27話 勝ちヒロインも試着室に入る



「……どう……かな? これ」


 姫乃ひめのは右手に持った茶色のスカートを腰にあてがい、僕の方を振り向いた。


「うん、いいんじゃない。似合うよ、よく」

「そう……こっちは?」

 着せ替え人形のように、サッと左手に持ったこげ茶色のスカートに入れ替わる。

「うん、いいと思う。すごく」

「………どっちが似合う?」


 やめてくれよ。恐れていた質問が恐れていた通りに飛んで来た。


 クレープを(ほとんど僕が)食べた後、姫乃は服屋に行きたいと言い出した。

僕の了承も得ずにふらりと足を踏み入れたそのお店は、前回今回と目にした服装からはかなり価格帯に差があるようにも思えたが、姫乃は特に気にする様子もなく洋服を漁り、茶色のスカートとこげ茶色のスカートのどちらが似合うかという身も凍るような二択を投げかけてきた。


「うーん。どっちかなー」

 考えるふりをして時間を稼ぐ。さあ困ったぞ。今度の二択はクレープとは比較にならないくらい難解だ。

なにせどっちも同じに見える。茶色のスカートと焦げ茶のスカート? 

一緒だよ。それはもう一緒だよ。カフェオレとカフェラテくらいの違いしかないよ。どっちも美味しいコーヒー牛乳だよ。


しかし、間違ってもそんなことは口に出来ない。ダサいやつとは思われたくない。そういえば噂に聞いたことがある。女子が洋服の二択を迫る時は、九分九厘本人の中で正解が出ているらしい。男の仕事は残りの一厘を埋めること。であれば後は心の読み合いだ。見極めろ、姫乃はどっちを気に入っている?


「茶色かな?」

「……そう」

「いや、焦げ茶かな?」

「……そう」

 わーかんねー。表情も声色も全く変わらねー。こうなったら……。


「一回履いてみたらいいんじゃない? 試着してみんのが一番だよ、うん」

「……わかった」

 スタスタと試着室に向かう姫乃。「待っててね」、そう言い残してシャッとカーテンを閉じた。

 耐えたー。

どうやら危機は脱したらしい。ヒヤヒヤしたよ、まったく。額の汗を手の甲で拭う。


しかし、汗は止まるどころかより一層吹き出してくる。そりゃあそうだろうさ、ヒヤヒヤはまだまだ絶賛進行中なのだから。

「いらっしゃいませー、どうぞー」

 まさか姫乃がこの店に入りたいと言い出すとは思わなかった。


 ……つい昨日、兎和とわと入ったこの服屋に。


いや、どうなんだよ、この状況! やばいやばい、恥ずかしいんですけど。居たたまれないんですけど。

別にあれだよな? 何も悪いことはしていないよな? でもなんだろう、この居心地の悪さ。一日前に女性連れで来た店に、次の日また別の女性と訪れるって、これは人としてどうなんだ?


「いらっしゃいませー、どうぞー」

 ……いるしなあ、同じ店員さん。


なんかニヤニヤしながらこっち見てるし。「やるじゃない、お客さん。どっちが本命なんですか?」そんな目でこっちを見ているし。

違うからね! 本命とかキープとか、そんなんないから! 僕は姫乃だけだから。そんな視線を精一杯送ってみるが………。

「いらっしゃいませー、どうぞー」

 店員さんは顔からはみ出そうなニヤニヤ口にチャックのポーズをしてみせた。やっぱり全然伝わっていない。もうやだよ。冷汗が止まんないよ。


「……夏」

「うわー、びっくりしたあ!」

「どうしたの?」

「い、いいいいいいやなんでもない。姫乃こそどうした?」 

「スカート履いてみた。見てくれない?」

「お、おう。わかった、開けていい?」

「……ダメ」

 だめなんかい。カーテンを掴む手を内側から握られる。

「思ってた以上に短いから。恥ずかしい……夏が入って来て」

「は?」

 そのままぐいと引き込まれた。まさか引っ張られると思っていなかった僕は、簡単に中に重心を崩してたたらを踏み、


「ちょ、姫乃――」

「どう……かな?」

 気が付けば、狭い試着室の中で姫乃と密接していた。

「短いかな……やっぱり」

「あ、え? おお?」

 このままキスが出来そうな距離感で。

「どう、夏? 似合う?」

「いや、えっと、あの」

「何か……言ってよ」

「うおー、うん。あのー、そのー」

「どうしたの、夏? なんか…………変だよ」

 いや、お前がなっっ! お前の方こそなっっっ!


 ああ、ごめん。お前とか言っちゃった。でもさ、絶対に姫乃の方が変だから。

いったいどうしちゃったんだ。姫乃ってこんなことするやつだったか? 一緒に歩くのだって、手を繋ぐのだって恥ずかしがっていたはずなのに。そんなキングオブ恥ずかしがり屋が、男を試着室に引き込むとか、息の触れ合う距離で話すとか、

「じゃあ………次のスカート履いてみるね」

 そのままスカートを抜いじゃうとか……。


「姫乃! それはマズいって!」

「目……瞑って」

 瞑ってますとも! 言われなくても! 我ながら情けない話だが、姫乃がスカートのホックをはずした瞬間反射的に瞼は降りていた。

しかし、人間の耳は大したもんだ。見えなくてもわかるもの。音だけで十分状況が伝わってくるもの。

姫乃がホックを外す音、ジッパーを下げる音、荒い息を精一杯殺そうとする音、唾を飲み込む音、そして、


――ファサっ。


とスカートが落ちる音。 

僕の心臓が猛烈に加速する音。

やっぱりおかしい。今日の姫乃は絶対におかしい。姫乃はこんなことできるやつじゃない。仮にやれと言われたら、恥ずかしさのあまり泣き出してしまうはずなのに。

「姫乃、ほんとに今日は――」

「どうしよう……夏」

「ん、何が?」

「わたし……」

「ん?」


「ふぇぇぇぇん………恥ずかしくて死にそうだよぉぉぉ」


 泣いたー! そうだろうよ! そりゃあ、姫乃はそうだろうよ! 良かったよ、安心したよむしろ。

「もう無理、もう無理だよぉぉ。ごめんなさぁぁぁい」

「落ち着いて、もういいから。大丈夫だから」

「お願い、お願い。絶対に目開けないで。匂いもかがないで。ふぇぇぇぇん」

「わかった。絶対に開けないし、絶対にかがないから取りあえず落ち着いて服を着て」


 てゆーか、なんでこんな柄にもないことしちゃったんだ。

「ふぃぃ。もう動けないよぉ。ごめんなさい、夏。やっぱり外に出てくれる?」

「ええ? でも、いいのか、カーテン開けて?」

「ううう、端に隠れてるからいい。シャッと開けて、シャッて出て」

「わかった。やってみる」

「誰にも見られないようにね。音速で出てね。絶対見つからないでね」

「ど、努力はします」

 誰も外にいないことを祈りながら、僕は僕なりの音速で試着室から転げ出ると、


「いらっしゃいませー、どうぞー」


 例の店員さんにしっかりと見つかった。


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