29話 勝ちヒロインのコンプレックス

 店を出て二人で並んで歩く。

 

すれ違う人や、行き過ぎるお店など、目に留まるものをなんとなく言葉にして発すると、姫乃ひめのは丁寧に頷いてくれる。決して言葉数は多くはないけど、僕との会話を大事にしてくれているのがわかる。


 この子は本当に可愛いと思う。


今考えることではないのかもしれないけど、そう思った。僕はこの子を失いたくない。


「はい、ここだよ」

 だからはっきりさせないといけない。ビルの屋上テラスまで登って足を止めた。

「ここ? これに乗りたいの?」


 姫乃は繁華街を見下ろす大観覧車を見上げてそう言った。


「うん。乗りたい。姫乃は?」

「乗りたい。すごい。わたしもここに来たかったの。すごいね。なんでわかったの?」

 わかるよ、そりゃあ。

 謎解きでもなんでもない。こんなに露骨に示されたら誰でもわかるでしょうよ。

姫乃はずっと、昨日のコースを辿っている。昨日、僕と兎和とわが巡ったコースを辿っているんだ。

「僕の記憶が確かなら六時からライトアップが始まるはずだけど。どうする? 少し待つ? ほら、あと三十分だけど」

「え? 十分じゃない?」

 僕の示したスマホの画面を指さして姫乃が言う。

「……ああ、そうだね。間違えた」

「いいよ。ライトアップじゃなくても。行こう。あれ乗りたい」

「そうか、さすがにあれには乗ってないんだね」

「ん?」


「昨日、後つけてたよな?」


「え?」

 観覧車に向かって踏み出した姫乃の足が一歩で止まった。昨日もこの場所で見た茶色のブーツ。

「僕と兎和のあとつけてたんだよね」

「…………」

 姫乃の大きな眼が一瞬、さらに大きく見開かれた。

「……してないよ。そんなこと」

 いや、もう答えじゃん、それ。

 理解が早過ぎるじゃないですか。

 姫乃も僕と同じだ。嘘が下手すぎる。


 姫乃は昨日、こっそり僕と姫乃について来ていたのだろう。クレープ屋でも服屋でもマジックカフェでも、この屋上テラスまで。

 昨日の夕方、僕がすっ飛ばしたスマートフォンを蹴り飛ばしたのも、姫乃なんだよな。

こっそり後をつけるんだから、変装くらいはしたんだろう。でも、近付かれればさすがにバレる。だから僕を近付けないように遠くに蹴り飛ばしたと。

その時に待ち受け画面も見られたのかな? さっきスマホを見せた時に何にも言わなかったもんな。僕の待受け画面は、絶対に使わないと約束したはずの姫乃の写真だったのに。


「……………」

 姫乃は何も言わない。何も言わずに壊れそうな瞳で僕を見ている。

「姫乃、ごめんっ!」

 そんな姫乃に僕は頭を下げることしかできなかった。

「え……?」

「本当にごめん。マジごめん。ごめんごめんごめんごめん!」

「え? え? 待って、夏。なんで夏が謝ってるの?」

 そりゃあ、謝るだろうよ。

彼女とデートする前に他の女と出歩いていたんだから、百%僕が悪い。疑問の余地なく100―0で僕が悪いじゃないか。

「でもでも、わたしが行って来てって言ったんだし……」

「でも、不安だったんだろ?」

「え?」

「不安だったからついて来てんだろ?」

 じゃあやっぱり僕が悪いじゃないか。確かに許可はとってある。でも、許可を求めることがそもそもおかしい。僕と兎和の家庭の事情を知っている姫乃は嫌だったとしても断れるはずないのだから。 


「だから、ごめん! ほんとごめん!」

 なので、やっぱり僕は頭を下げる以外にない。

「待って、違うの!」

 そんな僕の頭を引っつかみ、姫乃は力任せにひっぱり上げた。

「イタタタタ! 髪! 髪! 姫乃、髪引っ張ってるって! いたたたた」

「本当に違うから謝らないで、夏!」

「それより髪が! 姫乃、落ち着いて。髪が痛い!」

「ううん、不安だったのは本当。本当だったけど、そういうことじゃなくて……わたし……わたし………夏が楽しんでくれるかが不安だったの」

「え?」


 ようやく解放された頭皮を擦りつつ僕は尋ねる。

「正直に言うね。わたしね、デートが決まってから、ううん、付き合ってからずっと不安だったの。夏にフラれないかなって」

「フラれる? なんで?」

「だってわたし………つまんないから。兎和ちゃんみたいに面白くないから」

「ちょ、ちょ、え? わかんないわかんない。なんで兎和? なんでここで兎和が出てくんの?」

「気付いてないの? 夏って兎和ちゃんといるといつもすっごく楽しそうなんだよ」


「え……?」


 二の矢が継げないとはこのことだった。いや、二の句が継げないだったかな? まあ、どっちでもいい。とにかく僕の舌は矢で打ち抜かれたかのように、言葉を発する機能をうしなっていた。

「やっぱりわかってなかったよね………」

 悲しそうに笑いながら姫乃は言った。

「夏はね、兎和ちゃんといるとすごく楽しそうに笑ってるの。怒ってても笑ってるの。わたしね、兎和ちゃんといる時の夏の笑顔が大好き。でも、それを見る度に不安になるの。わたしは兎和ちゃんみたいに楽しく出来ないから。夏にお似合いなのは兎和ちゃんなのかなって思っちゃう」

「なんで、そんなバカなこと――」

「でも、みんな言ってるよ」

「みんなって、誰?」

「さあ、知らない人。多分夏のクラスの人。学校でいっぱいわたしに聞きに来るの。本当に夏と付き合ってるのって?」

「え、なにそれ、まさか嫌がらせとか……?」

 一瞬にして血の気が引いた。いつかの教室での寝取りコールが頭をよぎったが、

「ううん、そんなのは全然ないよ。ただ聞くだけ。で、その後にみんな言うの。夏は兎和と付き合ってると思ってたって」

 やっぱり、クラスメートはいいやつらだ。そんな陰湿なことはしない。ただ、尋ねて確かめるだけだ。でもその確認が兎和の心を圧迫する。お前は本当に人気者の兎和を押しのけるような人間なのかと。

「だから、わたしいつ夏にフラれるか、ずっと不安で。わたし………つまらないから」

 だから姫乃はいつも兎和を意識していたのか。

 思えば姫乃はずっと言っていた。


『真形さんみたいに楽しく出来たらいいのに』

『真形さんはすごいね、一緒に暮らしてても楽しいでしょ?』

『わたし……兎和ちゃんみたいにうまく喋れないから………』

『夏は……楽しかった』

『本当に? 本当に? 最初から? 最初からずっと楽しかった?』


 僕が楽しんでいるのかをずっと気にしていた。そういうことか。人見知りの姫乃が、兎和だけを輪の中に入れるのは、兎和とだけ繋がろうとするのは……。

「……兎和ちゃんがいれば、夏は楽しんでくれるでしょ?」


 僕にフラれないためだったのか。

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