28話 勝ちヒロインもカフェにいく
「はあ………死にたい」
エレベーター前の休憩スペース、ピンク色のソファに腰を掛け、
「ううう、あのお店にはもういけないよ……」
つんと唇の突き出された顔は、まだまだ赤みが引く気配はない。
「いや、普通に行けると思うけど」
「無理! 絶対無理!」
「あそこじゃなくて系列店なんてどこにでもあるしさ」
「無理、絶対連絡が回ってる。試着室に男連れ込む痴女がいるって、お触れが回ってるもん」
お触れとか。変なこと言い出したな。店員もまさかそこまで暇じゃないだろうに。
「……ごめんね、
「え、なんで僕に謝んの?」
「なんでって、そりゃあ――」
「僕って実害0じゃね? 別に何ともないけど」
「でも! でも! 幻滅してるでしょ?」
ぶんぶんと振り回した拳を、胸の前ですり合わせて尋ねる姫乃。
「幻滅? してないけど。どのタイミングすんのさ、幻滅なんて」
また変なことを。好きな女子に密室に連れ込まれて嬉しくない男子がいるわけないだろうに。
「そりゃあ、多少ビックリはしたけどさ。なんか楽しかったし全然OKじゃない?」
「嘘? 楽しいの? ほんとに?」
「うん。ハプニングもさ、二人だったら楽しいじゃん、普通に」
「本当に? 本当に? 最初から? 最初からずっと楽しかった?」
怖い怖い。急にどうした。
「楽しかったよ。なんなら昨日の夜から楽しみにしてたし」
「夏………」
ギュっと裾を掴まれた。
「夏ぅぅぅぅ」
いったい何が心に刺さったのだろう。裾を握りしめたままパタパタと足を踏み鳴らす姫乃。
「………好き」
「お、おう。ありがと」
「夏は?」
「す、好きだぞ、もちろん」
「えへへ」
おー、おー、レモンティーが進む進む。姫乃はほっとしたように唇の強張りを解くと、レモンティーの残りを全て吸い上げ、
「次、行こ。わたし、夏とお茶してみたいお店があるの」
たった今飲み切ったばかりのお茶のお代りを求めて姫乃は元気に立ち上がった。
「はい、これでいいですか? よーく見てくださいね、一番下に置いたあなたのカードが………はい、一番上に上がってきました!」
アイマスクを張り付けたマジシャンは、どうですかと言わんばかりの口髭の尖り具合でこちらを振り向いた。
「…………」
そんなドヤ顔を、姫乃は『だからなに』と言わんばかりの視線で迎撃する。
「お、おー。す、すごいですね……」
せめてものマナーとしてなんとか笑みを浮かべてみるが、僕もうまく笑えている自信はない。
ごめんなさい。なんかリアクションの悪いテーブルでごめんなさい。それでもマジシャンはプロの意地でパフォーマンスを継続するが、
「はい、このカードが今度は……消えてしまいますー」
「…………」
「つ、次は帽子が消えまーす」
「…………」
「つ、つ、次はアイマスクが消えますー」
「…………」
「つ、つ、つ、次は隣のお客さんが消えますー」
「…………」
「つ、つ、つ、次はぁ………私が消えますー」
ごめんなさいっっ! 本当にごめんなさい!
肩を落として隣のテーブルに去って行くマジシャンには僕は心の中で土下座した。
あなたのせいじゃないんです。あなたのマジックは本当にお見事でした。隣のお客さんとかどうやって消したの、あれ? マジで魔法じゃん。掛け値なしに素晴らしいマジックだったのですが………。
「……すごいマジックだったね」
リアクションの乏しい子なんです、姫乃は。本当は驚いているんですよ? でも知らない人の前ではしゃげない子なんです、うちの子は。
「夏は? 面白かった?」
ちなみに僕は二度目なので心の底から驚けないんです。
……そしてもう一つ。
気になることがあり過ぎて、マジックどころじゃないんです。
姫乃は飽きもせずに注文したレモンティーのストローを咥え、ずずずと最後の一滴を吸い取った。
「ぷはっ、こういうお店って初めて入ったけど………楽しいよね、カフェって」
「いや、そんなわけあるか」
「……夏? 今何て言ったの?」
「楽しいなって言ったんだけど?」
「そう、よかった。わたしも楽しい」
……そんなわけないだろう。
口元に薄い笑みを浮かべる姫乃を見つめながら胸中で独り言ちた。
そんなわけだろう。
クレープだけならまだわかるんだ。百歩譲って服屋もまあないことはないだろう。でもここだけはおかしい。
「コーヒー飲まないの、夏?」
初めてカフェに入ろうって人間が、マジックカフェなんて特殊な店を選ぶわけないだろう。初見でこの店に入れるのは、マジシャンか
これはなんだ。薄々おかしいとは思っていたけれど。いったいこの子は何を考えているんだ。
「どうしたの、夏?」
不安げにこっちを見つめる姫乃。僕はアイスコーヒーのグラスを掴むと、ストローも使わずに一息に飲み干した。
「ぶはっ! うまかった。よし、もう行こうか」
「え、もう行くの?」
「うん、今度は僕の行きたいところ行ってもいいかな?」
「いいよ。でも……」
「ん?」
「……ううん。なんでもない」
隣のテーブルで一転して快調に手品を披露するマジシャンを名残惜しそうに見つめながら、姫乃は席を立った。
まるで何か欲しいものでもあったかのように
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