4話 勝ちヒロインの登場です
「もう、なっちゃんは………ヘタやなぁ、色々………ふふふ」
しかし、グダグダなりに喋った甲斐はあったようだ。朝からずっとぎこちなかった
「はぁ………ごめんな。なんか、変な感じにさせてもうて」
初めて自然な言葉を漏らした。
「あー、ごめん。違うわ。全部うちのせいやわ。うちが変な告白してもーたのがそもそもやもんな。失敗したー。なるべく自然な感じで元の生活に戻りたくてさ、強引に何もない体で進めてみたんやけど、余計おかしなふうになってもうたっていう、そーゆーお話でした。すまんかった」
「いや、兎和が謝ることないって。僕だって色々と――」
「大丈夫やで。うちはもうなっちゃんのこと吹っ切ったから」
「え?」
顔を上げると兎和はまだ笑っていた。
「知っとったもん。なっちゃんがうちのことの女として見てないってこと。だから、始めからOKしてもらえると思ってなかったし。むしろフラれに行ったみたいなとこあるからさ。記念告白っていうか、気持ちを整理したかったみたいな? 言ってることわかる?」
「う………うん、わかる」
「嘘ヘタやわー、ホンマ。まあ、とにかくさ、うちはもう大丈夫やから。変に気ぃ遣われる方がキツイし。いつものうちらに戻ろ? 優秀で何でもできるお姉ちゃんと、どんくさい弟の関係にさ」
「いや、ふざけんな。そんな関係なかったわ!」
「お、調子出てきたねー。調子出てきたんやったら―――さっさとご飯食べろ!」
ぺしりとデコを叩かれた。
「いてぇ! 急に何すんだよ」
「あははは。ええ音すんなあ、あんたのデコは。で、ホンマにご飯どうすんの? いらんねやったら片付けるで」
「食うよ! 食うに決まってるだろ」
「はいはい。お味噌汁は? あっためる?」
「別にいい」
「ちょっと待っとき」
「いいって、ばか!」
ばか、なんて言葉を自然に僕に吐かせてしまうあたり、悔しいがやはり兎和はお姉ちゃんなのかもしれない。さっきまでどんなに探しても欠片も見つからなかった日常を、兎和はいともたやすく食卓に戻して見せた。
「ごめん、マグマになったわ」
「またかよ!」
年上面をして世話を焼く兎和と、それに反発する僕。やっぱり僕達はこれでいい。この関係がしっくりくる。このまま日常生活に洗われていけば、いつかあの告白も笑って話せる日が来るだろう。それまでこの当たり前の生活を積み重ねていけばいい。
「ごちそうさま! お先に!」
「あ、待ちーや! うちが先やぞ」
朝食を終えると、毎朝恒例の洗面台の奪い合いに突入した。狭い洗面台に我先にとなだれ込む。
「邪魔だよ、どけよ」
「あんたやろ、邪魔なんわ。レディファースト知らんのか」
「足出てるって! ここが真ん中だぞ。引っ込めろよ」
「違うわ、ここが真ん中じゃ。そっちこそ肘入って来てんねん! どけー」
蛇口を境界線にして押し合いへし合い罵り合う。
これも僕らの日常だ。肩と肩、肘と肘、腰と腰をくっ付けてガチンコでぎゅーぎゅーと…………ぎゅーぎゅーと……………ってあれ、兎和の体ってこんなに華奢だったっけ?
なんか、全部が柔らかい。肩も肘も腰も腕も、触れ合う場所が全部柔らかくて、細くて小さくて………って、ばか。何を意識してんだよ。ついさっきリセットしたばっかりだろ。ちゃんと日常に集中しろ。兎和だってしっかり吹っ切れてるからこそこうして全力で押して来てくれてるわけであって、
「ふぅっ………んん………ふっ……ふぃぃ……」
なんか変な声出してんなあ! やめろよ、顔真っ赤じゃん。こっちまで体が熱くなってくるわ。
「は、はい、終わり!」
沸騰しそうな顔面をとにもかくにも洗い終え、二人同時に壁のタオルに手を伸ばした。これもいつものルーティンだ。男女を意識しないからこそ一歩も譲らない僕達は、一枚のタオルの端と端を引っつかんで競うように同時に顔を埋める。
大丈夫、日常だから。
一見するとありえないような絵面だけど、これはいつものことだから大丈夫。お互い同性同士の感覚だからこそ、何も気にせずこういうことが出来るのだ。例え耳と耳が触れ合っても気にしない。濡れた髪が頬をくすぐってきても気にしない。布を伝わって熱い息が混じりあっても気にならないし、肘がノーブラの胸にずぶずぶめり込んでも――。
「――って、これは無理っっ!」
爆発的な勢いで、僕らは洗面台から飛び退いた。
「ぐぇ!」
「痛ぁ!」
僕は壁、兎和は扉に背をぶつけてしばし息が止まる。
くそう、やっぱり無理だ。こんなの意識しないなんて不可能だ。なんだよ兎和、その顔は。もう取り繕うこともできていないじゃないか。汗だくで耳まで真っ赤で目がグルグルで、絵に描いたような動揺面。ああ、わかってるよ。きっと僕も同じような有様なんだろうな。
「なに……これ? 僕達って毎朝こんなことしてたの?」
「うん、してた」
慣れとは恐ろしい。あんな密着を無自覚に繰り返していたとは。
「あ、あのさあ、僕がこんなこと聞くのもアレだけど、兎和って、そのー、僕にアレだったわけじゃん?」
「アレ? ああ、そうやねえ、アレだったよねえ、バリバリ」
「毎朝どんな気持ちで密着してたん?」
「………………………至福」
だめだ、こいつ。全然吹っ切れてねえ。
「なっちゃん、顔真っ赤やで」
「お前もな」
「ドキドキしてくれてるん?」
「は?」
兎和は己の体を抱き締めるようにグッと組んだ肘を握り締めた。
全てが小作りな兎和の体で唯一平均を遥かに上回るボリューム、胸の肉付きが一段と強調される。肘に残る感触がボワリと生々しく熱を持った。
「うちでドキドキしてくれるん?」
「……何言ってんだよ、お前」
「なあ、もしかして、もしかしてやで? うちがもうちょっと早く告白してたら………」
止めろ。何を言う気だ。わかってるのか。そんなことを言ってしまったら、聞いてしまったら、もう二度と僕らの平和な日常は帰ってこないんだぞ。
「なっちゃんはうちのこと、女として見てくれてた?」
躊躇いもなく兎和は日常を破壊した。いや、あるいはそんな日常なんてもうとっくに壊れていたのかもしれない。砕け散った水槽を頼りないセロハンテープで繋ぎ合わせていただけなのかもしれない。だくだくと漏れる水から目を逸らして。
「なっちゃん、うち――」
兎和は何を言おうとしたのだろう。ためらいがちに開いた唇を止めたのは、インターホンのチャイムの音だった。
僕達はしばし無言のまま見つめ合い、二度目のチャイムの音を聞いた。無言のまま洗面所横の玄関に移動する。平日の早朝、宅配やセールスのはずがない。心当たりはただ一人しかいなかった。朝はスマホを見る時間がないからインターホンを二度鳴らしてそのまま入って来てくれと伝えてある。
ややあって、遠慮がちに玄関の扉が開き、
「あの、来た………」
恐る恐るというふうに弱々しい声だけが入ってきた。
「おう、
「…………」
「もしもし?」
「…………まむ」
ああ、姫乃だ。この返事は姫乃だ。姫乃が迎えに来てくれたんだ。
「ごめん、まだ準備できてないんだ。ちょっとだけ待ってくれる?」
「………」
「それとも中で待つか?」
「………」
「外でいいのか。じゃあお地蔵さんとこで待ってて。秒で行くから」
「………」
「あ、待って」
閉じそうになる扉の隙間に慌てて言葉を差し入れた。
「お前ほんとに姫乃だよな?」
「…………」
閉じかけた扉が五センチの間隔を保って停止する。それから五秒、逡巡するような間を空けて、
「……わたし、です」
隙間から昨日からの僕の恋人、亀島姫乃が顔を出した。
長い髪の毛が重力に従ってサラリと流れ、朝日を浴びてキラキラと輝く。長い睫毛と伏し目がちな姿勢に幾分は削り取られているけれど、大きな瞳はそんな朝日よりもさらに輝いて見えた。緊張しているのだろうか、硬いものを何一つ齧ったことのないような細い顎を扉の影に隠したまま姫乃は形の良い唇を顕微鏡レベルでほんの微かに動かすと、
「………まむ」
謎の暗号を残して扉の向こうに引っ込んだ。
外で待っていると言ったのだろう、多分。どうやら、今日も今日とて姫乃のコミュ障は絶好調のようだ。
誰もが二度見するような面貌と、極端に少ない口数が相まってクラスメート達からは近寄りがたい印象を持たれている姫乃だけど、
「はぁぁぁぁ~~~。姫様、可愛いぃぃぃ~~~~」
そんなところがお姉ちゃん願望の強い兎和の庇護欲にブッ刺さるらしく、兎和は姫乃の顔を見る度に軟体動物のようにずぶずぶと床にへたり込む。
「はばばばぁぁ~~~、姫しゃま~~。抱っこしたい~~。よしよしした~~い」
「兎和、ヨダレやばい! マーライオンみたいになってんぞ」
「姫ちゃまぁ~~」
「兎和って!」
「ぶぇ? あ、なっちゃん? うわ、汚っ! ひぃぃ、またやってもうた」
ようやく我に返った兎和は慌てて脱衣所に駆け込むと、
「なっちゃん!」
顔だけにゅっと外に突き出し、
「テッテレー♪ さ、さっきのはドッキリでしたー。洗面所でのドキドキする? みたいなやりとりはもう全部ドッキリでしたー。や、やーい、騙されたー。ばーかばーか」
こっちが恥ずかしくなるような言い訳を並べたててまた引っ込んだ。
「ふー、危なー。あんな可愛い子反則やし。あんなん勝てるわけないやん、ノーチャンスノーチャンス」
ややあって、なにやらブツブツと独り言が聞こえて来たけれど、多分ドッキリなので気にはしない。
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