10話 負けヒロインは親バレが怖い
くどいようだが、僕と
母親二人の異常に発達したコミュ力のおかげで、僕らの両親は僕らが生まれる前からお互い家の浄水器のフィルターのストックの位置を把握し合うぐらいに濃密な交流を作り上げていた。
それこそ父親や母親、家の壁や風呂釜と同レベルの当たり前さで、僕の生活の中に兎和はいた。多分兎和にとっても同じだろう。だからこそ高校生の娘を三年間預けるなんていう、傍から見ればめちゃくちゃなレンタル移籍もすんなり成立してしまうのだ。
しかし、親密であるが故の弊害ももちろんある。兎和にとって僕の両親は親も同然、だからこそ踏み込まれたくない一線があるらしい。「クラスメートっていう距離感だからこそ言えることってあるでしょ?」 兎和は深刻な顔でそう言った。よく分かる。母親は太陽だ。暖かく滋養に満ちているけれど、直接触れば手が燃える。そういうことだろう。以上を一言で要約すると、「失恋の親バレはキツイ」ということだ。
「いや、これだけはありえへんからマジで。マジで! マっジっでっっ!」
ベッドの上で兎和は火の出るような勢いで布団を叩いた。
「こんなんバレたら地獄でしかないから。一生秘密にしたいねん。一生協力して。お願い、なっちゃん」
「わかった、まかせとけ」
「おお、頼もしいやん」
当たり前だ。恥ずかしいのは僕だって一緒なんだ。親に彼女バレすることですら恥ずかし過ぎるのに、その上どの面提げて一つ屋根の下に住む姉同然の幼馴染にプロポーズされましたなんて言えるだろうか。
ここは姫乃の存在も含めて、断固死守だ。命を賭しても守り抜かねばならない絶対防衛ライン、一切の協力を惜しむつもりはない。だけど。
「協力って具体的になにすりゃいいんだろう」
「そこなんよ。ユッコさんやたら勘いいやんか。変な嘘ついたら即バレすると思うねん」
確かに、うちの母は無駄に勘がいいし、無駄に察しがいい。人間としては美徳だが息子にすれば脅威でしかない。
「だから、なっちゃんは変に喋らん方がいいと思う。なっちゃん、嘘ヘタやし。喋ったら絶対ボロが出るわ。今日はなんか眠いわーとか言って無口路線で行くべきやと思う」
「ふんふん、無口か。それならできそうだ」
「少なくとも自分からは絶対恋愛関係の話はしないこと。もし、会話の流れで恋愛の話になりそうになったら、うちが全力で切り替えるから」
「どうやって?」
「料理よ、料理。うわー、ユッコさんこの煮物めっちゃ美味しいですー。どうやって作ったん? これでばっちり。これで落ちない料理好きはいないから。すぐに料理トークに突入するから。後は適当に誤魔化して今日はなんとか乗り切れると思う」
「……なるほど」
隙がない。さすが陽キャ日本代表、トースキルの高さは恐ろしいほどだ。
「わかった、それで行こう。頼りにしてるぞ、兎和」
「なっちゃんもね」
揺るぎないパートナーシップを視線で確認し合い、僕達は各々の部屋に別れた。
このまま自室に待機して夕飯を待つことになる。僕の両親は職場結婚なので二人一緒に会社に出掛けて二人一緒に帰って来る。勤務時間は少々特殊な早朝六時から十五時、ゆえに朝に顔を合わせることは殆どないが、夕食は大抵四人で囲む。つまりここがファーストステージ。まずはここを乗り切るんだ。
「兎和ー、
来た。ゴングだ。
二人同時に廊下に出た。
アイコンタクト、兎和の顔はもう仕上がっている。ファイターの顔だ。例えどんなにパンチを受けようと決してタオルを投げることはない歴戦のチャンピオン。それは僕だって同じこと。見ていてくれよ、相棒。『今日なんか眠いんだよなー』、お前のくれたこの最強の盾で鉄壁の無口を貫いてみせる。
マグマのような闘志と鋼の意志を内に秘め、僕達は本日のリングであるところのリビングルームの扉を開いた。
「夏、あんた彼女出来たんだって?」
死んだぁぁああああああああああああああ!
はい、死んだー。 もう死にましたー。
一秒で試合は終了した。
マグマとか鋼とか盾とか、そんなごちゃごちゃしたものを根こそぎまとめてブッ飛ばす母上の剛腕によって、僕はロープを飛び越えた足をリングに足を着ける間もなく、開幕即死で場外まで吹っ飛ばされるのであった。
「誰? 誰? 誰? 誰? どんな子? 可愛いの? 教えなさいよ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って、母さん。な、な、なんでそれ知ってんの?」
「今さっき高校のママ友からライン回って来た。誰? どこの子よ?」
「い、いや、その……あー、眠い! 眠いわー。何か今日異常に眠いわー」
「あ、続報来た。
「あー! 眠い! 眠すぎる! 喋るのも辛いよ、母さん!」
「おー、めっちゃ可愛い子じゃん! どうこれ? 画像と実物どっちが可愛い?」
強すぎるだろ、この人! ボッコボコだよ! 開始五秒で血祭だよ!
なんで開幕五秒で姫乃の住所氏名顔写真まで握られてんだ。勝てるわけねえだろ、こんなもん!
舐めていた。コミュ力モンスターの情報力と現代の通信網を舐めていた。
「で、キスはもうしたの? してないかー。ヘタレだもんな、あんた。せいぜい一緒に学校行って、手ぇ繋いで、お弁当あーんして上げるくらいが関の山かあ。可愛いねぇ」
助けてー、お姉ちゃん助けてー! この人、めっちゃ的確にイジってくるよー。死ぬ、恥ずかし過ぎて頭が燃える。至急だ、頼むから至急会話を切り替えてくれ!
「あ、あの、ユッコさん! 今日のご飯って――」
「ああ、そうなの。面倒くさくてさあ、出前にしたわ。気になってたカレー屋の」
はい、終ー了ー。終了でーす。万策尽きましたー。
兎和の作戦も母さんのズボラによって出す前に潰された。なんだ、この無敵の人。スタートから大暴れじゃないか。もうどうすればいいんだ、これ。
「よし、じゃあ話はご飯食べながらにしよっか。はい、お父さんも夏も座って。あれ、どうしたの、兎和? 顔色悪いじゃん」
「あ、え、あ……はい」
何よりマズいのは、兎和に効いちゃってるっていうことだ。会話の流れを主導して臨機応変に立ち回るはずの司令塔が、地味にダメージを負ってしまっている。頑張ってくれ、兎和。僕の心はもうバッキバキだ。通り越してサックサクだ。後はもうお前しかいないんだ。
「あ、わかったぞー。さては兎和、夏に彼女が出来てショックを受けてるなー?」
「げぶふっ!」
ああ、死んだー! 兎和も死んだー!
「図星かー。あははは、心配しなくて大丈夫よ。兎和も可愛いんだから、すぐに彼氏くらいできるって。まあ、夏に先越されたのはショックだろうけどさー」
いや、耐えた! ギリギリ耐えた! 大丈夫だぞ、兎和。気を確かに持て。まだ僕にフラれたことまではバレてない。まだ行ける。まだ立てるぞ、兎和!
「あは……あははは。そう、やんねー。うちもはよ彼氏欲しいわー」
ギリギリ致命傷を避けた兎和は、なんとか苦笑いで母さんの言葉を交わす。
「おいおい、変なこと言うなよ、ユッコ。兎和ちゃんに変な虫でも付いたら、
「だ、大丈夫ですよー、おじさん。うちのパパもママもそんなタイプちゃいますし。む、むしろはよ男作って出て行ってくれて思ってますわー。そう言えば最近、パパと連絡取りはりました?」
「メールでね。なんかフランスの方で変な病気流行って大変だって言ってたな」
「あー、そうですかー。怖いですねー、病気―。手洗いうがいが一番らしいですよー」
おお、持ち直した。すげえぞ、兎和。さり気なく父さんに健康の話題をふることで紙一重で死地から脱出した。
「で、兎和は好き男子とかいないの?」
「ぐばはっ!」
そして、素早く母さんが捕まえるぅ。油断した兎和の背中を、流れ無視の一撃で打ち抜いて行くぅ! 母さん、頼む。本当に兎和が死ぬから止めてくれ。
「どうなの? どうなの? いるんでしょ? 若いんだから好きな人の一人や二人」
「ちょ、ちょっと! 二人なんかいるわけないですやん!」
「じゃあ、一人はいるんだ?」
もう手玉だよ。FBIかなんかなの、この人? 芋掘るくらいにボロボロ兎和から情報引き出してくるんですけど。
「そうかー、やっぱりいるかあー。いいじゃんいいじゃん。女は恋しないとね。で? どうなの? その子はイケメンなの? いや、ないか。あんたブス専だもんね」
「ブ、ブスじゃないです! そりゃあ一般的には普通かもやけど、うちから見たら……めっちゃカッコいいです……」
こっち見んな! なんだ、その蕩けた顔は。ヤバいぞ、兎和の判断力はもう死んでいる。母さんにぐらんぐらんに揺さぶられてフィルターぶっ壊れの脳死状態でガバガバ本音が漏れ出ている。ここは僕が何とかしないと。
「母さん、そんな下らない話より政治の話しよう! 十代の政治の怒りを聞いてくれ!」
「市民税払ってから言え。で? で? 兎和はそのイケメンくんのどこが好きなの?」
ノールックで踏み潰された。強すぎるって、このオカン。誰か、このモンスターを止められる勇者はいないのか。
「おいおい、ユッコ。あんまり兎和ちゃんを冷やかしてやるなよ。プライバシーってもんがあるんだから。それより早くメシにしよう」
おお、父さん! あなたがいたか、村一番の世帯主様! 言ってやってください。このプライバシーのプの字も知らないミーハーおばさんを黙らせてやってください。
「うっさいなぁ、男はメシメシって。先に食べたらいいじゃん。はい、ビール」
「お、ありがと。じゃあ、食おうか、夏」
撤退早っ! チョロいな、父さん。マジでメシ食いたかっただけじゃないか。
「ささ、女子はメシより恋話ね。で? で? どこが好きなの? 兎和に相応しい男かどうか判断してあげるわ」
「い、いやでも……やっぱり、そこは……」
「今さら照れるとかないんだわ。それはないね。白状するまで朝までだっておっぱい揉んじゃうよ。はい、言え! 言えー! こらー! 生意気な乳ー!」
か、母さん……ちょっと、母さん……食卓で何を見せられてるんですか、母さん……。
「やめて、やめてぇ! 言いますから! 言いますから手ぇ放して」
「だめよ。この手はこのままおっぱいに添えておく。抑止力として。嘘をついていると判断した瞬間にこの手は爆裂に稼働すると思いなさい。モミモミモミ」
「もう動いてますってぇ!」
ほんと母さん、マジで母さん……なんでメシ食えるんだ父さん……
「はい、じゃあ行ってみよう! 兎和の好き好きポイントその一はぁー?」
「え、その二もあんの? ふぅぅぁ、ユッコさん手が動いてるぅ……そ、そうですね……や、やっぱり……」
「やっぱりぃ? モミモミモミ」
「や………優しいとこ?」
カレー吐くわ!
やめろ、兎和。冷静になれ。フッた男の面前ですごいことを言ってるぞ、今。
「うん、優しいとこー。いいねー、需要重要。やっぱ男は優しくないと。それからそれから? あとはどこが好きぃ? モミモミモミ」
「ふぃぃ……ううう、その、えっと、なんにでも一生懸命なところが見てて……きゅんと来ちゃう?」
「一生懸命系男子! いいねー、すごくいい。好き! もうあたしも好きだわ、その子。超タイプ」
キツイキツイキツイ! マジでキツイって、これ!
もう止めてくれ。内臓が死ぬ、ゾワゾワ死する! なんなんだ、この人類史上かつてない拷問は。
「そ、それからちょっとだけ、ちょっとだけですよ? 意地っ張りなとこも……可愛いなって……思います」
だからこっち見んじゃねえって!
「わーかーるー! そーゆーとこな! そーゆーとこにキュンと来ちゃうよね? なにその子。お父さんそっくりじゃん。あたしが学生だったら絶対行っているわ。じゃあ最後最後! その子のぉ、胸キュンエピソードいってみよう! 最新の!」
「む、胸キュン? それは別に………あ」
「はい、あるね。今あったね、心当たりが。それいってみよう。こら、夏! 下見てないでちゃんと聞いてあげなさい!」
「い、いや、そんな大した話やないんですよ。ただうちが足つった時にぃ……す、すぐやって来てくれてぇ、すごく間近でぇ、一生懸命治してくれてぇ………嬉しかったな………っていう……」
「エッロっ! 最高かよ。いつ? いつの話?」
「……今日」
「ホヤホヤ! ホヤホヤ頂いちゃいました!」
「ぐぅぅぁ、ユッコさん手! 手動いてます!」
「なによ、もう。心配したけどめっちゃ順調に攻略進んでんじゃん。よし、もう付き合っちゃえ。それはもう付き合うべきだ。あたしが許す」
「はあ、それはどうも。心強いです……」
「うひひひー。顔真っ赤にしちゃって可愛いねー、兎和ってば。って聞いてんの、夏。こら、夏! あれ、なにあんた? なんであんたまで……………顔赤くなってんの?」
なるわっっっ!
なぁぁ――るぅぅ――わぁぁ――っっ!
何をっっ! 聞かされてるんだっっ! 僕は――っっ!
地獄だ。ここはもう新しくできた九つ目の地獄だ。ゾワゾワ地獄。内臓の内側を無限にゾワゾワさせられる新地獄だ。ちなみに鬼は母さんだ。
こんな地獄でメシなんか喰えるか。脱出だ。早くここから逃げ出さなくては。そんな思いでカレーを思い切りかきこんだら、
「じゃあ、最後の最後にもう一つ! 兎和がぁ、その子とぉ………ちゅーしたい場所はどこ?」
「もう、無理ぃぃぃぃぃぃぃ!」
僕より先に兎和の方が逃げ出した。
「あ、逃げちゃった。ちょっとやり過ぎちゃったかなー」
ちょっとじゃない。絶対にちょっとではない。あとベロとか出さないで、キツイから。
「いやー、でも久しぶりに恋話できて楽しかったなー。お父さん、ちゅーして」
「はいよ」
もうやだ、この人達。
一刻も早く地獄を脱するべく、僕は猛然とカレーをかきこんだ。
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