17話 両ヒロインは意識する


「ああ、死にたい………」


 帰り道、夕闇の差し始めた交差点で姫乃ひめのは、十五回目の溜息をついた。

「大げさだなぁ」

「大げさじゃない!」

 赤い目でキッと僕を睨んで姫乃は言う。

兎和とわちゃんの前であんな……あんな泣いちゃうなんて……あり得ない。恥ずかしいよ」

「大丈夫だって。兎和はむしろときめいてたから」

「余計恥ずかしいっ!」

 姫乃は真っ赤な顔を両手に埋めてぶるぶると振るった。


「はぁ……今日はこんなつもりじゃなかったのに」

 じゃあ、どんなつもりだったのだろう。

 付き合い始めてからの姫乃は少しおかしい。何も変わらないと思っていたけれど、よく見ると兎和に関することだけが少しおかしい。

 最初は嫉妬かと思ったが、少し違う。兎和に対抗意識は多分ない。それでも何かの意識を持っている。とても強い、頑なな姫乃のスタイルを曲げさせる程の強い、何か。


「……夏? どうしたの?」

「ううん、何でもない」

「そう………ここまででいいよ」

 大通りの少し手前で、姫乃はクルリと振り返った。

「そっか。気を付けてな」

「今日は楽しかったよ……来てよかった」

「そっか。兎和もそれ聞いたら喜ぶわ」

「………夏は?」

「え?」

「夏は……楽しかった」?

「おう。もちろん」

「本当に? 本当に楽しかった?」

 探るような目で姫乃は僕の瞳を覗き込んだ。

 まただ。また少しだけ姫乃がおかしい。どこがとは言えないけれど少しだけ。


「マジですっげー、楽しかったぜ」

「そっか。よかった……なつ、好きだよ」

「おう」

「夏は?」

「好きだぞ、もちろん」

「また……遊びたい」

「あのさ」

「ん?」

「…………なんでもない。僕もまた遊びたいよ」

 できれば二人で。そんな言葉を喉の奥で飲み込んだ。

飲み込んでしまうところが、僕のダメなところなんだろう。




「ただいまー」

「お帰り、なっちゃん! 姫しゃま大丈夫やった? 怒ってなかった?」

 帰宅すると沓脱まで出て来た兎和に袖を引かれた。まさかこいつずっと玄関で待ってたんじゃないだろうな。

「ねえねえ、どうやった? 怒ってた? 怒ってたよな? どーしよー! 今から謝りに行ってくるわ」

「行くなって。怒ってなかったから」

「ホンマに?」

「ほんとだよ。楽しかったって言ってたぞ」

「………気ィ遣ってない?」

 靴くらい脱がせろ。纏わりつく兎和を押しのけてリビングルームに向かう。冷蔵庫から飲み物を取り出す間も、兎和はずっと「大丈夫?」を繰り返していた。


「ホンマに大丈夫かなー? 大丈夫ならええけどー。ごめんな、初めてのおうちデートやったのに」

 その感覚あったんだ。驚きだな。

「別にいいよ、僕もまあ楽しくはあったし」

「そっか。ならよかった。ででででで、そそそそそのー、なっちゃん? 帰り道ではそのー、キキキキキキス的なことは、ししししししはったのかなー?」

「でも、姫乃のやつ急に料理がしたいなんてどうしたんだろうなー」

「そうやねー。ででででで、キキキキキキス的なことはしはったのー?」

「ゲームだってそうだよ。それまでやりたいなんて一言も言ってなかったのに」

「ホンマにねー。ででででで、キキキキキキス的なことはー?」

「いやー! びっくりしたよなー! まさか泣き出すとはなー!」

「そうやねー! ちゅーしたん?」

 折れろよ、こんなに話を逸らしてるんだから。くじけないやつだなあ。 


「なっちゃん、ちゅーは? なっちゃん、ちゅー。ぶちゅー、ちゅーちゅー」

「してねーわ、悪かったな」

「え、そうなん? 次のデートの約束は?」

「………してない」

「…………次はがんばろっか?」

 腹立つわー、謎の上から目線。

 だいたい、おうちデートってわかってたんならさっさと二人きりにしてくれよ。そしたらキス的なものなんてもう唇がなくなるくらいやってるわ。多分。きっと。

「でもやっぱり可愛かったねー、姫しゃま。見た? ゾンビハザードで泣いてたで。泣かせといてなんやけど、きゅんきゅんきちゃったわ。好きな女子に意地悪する男子の気持ちってこんな感じなん?」

「いや、知らんけど」

「いいなー。可愛かったなー。なんやろこの差。うちなんかホラーに慣れ過ぎて、初見から真顔でゾンビ撃ち殺せたもん」

 それはそれですごいけどな。


「うちもさ、うちもさ、もっと可愛く怖がったらなっちゃんにときめいてもらえたんかな? きゃーって。うえーんって。はきゅーんって。ぷるるーんって」

「おい、イジってるだろ、姫乃のこと」

「あはははは、ウソウソ。あの子には敵わへんよ、可愛すぎるもん。うちが姫しゃまに勝ってるところってあるんかな? いや、あるやろ一個くらい。どこや?」

 腕を組み、眉根を寄せて考える兎和。その姿勢になると姫乃に大勝しているバストのサイズがより強調されるのだが、絶対に見てはやらない。

「あ、あった! そうか、うちにはお前がおったんやった!」

 不意に兎和がぽんと手を打った。そのままパタパタと台所に駆けて行き、


「冷めてもうまい、百三郎!」


 見本用に兎和が焼いた出し巻き玉子をペロリと口に放り込んだ。

 その笑顔の放つ光量は多分太陽にだって勝っているけれど、それもやっぱり言ってやらない。


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