。まさか女っ気のほとんどなかった僕の人生にこんなイベントが起きるなんて。

 しかもそのメンバーがまたあり得ない。確かに一人だけ仲が良いと呼べる子はいたけれど、居並ぶ女子の中には会う度いつも怒られる怖い女子や、隙あらばからかってくるウザい後輩、さらに男子なら誰もが憧れる高嶺の花のモデルの卵の先輩まで混じっていたのだから。二年生はまだしも、先輩と一年生はどうやって旅行先までやってきたんだろう。

「じゃあ、あんまり時間をかけてもみんなにバレるから。そろそろ始めよっか」

 兎和に促され、女子達は順番に胸の内を明かしてくれた。怖かっただろう。恥ずかしかっただろう。それでも彼女達は懸命に僕への気持ちを伝えてくれた。何度も言葉に詰まりながら、時に涙を浮かべながら。

 あの時の僕の気持ちは一晩たった今でもよく定まっていない。ただ逃げてはいけないと、それだけを思いながら彼女達の言葉を受け止めていた。

 そして、全員の告白が終った後、僕が答えを発しようとしたその瞬間、

「ごめん………わたしにも時間をくれないかな」

 兎和が一歩前に出た。他の女子達の反応から察するに兎和のこの言葉は当初の予定になかったものなのだろう。何より、兎和本人の表情が強くそれを物語っていた。

 幼馴染でもお姉ちゃんでもお隣さんでもない、初めて見る兎和の女性としての顔。

「みんな本当にごめんね、勝手なことして。でも、わたしももう自分の気持ちに嘘がつけないの。なっちゃん、待たせてごめん。うちもなっちゃんが好き。ずっとずっと大好きやった…………結婚しよ?」


「やめろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


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