第22話 人間ノ王
王都への長い道のりもついに終わりを迎えた。
目の前に見える大きな城壁。その高さは優に三十メートルを超え、地上からの侵入を容易に出来ないように|聳(そび)え立っている。
さしもの巨人であれど、この壁ほど高くは無いので、上を超えられる事は無いだろう。
城壁の上には砲門や強弓が設置されており、上から敵を攻撃できるようになっていた。
堅牢なだけではなく、攻撃の備えもある。まぁ、当たり前の事ではあるけれど。
「やっと着いたか」
「はい。長旅、お疲れさまでした」
「それはお互い様だろ」
オリアの言葉に、冬夜は素っ気なく返す。
あの問答の日以来、騎士達と冬夜の空気は最悪と言って差し支えなかった。ヘレナが冬夜の言葉を言いふらしたとは考えづらく、恐らくはミアが愚痴を漏らした程度だと思うのだけれど、それでも、冬夜の心無い言葉が知れ渡ってしまった事には変わりない。
いや、心無いと言うよりは、突き放すような言葉と言った方が正しいだろうか。英雄になれない。王都までの間柄だと、冬夜は容赦なくヘレナを突き放した。
ヘレナが元気が無かった事も、騎士達が冬夜を敬遠する理由の一つだろう。
ともあれ、事情を知らないオリア以外は、冬夜に対して必要以上に干渉してこなかった。冬夜としてはありがたい事だけれど、何も知らないオリアが居心地悪そうにしていたのは申し訳無いと思ってしまった。
一行は王都の中に入り、そのまま王城を目指す。
馬車の中から王都を見れば、冬夜が思っていた以上に人で賑わっていた。それに、思っていた以上に笑顔にあふれている。いつ訪れるか分からない六王の脅威に怯えている訳でもなく、皆が笑顔を浮かべている。
「やはり、王都は活気が違いますね。地方の村々とは雲泥の差です」
「そうなのか?」
「はい。王都よりも、地方の方が六王の配下の被害が大きいです。騎士様もいなければ、英雄もいませんから。守りが在るという事は、それだけで安心できる事なのです」
そう言ったオリアの笑みは陰っており、どこか心苦しさを覚えているようであった。
どう答えて良いのか迷っていたところで、馬車の窓がこんこんっとノックされる。
見やれば、ヘレナが馬車と並走していた。
窓を開ければ、ヘレナはオリアに一礼をした後、冬夜に言う。
「トウヤ様。トウヤ様の目的地はどちらになりますか? もしよろしければ、騎士を一人案内に付けますが」
「いや、その必要は無い。俺の目的地はお前達と同じだからな」
「では、城へ御用が? ……しかし……」
とてもそうは見えない。言葉には出さないけれど、そう表情と間で伝えるヘレナ。
「最初に言っておくが、賊とかじゃないからな?」
「私はトウヤ様を賊などとは思っておりませんよ」
「そいつはどうも」
「それで、ではトウヤ様は城へどのような御用で?」
「知人に物を渡しておいてくれって頼まれてるんだよ。それが済んだらさっさと王都を出るさ」
まぁ、それだけで済めばの話ではあるけれど。
冬夜の予感が正しければ、まずアステルのスカーフを渡して終わりにはならないだろう。自分のしでかした事を考えれば、それくらいは分かる。
冬夜を訝しみながらも、命の恩人という事もあって深くは追及しないヘレナ。
一行は、王都内を少し足早に進み王城へとたどり着く。
「これはまた御立派で」
「みゃお」
馬車から降り、王城を見上げた冬夜は素直な感想を口にする。一緒に降りた黒猫も、みゃおと一つ鳴いて王城を見上げる。
「トウヤ様。トウヤ様がお荷物をお渡しするお方は誰なのでしょうか? 場合によっては、トウヤ様では謁見できない場合もございますが……」
「そこもお前達と変わんないと思うぞ」
「同じ……という事は、陛下に謁見なさるつもりですか?」
「ああ」
「それは……少々難しいかと……」
「そうか? なら、俺は外で待ってるから、陛下に一つ伝えてくれ」
「それならば、はい、分かりました」
冬夜はヘレナに一つ言付けを頼み、言った通り外で待つ事にした。
黒猫と一人と一匹で騎士達にじろじろと見られながら、端っこの方で座って待つ。
黒猫を撫でくりして暫く時間を潰していると、一人の騎士が慌てた様子で冬夜の元へと駆け寄ってきた。
「来たか」
立ち上がり、駆け寄ってきた騎士を迎える。
「へ、陛下が貴公をお呼びだ。大至急という事なので、すまないが急いで着いてきてくれ」
「ああ、分かった」
慌てた様子で背を向け、陛下の元へと向かう騎士。その後ろを冬夜が着いて行き、更にその後ろに黒猫が着いて行く。
暫く王城内を歩き、一つの部屋の扉の前へとたどり着く。
「此処だ。くれぐれも、陛下にご無礼の無いように」
「へいへい」
冬夜の適当な返事に不機嫌そうになる騎士だけれど、これ以上陛下を待たせる訳にもいかないので黙って扉を開ける。
冬夜は開け放たれた扉を潜り、広大な一室へと足を踏み入れる。
天井が高く、まるで学校の体育館のようなイメージを受けるけれど、そんな陳腐な物とは別格の高級さと荘厳さがあるこの部屋は、玉座の間、謁見の間と呼ばれる場所だ。
謁見の間では玉座から少し離れた位置でヘレナ達が傅き、ヘレナ達が傅くその先の玉座に、一人の人物が座っていた。
「貴公が私への預かり物が在ると言う者か」
広い謁見の間の隅々まで通る凛とした声は厳格で、聞けば思わず背筋が伸びる様な威勢を放っていた。
「ああ。あんたの英雄から預かってきた」
陛下に対して崩した言葉で返す冬夜に、一同は傅いたままぎょっとするけれど、陛下の前という事もあって流石に声を荒げる事は無かった。さすがの胆力と言ったところだろう。
「私の英雄、か……そんな者、私はただ一人しか知らぬな」
陛下がそう言った直後、幾つもの光弾が冬夜に向かって殺到する。
それを、冬夜はアステルの大剣で一刀に斬り捨てる。
「なっ!? 陛下!?」
突然の陛下の凶行に、思わず声を上げてしまうヘレナ。
「|狼狽(うろた)えるな。こんなもの挨拶だ」
「し、しかし!」
「ヘレナ。貴様が此奴をどう評価しているかは知らぬが、此奴は我らの敵だ。のう、異邦の王よ」
王。その単語に、ついには全員の視線が冬夜へと注がれる。
この世界では王という存在は多い。けれど、彼等の王が王と判断し、王と呼称する存在を、彼等は六体しか知らない。
そんな陛下が、冬夜を王と言った。その言葉の意味を理解できない程、彼等は物分かりが悪くは無かった。
冬夜は王の器の所有者。そう認識した途端、彼らは陛下を守るために立ち上がり、冬夜に向けて剣を構える。
彼等を止めるでもなく、陛下は冬夜に言う。
「何をしに来た? まさか、謝罪にでも来たか?」
「そうだな。申し訳ない事をしたとは思ってる」
「はっ! 白々しい。申し訳無いと思うておるのであれば、そんなふてぶてしくは在れんだろうよ」
「申し訳無いとは思っているが、俺にも必要な事だったんだ」
「貴様の事情など知らぬ。貴様のせいで、|我々の護り(・・・・・)が無くなった。重要なのはその一点のみだ」
「――っ。まさか、陛下!」
「ああ、そのまさかだ。此奴だよ。アステルの墓所を機能不全にした張本人は」
陛下がそう断言した途端、緊張感がこれまでに無い程高まる。
アステルの記憶を幾つか引き継ぎ始めて分かった事だけれど、アステルの墓所は大戦で死した英霊達を弔う場所ではない。あそこは、アステル騎士団を継戦させるための場所なのだ。
この国は周囲を険しい山脈で囲まれ、背後に海が広がるという袋小路のような立地をしている。
逃げ場は無いけれど、逆に言えば入り口は一つしかないという事になる。その入り口に在るのが、このバスティアン王国だ。
大戦が終わり、アステルと陛下は覚った。王殺しを成したとはいえ、それは成長しきっていない王だ。他の王はこうはいかない。傀儡ノ王以上の強敵だ。対抗するには、時間を稼ぐ必要が在る。
数多の英雄を生み出し、数多の英傑を生み出し、数多の武器を生み出し、入念に準備をしなければ勝つことは出来ない。
そのための時間を稼ぐために、アステルは呪いをその身に受ける事にした。
アステルの身体、記憶を起点に、アステルに縁のある者を死者のまま|蘇(よみがえ)らせた。その際、呪いの影響でアステルの身体的成長は止まり、半分死者と同じ状態になった。
怪我を恐れず、死を恐れない死者の軍勢。それを指揮するのは王殺しの大英雄アステル。
王に一矢報いるどころか、下手をすれば王を殺す事も出来る者が国の入り口で出迎えるのだ。そんなところを、誰も通ろうとは思わないだろう。
時間を稼ぎ、門前で敵を追い払うための戦力。それがアステルの墓所の役目だったのだ。要は、番犬と同じである。
しかし、それが今無くなった。冬夜がアステル騎士団を壊滅させ、大英雄アステルを殺したから。
「これで、我が国は六王に門を開けた状態になった訳だ。襲撃が在るのも時間の問題だな」
そう言いながらも陛下は慌てた様子は無い。それ相応の準備が出来ているのか、それとも覚悟を決めたのか。
「……俺はあんたと殺し合いをしに来た訳じゃない。これを渡しに来ただけだ」
冬夜が何を言ったところで、受け入れられる訳では無い。言われた事は全て事実だ。何かを言ったところで、それは言い訳にしかならない。
だから、冬夜は当初の目的を遂行しようとする。
懐から取り出したのは、アステルの首に巻かれていた赤色のスカーフ。
陛下は冬夜の持つスカーフを見ると、一瞬悲し気な顔を見せた。
「……本当に死んでしまったのだな。あの馬鹿は」
一度、目を瞑る。直後、数多の光弾が冬夜に向かって放たれる。
二度同じ手は通用しない。そう思い大剣で斬り捨てようとしたけれど、違和感を覚えて|禍爪(まがつめ)で迎撃をしつつ背後に飛ぶ。
違和感は的中した。|禍爪(まがつめ)と接触した光弾は、直後轟音を上げて爆発をした。
魔術、ではないだろう。|光弾(それ)は冬夜の|禍爪(まがつめ)と同じ性質だ。
つまりは、そういう事なのだろう。
「なるほど、あんたも|王(・)か」
「ああ、貴様と同じだよ」
陛下――イサベル一世は玉座から立ち上がる。
荘厳なドレスに身を包んだ美しい女性は、しかし右腕が肩から先が失われており、残った右腕も病的なまでに細かった。
玉座の頂点にある飾りを掴み、引き抜く。
それは飾りだと思われていたけれど、実は剣の柄であった。
玉座から、白刃が現れる。
アステルの大剣と並ぶほどの巨大な大剣。それを、病的な細さの左腕で軽々持ち上げる。
イサベル一世。別号、バルセロナ伯妃、バレンシア王妃など。八百年に渡る|再征服(レコンキスタ)を完遂させたスペインの女傑。
大剣を持ち、冬夜へと歩を進めるイサベルを騎士達は止めようとするけれど、視線だけで制される。それほどの圧が、細身のイサベルから放たれている。
「貴様もあの魔女に|唆(そそのか)されたか? いや、貴様は男だからな。|誑(たぶら)かされでもしたか? どちらにしろ、貴様がろくな男ではない事は明白だが」
「どっちも違う。いや、ろくでもない男ってところは否定はしないが」
実際、ろくでもないだろう。アリスに流されるままに、冬夜はこの国の門を壊したようなものなのだから。何も考えていなかった、思考停止させていた。その点はろくでもないと言えるだろう。そこは申し開きも無い。
「俺はろくでもないかもしれないが、俺が此処にいるのはアリスに唆されたからでも、誑かされたからでもない。俺は、俺の意思で此処にいる」
「ほう。では貴様の意思で、この国を終わらせると言う事か? 此処に来たという事は、狙うは我が王の器だろう?」
「いや、此処にはアステルからの預かり物をあんたに渡しに来ただけだ。俺の目的は、六王を殺す事だけだ。あんたには興味も関心も無い」
六王ではないイサベルは冬夜の復讐対象ではない。此処に来たのは、アステルとの義理を果たすためだ。
「そうか。だが信用できん。あの魔女が仰ぐ王であるならなおさらだ」
「別に信用してくれなくても良い。あんたの信用を貰いに来た訳じゃないしな」
「安心しろ。あの魔女の王である限り、私は貴様を信用はしない。まぁ、なんにせよだ」
冬夜とイサベルの間には僅か数メートルの間しかない。互いに、一歩踏み込めば切り込める距離だ。
「国を脅かす貴様は此処で殺す。それに、我が英雄を殺した貴様を到底許すわけにはいかぬでな」
イサベルは細腕とは思えない程の安定感で大剣を構える。
「光栄に思え。王が手ずからその首を落としてくれよう」
イサベルは本気だ。本気で、冬夜を殺そうとしている。
しかし、それも無理からぬ事だろうと、冬夜は納得をする。
「これ持って下がってろ」
「にゃあ」
冬夜は黒猫にスカーフを渡し、下がってるように言いつける。
そして、剣の切っ先を背後に回すようにして構える。
「「――っ!!」」
合図も無く、互いに踏み込む。
|人間ノ王(・・・・)、イサベルとの戦いの火蓋が、斬って落とされた。
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