第21話 sideシメイ05 黒髪黒瞳の女

 家を離れ、森へと足を踏み入れた。


 この森には魔獣が多く棲息している。

 とはいえここら一帯は、あの白竜のテリトリーだ。

 危険を犯してまで侵入してくる獣も、そうはおるまい。


 だが一応の警戒だけはしつつ、森を散策する。

 澄んだ空気を楽しみながら、周囲を見渡した。


 豊かな自然である。

 そして、いくつもの生命の息吹を感じる。

 これで魔獣さえおらねば、付近の村々もその恩恵にあずかれようものだが、こればかりは仕方がない。


 そんな詮のないことを思いながら、歩く。

 すると遠くからチョロチョロと、水の流れる音が聞こえてきた。


「……ふむ。……小川か?」


 俺はそちらのほうに足を向けた。




 小川に近づくにつれ、俺の耳は水音以外の音を拾うようになっていた。


 複数の人間らしき者どもの声。

 恐らくは、まだ年若い女のものだ。

 だがそれが、ひとの発する声とは限らない。

 魔物のなかには、ひとを模したようなものも、いるのだから。


 海には船乗りを惑わせるセイレーンなる魔物もいるし、この森にだって、ドライアドや、ハーピー、ラミアなどが出没するのかもしれない。


 息を殺しながら、声のするほうへと近づいてく。

 携えた剣の、柄の感触を確かめた。


 徐々に視界が開けはじめた。

 見えてきたのは沢だ。


(……ぬ。……あれは……?)


 沢の大きな岩に、ふたりの女が腰掛けている。

 ひとりは以前に話をした村娘、コロナ。

 そしてもうひとりは――


(…………なっ!? 魔女……だと……!?)


 もうひとりは、黒髪黒瞳の魔女だった。

 もしやイネディットが追ってきたか。


(……い、いや。……違う)


 彼奴あいつではない。


 そこにいる黒髪黒瞳の女は、まだ成人したてという風貌だった。

 おそらく年の頃は18から19だろう。

 魔女イネディットではない。


(……一体、なにを話している……?)


 聞き耳を立てながら、繁みに身を隠した。




「……はい、コロナ! 前に約束したでしょ? ご飯ご馳走してあげるって!」

「そ、そういえば、そんな約束をしたかもしれないわね?」

「あ、もう忘れてるー。約束したんだよ! だから、ほら! ジャーン!」


 黒髪の女がなにかを取り出した。

 なにを取り出したのだ?

 ここからの角度では、手元が見えない。


「たくさん用意したんだよ! ニジマスの直火焼きに、ニジマスの蒸し焼きに、ニジマスの香草焼き!」

「……同じ魚ばっかりじゃない?」

「これの美味しい食べ方を、いま研究してるのよ。だからコロナも、どれが美味しかったか、感想を教えてねー」

「……ま、いいけど」


 どうやら食事を始めたようだ。

 あれは……ミュキスだろうか。


「そういえばさ、あんたいまは、どこに寝泊まりしてるのよ?」

「えっと、寝泊まりは竜の姿でうろのお家の前だよ」

「じゃあ、寝泊まり以外は?」

「ちょっとここからは見えにくいけど、もう少し沢をのぼった先に、岩塩の採れる小さな洞窟があるのよ。そこで料理したりお風呂入ったりしてるの」


 ふたりは食事をし、雑談を交わしているだけに見える。


「へえー。あんたも大変ねえ」

「そうかなぁ。……うーん、そうかも? 別居生活というかなんというか……」

「そんな苦労しないでも、騎士様に正体を明かして、一緒に暮らせばいいじゃないの」

「だ、だめだよ、そんなの!?」


 しばらく眺めていると食事が終わった。

 黒髪黒瞳の女は大きく伸びをして、岩にゴロンと寝転がった。


「ふぃー。食べた食べた! 余は満足であるぞ!」


 女の口調が、イネディットと僅かに重なる。

 やはりこの者……魔女か?

 緩みかけた気を引き締め直し、注意深く耳を傾ける。


「……ふん。ご馳走さま。……な、なんならまた、一緒にご飯食べてあげても、い、いいわよ?」

「うん。また一緒に食べよ。あ~……。でも最近川魚は飽きてきちゃったなぁ……。お肉が食べたいよー」


 ……肉?

 肉が食らいたい?


 一体なんの話だというのだ。

 さっぱり理解が及ばない。


「あたしはそろそろ戻らなきゃ」

「あっ、そうだね。じゃあ送ってくよ!」


 黒髪の女が立ち上がって、服を脱ぎ始めた。

 村娘が彼女から少し離れる。

 なにが始まろうというのか。


「じゃあ、変わるよー。……ふんぬぬぬ」


 女の肢体が膨らんでいく。

 刹那ののち、あらわれたのは白竜。


(…………なっ!?)


 それは、見慣れたあの、白き竜だった。


「ぐるぉ」


 促されたコロナが、白竜の背によじ登っていく。

 竜が羽ばたいた。

 巨体が宙に浮く。


 そのまま白竜は天高く舞い上がり、彼方へと飛び去っていった。

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