第2話 とにかく森を歩いてみよう

 朝になった。

 木陰に身を隠したまま、わたしはじっとしている。

 ほとんど眠っていない。


 コートを着ていたのが良かった。

 ここがどこだかわからないけれども、気温は冬の日本よりずっと暖かい。

 丸くなってコートにすっぽりと包まれば、十分に暖はとれた。


「……ここって、……異世界なのよね」


 いまは朝陽にすっかり薄くなってしまったけれども、空にはふたつの月が浮かんでいる。


 混乱していた頭が、一晩経ってようやく落ち着いてきた。

 少し状況を整理しよう。

 仕事帰りにコンビニに寄って、家に帰り着いたら、異世界の森にいた。


 ……うん。

 さっぱりわかんない!


 もしかすると神隠しとか、そういうのにあってしまったのだろうか?


「……あ、そうだ。……コンビニ弁当」


 お腹も空いているし、とにかくご飯を食べよう。

 すっかり冷えてしまったお弁当を、レジ袋から取り出して食べる。


「うぅ……。レンジでチンしたいなぁ……」


 もそもそと三色そぼろ弁当をつつく。

 正直な所、味はよくわからなかった。




「よし……。とにかく、歩いてみよう……」


 いつまでもこうしていても仕方がない。

 ご飯を食べ終えてから立ち上がる。

 お尻をパンパンと叩いてから、わたしは森を歩き始めた。


「しかし、すごい森だなぁ……」


 のんきに呟いてしまう。

 なんだか現実感が湧かないのだ。


 ひとの手の入っていない深い森。

 見上げるほどに大きな樹々に、苔生した大岩。


 日本の風景に例えると、屋久島なんかが近いのかもしれない。

 といっても、わたしも屋久島なんて写真でしかみたことがないのだけど。


「これ、帰る方法あるのかな……」


 急に心配になってきた。

 日本にいる母と妹、ふたりの家族に思いを馳せる。


 お母さん。

 絵里ちゃん。


 頭を振って不安を振り払った。

 それはいま考えても仕方のないことだ。


 こんな状況なのだ。

 まずは自分のことである。

 わたしは現状の優先順位を、頭のなかで整理する。


 ひとつ、安全の確保。

 ふたつ、食糧の確保。

 みっつ、水場の確保。


 とにかくまず、このみっつを優先して行動しよう。

 あとのことを考えるのはそれからだ。


「えっと……。食糧の確保は……」


 先ほどから木ノ実やキノコは、ちらほらと見つけている。

 結構豊かな森らしい。

 でも果たしてこれらは食べられるのだろうか?


 安全についてはいまのところ大丈夫だ。

 歩き始めてしばらく経ったが、差し迫る危険は感じない。


「……取り敢えず、水場を探そう」


 レジ袋には空になったコンビニ弁当の容器と、缶ビールが2本。

 ビールでは水分補給にならない。

 どこかに小川なんかがあればいいのだけれど。




 しばらく歩き回っていると、ちょろちょろと水の流れる音が聞こえてきた。


 どうやら無事に水場を発見できたようだ。

 ほっとしながら音のする方向に進んでいく。


 草木を掻き分けて顔を出すと、そこには川というほどではないけれども、十分な水が流れる沢があった。


「あった! 綺麗な、さ……わ……」


 そこには大きな猪が佇んでいた。

 水場を見つけて緩んだ表情が、急速に真顔になっていく。


「ぶるる……」


 猪がこちらを見ている。

 距離としては30メートルほど先だろうか。

 でもすぐ目の前にいるように錯覚してしまう。

 なぜならこの猪は、象のように大きかったからだ。


 巨大猪は瞳を逸らさずにこちらを見ている。

 わたしも呆然としながらその怪物を見つめ返した。

 口元が濡れている。

 沢の水を飲んでいたのかもしれない。


「……あ。……にげ、なきゃ……」


 1歩後ずさる。

 それに合わせて猪が1歩踏み出した。

 ズンと重たい足音が地響きみたいに響く。


 それを聞いたわたしは、背を向けて脱兎のように逃げ出した。

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