第31話 sideイネディット05 暴走

 王都侵攻への準備は着実に進んでいる。


 だが国境の城塞都市には、聖銀騎士団の半数が詰めている。

 解放国家オイネの全軍を挙げて侵攻したとしても、彼奴らを下すことは容易ではないだろう。


 手間取ろうものなら、シャハリオン方面に当たった王国の兵力が、王都防衛に戻るやも知れぬ。


 となれば此度のはかりごとは、水泡に帰すことになろう。

 そうさせない為にも、最後の一手が必要となる。


「儀式を執り行う」


 降霊の間に集った宮廷魔術師どもを見回す。

 彼らの顔色は暗く、纏う空気は重苦しい。


「……まだ、調整が済んでおりません」

「構わぬ。降ろせ」

「し、しかしそれでは陛下の御身が……!」


 魔術師どもの必死の努力は結実叶わず、結局今の今まで儀式の準備は万全に至っていない。

 だが余は、そのことを責めるつもりはない。


「やれ」

「……いま少し、いま少しのご猶予を――」

「斯様な時はもうない」


 切って捨てると、誰もが悔しげに顔を歪めた。

 だがその只中にあって、敢えて余は表情を緩める。

 彼らを安心させるように……。


「余は、開祖オイネが先祖返り。歴代女王の誰よりも、オイネに近しい。……心配するな。多少魔力が馴染まなかろうと、ねじ伏せてみせる」


 余の強弁に、魔術師どもが折れた。


「……儀式を……開始いたします……」

「うむ。よろしく頼む」


 余は床に描かれた陣の中央に向けて、そろりと足を踏み出した。


 そこには聖遺体が収められた棺が置かれていた。

 普段は霊廟に安置されているオイネの棺である。

 余はその前に屹立し、一堂を見渡す。


「これより降霊の儀を執り行う! ……余に、この女王イネディットに、開祖オイネの御魂を降ろせ!」


 オイネを降ろし、黒竜化の力を得る。

 その力をもって、余自らが王都を叩く。


 これこそが余の、最後の一手であった。




 感情が流れ込んでくる。


 これは、なんだ?

 愛しさ?

 悲しさ?

 慈しみ?

 ………そして……希望……?


 脳裏を掠めていく記憶の数々。

 走馬灯のようなそれらは、だがしかし余の記憶ではない。

 これは、開祖オイネの残留思念だろうか?


「……安定しています……! 次の段階へ……」


 魔術師たちの声がする。

 すぐ近くで発せられたはずのその声が、何処か遠く、まるで他人事のように聞こえる。


 周囲の景色は、霞がかかったように判然としない。

 胸のうちに鮮明に浮かぶ風景は、いずこかの森。


 ――こ、ここはどこ? も、森のなか?――


 戸惑いが伝わってくる。

 それがまるで、余自身の想いであるかのように共鳴する。

 これは……オイネの記憶?


 ――私はお稲。ねぇ、あなたの名前は?――


 ひとを求めて王国へと赴いた彼女。

 青年との出会い。

 ふたりの穏やかな生活。

 胸が痛くなるような……そんな柔らかな日々。


 ――やった……! オイネ、遂に僕らは!――


 闘争の末に勝ち得た未来。

 信頼。

 愛情。

 かけがえのない想い。


 …………余の、知らない……想い……。


 ――ペルエール。いつかまたきっと……――


 ふたりの別れ。

 いつの日かまた、手を取り合うことを願って……。

 次代へと託した願い。


 オイネ、貴女は……。

 余は理解した。


(……貴女は、憎んではいないのだな……)


 オイネはなにをも、憎んではいない。

 すべての希望を、未来に託したのだ。




 オイネの想いは、痛いほどに伝わってきた。


(……だが、……だが……余は……)


 憎い。

 余はペルエール王国を、憎まずにはいられない。


 飢え死んだ我が子を胸に抱き、咽び泣く母の姿……。

 侵攻を許した国境の村と、物言わぬ骸となった民……。


 あの日に知った絶望が、余を責め立てる。

 決して許すわけには行かぬと、余をはやす。


 そうして、思い返す。

 胸に秘めたこの誓い。

 余はペルエール王国を、……ちゅうする。


「……魔力…増だ……! 制御不…に……!? 黒竜化……り……!?」


 全身の筋肉が、ミシミシと軋みをあげ始めた。

 体が内側から、引き裂かれるように痛む。

 だがそれ以上に、……胸が痛い。


「……グルゥ」


 漏れ出したのは獣じみた呻き。


 内側から書き換えられていく。

 余が変わっていく。


 そんななか、憎しみの炎だけが、変わらず余を激しく急き立てる。


(……滅びを。……ペルエール王国に、滅びを……)


 自我が保てなくなってきた。

 このままでは不味い。

 薄れゆく意識をどうにか繋ぎ止めようとする。

 しかし激しく燃え盛る憎悪がそれを許さない。


「……グルゥゥゥ……」


 脳裏に浮かんでいたオイネの記憶すら、暗く掠れていく。


「グルゥオオオオオオオオオオオオッ!!!!」


 その咆哮を最後に、余の意識は暗闇へと沈んだ。

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