第23話 ただひたすらに
イサベルと剣を交え、ある程度は分かった。
予想以上の膂力。俊敏な動き。冬夜よりも卓越した権能の使い方。
正直な感想を言えば、強いと思った。なるほど、確かに、王と呼ぶに相応しい実力だ。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
それが、全盛期の時であるのならば。
剣を杖代わりにして身体を支えながらも、ドレスが汚れる事をいとわずに膝を着くイサベル。
そう、イサベルの全盛期はとっくに過ぎ去っている。
本来であれば、王の器を得て扱いを憶えさえすればかなりの長命になる事が出来る。魂を消費し、身体を維持する事が可能になるからだ。
イサベルは五百年前から存命とは思えない程の美貌を備えている。けれど、その身体は痩せ細り、復元可能なはずの右腕の復元も出来ていない。
身体は弱っていく一方であり、長時間の戦闘も出来なくなっていた。
それを、冬夜は知っていた。アステルの記憶から、受け継いでいた。
だからこそ、冬夜は防御に徹して、イサベルの限界が来るのを待った。結果、冬夜が思っていた以上に早く、イサベルの限界は訪れた。
「俺はあんたとは戦うつもりは無い。大人しくこのスカーフだけ受け取ってくれ」
「なら、ぬ……っ! 貴様は、我が英雄を殺した……大罪人だ……! 生かしては……おけぬ……っ!!」
脂汗を流しながら、イサベルは威勢よく言うけれど、今の冬夜には傷一つ付ける事は出来ない。剣筋も権能の使い方ももう分かった。防ぐだけなら、オドの力を使う必要もない。
立ち上がろうとしたイサベルは、しかし脚に力が入らずにその場に倒れ込んでしまう。
「陛下!!」
倒れ込んだイサベルの元に、ヘレナ達が駆け寄る。
ヘレナやオリアはイサベルを案じ、他の騎士達はイサベルを守るようにして冬夜に剣を向ける。
「貴様!! ここまでの事をしておいて、ただで済むとは思うなよ!!」
ミアが鬼のような形相で冬夜を見る。しかし、冬夜は剣を構える事はせずに剣を背負う。
そして、足元にやってきた黒猫からスカーフを受け取ると、イサベルの方へと歩み寄る。
「止まれ!! それ以上近付くな!!」
ミアが静止の声をかけるけれど、冬夜は止まらない。
「――ッ!! 嘗めるなぁッ!!」
一瞬の恐れを怒りで跳ねのけ、ミアは冬夜に剣を振るう。
「――なっ!?」
しかし、振り下ろした剣は冬夜を切り裂く事無く、冬夜の放った|禍爪(まがつめ)によって真っ二つに折られる。
「退いてろ」
ぐいっとミアを押し退け、冬夜はイサベルの前に立つ。他の騎士達は冬夜に剣を向けながらも切りかかっては来ない。|禍爪(まがつめ)がいつ来るか分からない以上、攻撃をする機を見計らわなければいけない。
ヘレナとオリアに背中を支えられて地面に座るイサベルは、息も絶え絶えになりながらも冬夜を睨む。
それほどまで冬夜が憎いのだろう。その憎しみを冬夜は理解できる。何せ、自分も大切な者を殺されたのだから。
睨むイサベルに、冬夜はスカーフを投げて渡す。
投げられたスカーフを、イサベルは弱弱しい動作で掴む。
「感謝と謝罪を伝えてくれって言われたよ」
「……そう……か……」
睨みながらも、イサベルはスカーフを愛おしそうに胸元で握りしめる。
「義理は果たした。俺は行く」
「待……て……」
背を向けようとした冬夜を、イサベルは呼び止める。
「……お前は……罪無き者達を……見捨てる覚悟が在るのか……?」
起き上がり、苦しそうに呻くイサベル。
「陛下! ご無理をなさらないでください!」
「よい……少し、楽になった……」
そうは言うけれど、イサベルの顔色はまだ青白く、とても大丈夫には見えなかった。
青白い顔のまま、イサベルは冬夜を見据える。
「貴様は、曲がりなりにもこの王都を見たのだろう……? 人々の営みを、見たのだろう……?」
「ああ、見た」
「……貴様は、何も思わぬのか? 最早国の門は壊れた。……貴様がアステルを殺したせいでな」
「……」
「これから……何百、何千と人死にが出るぞ。巨人に踏み潰され、蟲に|集(たか)られ、精霊に精気を奪われ、魔獣に噛み千切られ、死者に脅かされ、龍に全てを焼かれる……全て、全て貴様のせいだ……貴様のせいで死ぬ必要の無い者が死ぬのだ!!」
「……そうだな」
そんなことは百も承知である。
知っているとも。大勢が死ぬ事も、自分がその原因だという事も、十分に理解しているとも。
だからこそ、早く行かねばならない。此処でちんたらしている間にも、敵は戦の準備をしている事だろう。
アステルという最大の障害が取り除かれた今、この人間の国は奴らにとってかっこうの狩場に他ならないのだから。
「……何故アステルを殺した……? あれが貴様に何をした……? アステルを殺す事が、貴様の行く末に必要な事だったのか……?」
イサベルの言葉に、冬夜は誠意をもって答える。この問いに、不誠実な答えは出来ない。
「アステルを殺したのは、俺の無知だ。何も考えず、ただ復讐に囚われて、楽な道を選んだ俺の失態だ。あんたの愛した人を殺した事は……本当に申し訳無いと思ってる」
「ならば此処で自害しろッ!! 今此処でその首を斬り捨てよッ!!」
「済まないが、それは出来ない」
首を切り落としたところで、冬夜は再生できる。王の器から魂を引っ張り出せば、数秒で復活する事が出来るだろう。
けれど、それは無駄な消費に他ならない。今の冬夜に、無駄に捨てられる魂など一つも無い。
それに、イサベルは冬夜にこの場での完全な死を望んでいる。六王を一人も殺していない今の自分が死ぬ事を、冬夜自身が許せない。
「俺は六王を殺すまで死ぬわけにはいかない。その後なら、俺の命なんて好きにしてくれて構わない」
「んなっ!? んにゃぁっ!!」
冬夜の言葉に、黒猫は焦ったようにがりがりと冬夜の靴を引っ掻く。しかし、冬夜は気にした様子も無くイサベルに続ける。
「六王を殺した後、俺は此処に戻ってくる。その時、俺の命をどうするかあんたが決めれば良い。煮るなり焼くなり、好きにすれば良い」
「……はっ……アステルや私ですら成し得なかった事を、貴様が成すと言うのか? その自信がどこから来るのやら……」
「自信なんて無い。ただ、俺がやらなくちゃいけない事だからやるだけだ」
冬夜の使命であり、宿命である。出来る出来ないではない、やらなくてはいけないのだ。
それだけ言って、今度こそ踵を返して去ろうとする。
「あ、あの!」
しかし、その背中にオリアが声をかける。
冬夜は立ち止まり、頭だけ振り返ってオリアを見る。
「……トウヤ様の事情は、私はいまいち分かりません。その、お恥ずかしい話、陛下とトウヤ様の話の半分も分かりませんでした」
冬夜とイサベルの間でしか分からないようなやり取りをしていたために、冬夜がアステルの墓所の機能を壊し、アステルを殺し、冬夜が王の器の所有者、という事しか分かっていない。
その他の事情は、オリアにはさっぱり分からない。
しかし、冬夜が強い事はオリアにも分かった。そして、冬夜が素っ気ない態度ながらも、思っていた以上に優しい事も分かった。
「どうか、トウヤ様。私達にお力を貸してはいただけないでしょうか? トウヤ様も知っての通り、私達の国は存亡の危機に在ります。トウヤ様の御力添えが在れば、とても心強いです」
「――なっ!? 何を言っておられるのですオリア様!! この男こそこの国を危機に陥れた張本人なのですよ!?」
「そうですね。ですが、そんな事を言っている場合では無いでしょう? 生きるために、生かすために、今は力が必要なのです。それに、結局は遅いか早いかの違いでしかありません。時期が、多少早まっただけなのです」
「……どういう事ですか?」
ミアの疑問の声に、オリアではなくヘレナが答える。
「アステルに限界が来ていたのだ。アステルは英雄ではあるが、それでも人だ。呪いで不老になり、不死に近くはなったが、魂や精神が悠久の時に耐え切れなかったのさ」
長く生き、変わり映えのしない日々を送り、たまに訪れる敵を屠るだけの日々。
心は摩耗し、精神は歪み、命の|灯火(ともしび)は徐々に小さくなっていった。
アステルはもって後百年程だった。六王がアステルの墓所を積極的に攻めなかったのは、百年後にアステルがいなくなる事が分かっていたからだ。
「アステルはもって百年だった。ま、三百年と予想していたからな。もった方だよ、彼奴は……」
「陛下は、その猶予期間で次の英雄を探していました。しかし、大英雄アステル程の英雄は早々現れてはくれませんでした」
冬夜としては、あんな者がそうほいほいと生まれてたまるかという感じである。
限界が来ていたはずなのに王である冬夜と互角に戦い、二度も殺されたのだ。恐らく、全盛期のアステルが相手であれば、冬夜は確実に勝てなかっただろう。無様に死に、無様に殺され続けたはずだ。
それほどまでにアステルは強く、また、冬夜が相対しなくてはいけない六王も強力なのだ。
「しかし、今はトウヤ様がいます。大英雄を凌ぎ、王の器を持つトウヤ様であれば、国を護るための強力な戦力になる事はまず間違いありません」
オリアは真摯な瞳で冬夜を見据える。
「どうか、トウヤ様。勝手なお願いだという事は分かっています。ですが、どうか、どうか……国を、|無辜(むこ)の民を護るために、お力添えをしてはいただけませんでしょうか」
言って、オリアは深く頭を下げる。それこそ、地面に頭が付くほどに、深く。
「無理だ」
しかし、冬夜は無情にもオリアの嘆願を拒否する。
「……俺に英雄は荷が重いんだよ」
アステルが背負ったものを、自分も背負えるとは思っていない。多くの命を護るために戦える程、冬夜は強くは無い。
この素っ気ない態度だって、ポーズでしか無いのだから。
それに、冬夜にはもう守りたい誰かなんていない。守りたかったものは全部奪われてしまったのだから。
奪うだけの方が気が楽だ。奪うだけの方が身体が軽い。それに、これは復讐だ。誰かを護るためという大義名分を背負うには、冬夜の心はあまりにも憎悪に染まり切っている。
しかし、アステルを妥当し、この国の危機を早めてしまった事に対しては申し訳なさを覚えている。
「……嫌かもしれないが、少し我慢してくれ」
言って、冬夜は振り返り、イサベルに歩み寄って手を伸ばす。
即座に騎士が剣を振り下ろし、イサベルが大剣の切っ先を冬夜に向けるけれど、冬夜は構わずにイサベルに振れる。
「――っ! やめなさい!」
冬夜に騎士達が切りかかったのを感覚で理解し、オリアは顔を上げて制止の声をかけたけれど、すでに遅く、騎士の剣が冬夜を切り裂き、イサベルの大剣が冬夜を貫く。
けれど、冬夜は構う事は無い。そんな冬夜を見て、オリアは息を飲む。
イサベルに振れ、イサベルの中にある王の器と繋がる。同じ世界の王の器同士であるがゆえに、イサベルの魂が疲弊しきっていて隙だらけであるがゆえに、何処にあるかははっきりと分かったし、簡単にイサベルの王の器と繋がる事が出来た。
「――ッ!? 貴様、何を!?」
「いいから、大人しくしていてくれ」
自身の王の器から、冬夜はイサベルの王の器に魂を移す。その数、およそ五億。
冬夜の王の器には四十八億もの魂が収まっている。五億くらいであれば、渡したところで大きな支障は無い。
しかし、足元に居る黒猫は驚き慌て、冬夜の脚に掴みかかって必死に止めさせようとしているけれど。
斬られ、刺され、引っ掻き噛まれ、それでもなお冬夜はイサベルの王の器に魂を移す。
無駄になるかもしれない。奪われてしまうかもしれない。けれど、それでも、冬夜はこうせずにはいられない。
これが冬夜の出来る最大限の協力。そして、自分が許せる最大限の干渉。自分に言い訳が通用する範疇。
五億もの魂をイサベルの王の器に移せば、冬夜はイサベルから手を離し、数歩距離を取る。
ずるりと大剣が抜け、鮮血が溢れるけれど、それも直に収まる。数秒とかからずに修復された身体を見て、騎士達が戦くけれど、冬夜は気にしない。
今度こそ、踵を返す。
もう振り返らない。振り返れば未練が残るから。これ以上は、情が沸いてしまうから。
茨の道を歩むのは一人で良い。一人なら、誰に情が沸く事も無い。悲しむ事も無い。好きに動ける。好きに戦える。
「お待ちくださいトウヤ様!!」
オリアが制止の声をかけるけれど、冬夜は振り返らない。
これで義理は果たした。後は、ただひたすらに殺すだけだ。
弑逆ノ王 -王を殺す王の物語- 槻白倫 @tukisiro
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