第22話 いつの世も胃袋を掴むのは大切
シメイが森から帰ってきた。
ここ最近の彼は、森を散策できるくらいに回復している。
「ぐるぁー(おかえりなさいー)」
「……ああ。ただいま」
見ればシメイは、左手になにかをぶら下げていた。
なんだろう。
眺めてみる。
「……気になるか?」
彼はそれを、わたしに向けて掲げてみせる。
「ホーンラビットだ。以前、散策のついでに罠を仕掛けておいた」
掲げられたのは、あの角の生えたうさぎだった。
2羽いる。
いつだったか、わたしがペットにしようかなぁって、頭を悩ませていたやつ。
「少し待っていろ。すぐ捌いてやる」
「……ぎゅる?(……捌く?)」
「……肉が食いたいと、そう言っていただろう?」
「ぐ、ぐるり!?(お、お肉!?)」
食べたい!
お肉が食べたい!
さすがシメイ。
わたしのなかのシメイ株はうなぎ上りである。
でも、はて……?
わたし、彼にそんなことを、言ったっけ?
「……っと、まずはここを開いて」
考えていると、すでに彼は獲物の解体を始めていた。
「……ぐ、ぐるぉ(……グ、グロいわ)」
顔を背けてギュッと目を瞑る。
このうさぎはもう、ペットには出来ないわね……。
しばらく待っていると、お肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。
渇望したその香りに、否応なく食欲が刺激される。
「ほら、出来たぞ。『ホーンラビットの丸焼き』だ」
料理をお皿にのせて、差し出してくれる。
脂がジュウジュウと弾けて、とっても美味しそう!
わたしは頭を下げて、鼻の先をお肉に近づけてみた。
「……きゅわぁ(……ふわぁ)」
いい匂いだ。
感動に胸を震わせていると、急に鼻先を撫でられた。
ビクッとなる。
触ってきたのは、もちろんシメイである。
(ど、どうしたんだろう……?)
彼から触れてくるなんて、初めてのことだ。
戸惑っていると、その手が頬に移動した。
彼は無言で、わたしの顔を撫で続けている。
なんだか優しい手つき。
(はわ……、はわわわわ……)
待望のお肉のことも忘れて、わたしは柄にもなくドキドキしてしまった。
夕方。
わたしはシメイと一緒に、うろのお家の前庭にいた。
「日が落ちてきたな……」
言われてみれば、辺りが少し薄暗くなってきた。
竜になったわたしの目は、どんな暗闇も見通すことができる。
だから夜になっても灯りは不要だ。
でも彼は、そうではない。
「……っと。なかなか点かないな……」
シメイは火打ち石で、焚き木に火を起こそうとしている。
けれども上手に火が点かない。
今朝は少し雨がぱらついたから、組んでおいた薪が湿気ってしまっているのだろう。
「ぎぎるるー(わたしがやりますよー)」
彼は頷いて、薪から離れた。
焚き木に顔を近づける。
わたしは細く細く息を吐いて、炎を吹き出した。
でも最大限まで加減しているというのに、吐き出す炎は結構な勢いである。
しばらくすると、薪がパチパチと音を立てだした。
焚き木に火が灯って、ボワッと燃え盛る。
……ぃよし。
こんなものだろう。
灯った炎を見つめていると、また頬になにかが触れる感触がした。
シメイの手のひらだ。
「……すまないな。ありがとう」
今日も彼は優しい手つきで、わたしの頬を、鼻を、顎を撫でまわす。
なんだか頭がぽーっとしてきた。
意識がふわふわとしてしまう。
「さあ、食事を作ろう。そうだな……。ワイルドボアのシチューなんかどうだ? 柔らかくなるまで肉を煮込むんだ」
「……きゅるふぅ(……じゃぁそれでぇ)」
月明かりと焚き木の炎が、柔らかく辺りを照らす。
わたしたちは仲良く鍋を囲んで、食事を楽しんだ。
今日も今日とて、彼が料理をしてくれている。
なんでも今日は『ドードー鳥のスパイス焼き』とかいうご飯らしい。
どんなのなんだろうか。
シメイの作るお料理は、みんな美味しい。
ここのところのわたしは、すっかり彼に胃袋を掴まれてしまっていた。
(……は!? これって餌付けじゃない!?)
もうすっかりわたしは彼のペットである。
「少し時間を置くぞ。スパイスを馴染ませたほうが、うまいからな」
うんうんと首を振る。
いつからか、シメイはわたしによく話しかけてくれるようになっていた。
最低限の会話しかなかった最初の頃を思い返すと、ここしばらくは随分と楽しい。
彼を眺めた。
捌いた鳥の肉にスパイスを擦り付けている。
お互いしばらく無言になる。
そうしていると、視線を料理に落としたまま、彼が語り始めた。
「……俺はな。ずっと、偉大な竜騎士である、父の背中を追いかけてきたんだ……」
わたしに聞かせているのだろうか。
でも独り言みたいにも聞こえる。
「だから幼い頃から学問も、武術も、出来得る限りの努力を惜しまなかったし、実際に俺は、様々なことが人よりも上手く出来た。……父の期待にも、応え続けてこれたと思う」
相槌を打つのはやめておく。
しっかりと、彼の話に耳を傾ける。
彼もそんなわたしを軽く振り返って、柔らかく微笑んだ。
「だがいつのころからか……、俺の肩には、力が入りすぎていたのかもしれん……。いつからか俺は、友人からも配下の騎士からも、恐れられ、気付いたときには距離を置かれるようになっていたよ……」
彼は話しながら、馴染ませた鳥肉を、石のフライパンで焼き上げていく。
美味しそうな匂いが漂いだした。
「きっと視野狭窄に陥っていたんだろうな。……だが白竜よ。俺はここでお前と出会い、お前を知ってから、……なんだか張り詰めていた緊張が、解けた気がするのだ」
シメイが軽く笑う。
わたしもいまの彼のほうが好きだ。
「さぁ、出来たぞ。食事にしよう!」
お皿を差し出してくれる。
そこには、最初の頃の気難しそうな彼は、もういなかった。
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