第2話 王の器

「アリスさんの、王……?」


「はい、私の王になりませんか?」


 にこりと可憐に微笑むアリス。けれど、冬夜には到底理解出来ない。


 王? 王ってなんだ? こんな時に何言ってんだこの人は。


 冬夜は微笑むアリスを睨みつける。


「あんた何言ってんだ、こんな時に。魔女とか王とか、ふざけてる場合じゃないだろ」


 それだけ言うと冬夜は立ち上がり、玄関の方へと向かう。


「どこへ?」


「父さんを探しに行くんだ。あんたの|戯言(たわごと)に付き合ってる時間は無いんだよ」


 昨日は疲れ、諦め、その場で意識を失ってしまったけれど、今は気力もある。外がどうなっているのか分からないけれど、それでも安否不明の父親を探さなくてはならない。


 父親だけが冬夜に残された唯一の家族なのだから。


「そうですか。では、気が変わった頃にまたお伺いします」


 笑みを浮かべるアリスを一瞥した後、冬夜は玄関の方から家を出る。


 慎重に外に出て、周囲に危険が無いかを確認して、冬夜は外を歩く。


 昨日の事が夢であれば良いと思ったけれど、町の様子を見る限りどうやら夢ではないらしい。


 家々は崩壊し、道は荒れ、周囲には人が倒れている。倒れているそれが人ではない事を冬夜はもう分かっているけれど、そう(・・)だと認識するのが怖い。


 冬夜は慎重に移動しながら、父親の務めている会社へと向かった。

 冬夜が家を後にしたのを確認すると、アリスは途端に笑みを浮かべるのを止める。


「行ってしまわれましたか。残念です」


 特に残念そうには見えないけれど、アリスはそう口にする。


 立ち上がり、服に着いた汚れを手で払う。


「ですが、決断は早い方が良いです。貴方様も私も、あまり時間は残されてはいませんので」


 その場でそれだけ言うと、アリスは煙のようにその場から姿を消した。



 〇 〇 〇




 三日三晩探した。


 どうやらあの巨人や黒装束は姿を消したらしく、町には奴らの姿は無く、奴らの爪痕が残るだけとなった。


 安全だと分かった町を、冬夜は必死に駆けずり回った。


 父親の会社に父親はおらず、また周囲にも父親らしい人影は無かった。会社の周囲だけではなく、町中がそうなのだけれど、どこもかしこも死体だらけだ。その中に父親の死体はなった。……こんな事は言いたくは無いけれど、父親の死体が無い事に心底から安堵した。


 それが、一日目の事。


 二日目は範囲を広げて捜索した。あちこち走り回って、父親の姿を探した。


 けれど、父親の姿は見つからなかった。二日目ともなると、警察や自衛隊等から捜索隊が出動した。また、捜索隊とは別に、死体を回収する作業も同時に進んだ。死体が腐敗すれば感染症の原因にもなる。冬場とは言え、長い間放っておくことなど出来ないのだ。


 回収された死体は写真を撮ったり、荷物を漁って身分証明書などで身元を判明させてから、一か所にまとめて火葬した。


 通常であれば火葬などしないけれど、死体を安置しておける場所の収容量が足りないのだ。


 感染症を広めないためにも、早期に処理をしておく必要があった。


 捜索や処理が進む中、学校や市民体育館などは避難所となった。自身の家から毛布などを持ってきて、そこで皆暮らしている。冬夜もその例に漏れず、また、同じ学校のクラスメイト達もいた。その数は、決して多くは無いけれど。


沈鬱な空気で満たされている学校の体育館で、父親の捜索に出ようと立ち上がりかけた冬夜に警察官が声をかける。


「中辻冬夜くん。ちょっといいかな?」


「あ、はい。なんですか?」


 冬夜が尋ねれば、警察官は言いづらそうな顔をしながらも、冬夜に言う。


「……君のお父さんが見つかったよ」


「――っ」


 警察官が言ったのはそれだけだった。けれど、それだけで十分だった。


 父親は死んでいる。それが、嫌でも分かってしまった。


「これ、君のお父さんの私物だ。一目、会うかい?」


 微かに血が付着した物や、拭いきれない程の血が付着した、見慣れた父親の私物の入ったビニール袋を冬夜に渡す。


「……はい」


「そうか。それじゃあ、着いてきてくれ」


「はい……」


 背を向けて歩く警察官。その後ろを、冬夜は着いて行く。


 その横を誰かが駆け抜け、冬夜の背後へ走り去る。背後からは、母と子が再会を喜ぶ声が聞こえてきた。その声が、今は酷く癪に障った。





 父親の死体を一目見た後、冬夜は一人になりたくて学校の屋上へと向かった。


 鍵がかかっていたけれど、扉を壊して入った。学校もどこもかしこも壊れてる。今更一つ壊れたくらいで変わりはしないだろう。


 屋上も途中から床が無くなっていたりと、散々な状態だ。扉の横に腰掛け、壁に背を預ける。


 ぼーっと、嫌味なほどに澄み渡る空を眺める。


「そんな薄着ですと、風邪をひいてしまいますよ?」


「……あんたは」


 いつか聞いた人物の声が聞こえてきて、冬夜は声の方を見る。


 いつの間にか隣に座っていた少女、アリスは初めて会ったあの日と変わらぬ笑みを浮かべて冬夜を見ていた。


「お久しぶりですトウヤ様。御父様は見つかりましたか?」


 無神経なアリスの言葉に思い切り顔をしかめる冬夜。けれど、怒る気力も無いのか、アリスから顔を背けて項垂(うなだ)れる。


「見つかったよ」


「まぁ、それは喜ばしい事です」


「死んでたけどな」


「まぁ、それは残念です」


 どちらも寸分違わぬ声音で言われ、冬夜は苛立つ。声音は柔らかく、声は暖かいのに、そこには全く感情が乗っていないのだから。


「……あんた何しに来たんだ? 俺を馬鹿にでもしに来たのか?」


「いえ。私はただ貴方様に事の真相をお伝えしに来ただけです」


「事の真相……?」


「はい。あの日、何があったのか……知りたくはありませんか?」


 顔を上げて、アリスの顔を見る。アリスは常の笑顔を浮かべてはいるけれど、その目が笑っていない。


 その瞳に思わず気圧される。


「……事の真相って……そんな事知って、今更どうすんだよ……」


 何が起こっていたのかも分からない。あの巨人は、あの黒装束は、いったい何なのか……。


 それに、それが分かってどうする? 敵討(かたきう)ちでするのか? 一介の高校生である自分に何が出来るとも思えない。


「知ってどうするかは貴方様次第です。貴方様であれば、皆殺しにする事も、隷属させて配下に収める事も可能です」


「はっ。妄言甚(はなは)だしいな……」


 冬夜はアリスの言葉を鼻で笑う。


「俺があれを皆殺しに出来る? 隷属させて配下に出来る? じゃあなんで俺は母さんも父さんも助けられなかったんだよ!!」


 怒鳴り、乱暴にアリスの胸倉を掴む。


「俺にその力があれば、母さんも父さんも死なずに済んだだろうが!! なんで母さんも父さんも死んでんだよ!! 俺にはその力があるんじゃないのかよ!!」


「今はまだありません。ですが、いずれそうなります。貴方様には『王の器』があります」


「ふっざけんな!! 魔女? 王の器? 力? 馬鹿にすんのもいい加減にしろ!!」


 笑みを浮かべて淡々と言葉を並べるアリスを、冬夜は乱暴に突き飛ばす。


 突き飛ばされ、身体を横に倒すアリス。やりすぎたとは思わない。酷い事をしたとも思わない。


 両親を亡くし、幼馴染を亡くし、家も亡くした。そんな冬夜に世迷言を言ってのけるこの少女を許せる程、今の冬夜の精神状態は良くは無かった。


「馬鹿にはしていません。全て事実です」


 突き飛ばされたのをまったく気にも留めず、アリスは起き上がり、冬夜の目を見る。


「私が魔女である事も、貴方様に『王の器』がある事も、貴方様に力が備わった事もまた事実です」


「だから……ふざけんのもいい加減――」


「物分かりが悪いですね」


「――むぐっ!?」


 急にアリスから笑みが消え、冬夜の顔を鷲掴みにして強制的に黙らせる。


「喚(わめ)けば現実は変わりますか? 逃げればご両親は蘇(よみがえ)りますか?」


 言いながら立ち上がり、冬夜を引きずって屋上の端(はし)まで移動する。


「私が魔女で無いとして、ではあの巨人は何だったのですか? 貴方様の幼馴染の顔を貫いた矢は? この町の惨状は? この酷い血の匂いは? 誰の仕業だと言うのです? 貴方の日常を奪ったのは、貴方様の知らない非日常の者達でしょう?」


 引きずり、地面を滑らせるように屋上のフェンスに冬夜をぶつける。がしゃんと音を立ててフェンスが軋む。


「貴方様は何も知りもしない、何も理解しようとしないのに嫌々、違う違うと……まるで都合の悪い事は聞きたくないと駄々をこねる子供のようです」


「……うるせぇよ……」


 フェンスを掴んで立ち上がり、冬夜はアリスを睨みつける。


「あの巨人も、あの黒い変な奴も……全部全部知らねぇよ!! 知らねぇ奴らが急に俺の日常を奪ったんだよ!! たった二、三日で整理がつくと思ってんのか!? ぜんぜんつかねぇよそんなの!!」


 母親が亡くなったのが三日前。そして今日父親が亡くなった事を知らされた。そんなの、直ぐに心の整理がつくわけが無い。それほど冬夜は情が薄くなければ、家族と不仲だった訳でもない。


 幼馴染の舞だって、どうでも良いと思うには距離が近すぎた。


 せっかく立ち上がった冬夜はその場に頽(くずお)れる。


「なんでだよ……俺にそんな力があるんなら……なんで誰も助けられなかったんだよ……」


 視界が歪む。自分が泣いている事を自覚する。


 涙を流す冬夜にアリスは歩み寄り、頽れる冬夜の肩に手を置く。


「言い方が正確ではございませんでしたね。トウヤ様にはあの段階で力はございませんでした。また、今もその力はありません。正確に言うのであれば、その伸びしろがあるという事です」


「……っ。結局、助けられねぇじゃねぇかよ……」


「ええ、もう過ぎてしまった事はどうしようもありません。ですが、これからは貴方様次第です。先程言いました通り、貴方様ならば皆殺しの道も、隷属させ配下にする道も取れます」


 肩に置いた手を冬夜の頬へと滑らせて、項垂れた冬夜の顔を優しく持ち上げる。


「貴方様は『王の器』。その気になれば、貴方様は御両親の仇を討てるのです」


「両親の……仇……」


「はい。知りたくありませんか? 何故貴女様の御両親が死なねばならなかったのか。あの巨人や黒装束の正体を。そして、それを指示した者が誰なのかを」


「あれの、正体……」


「私は全てをお答えできます。いかがいたしますか? 今も知らぬ事を、知らぬ事とのままにして泣き寝入りしますか? それとも、知らぬ事を知り、復讐を果たしますか?」


「お、れは……」


 冬夜は考える。


 もし、もし本当に自分が、アリスの言う『王の器』であり、あの巨人や黒装束を殺す力を持っていて、裏で糸を引いていた黒幕を殺せる程の力をもっているのであれば……。


 答えはすぐに出た。一時の感情かもしれない。永遠抱き続ける怒りかもしれない。けれど、どちらでも良い。この気持ちは本物で、またこの殺意すらも、たとえ一時のものだとしても本物なのだから。


「俺は、俺から奪った奴らを全員殺したい。実際に殺した奴も、それを指示した奴も、それに関与した奴も、黒幕だろうが何だろうが、俺から奪った奴らを全部、全部殺す!!」


 冬夜が憎しみを込めて言えば、アリスはにぃっと邪悪に笑みを深める。その笑みに一瞬背筋が凍る。もしや自分は手を取ってはいけない相手と手を取り合ってしまったのではと考えたけれど、自分に降りかかる不利益なぞ最早どうでも良い。


「そのお言葉をお待ちしておりました。では、さっそく参りましょう」


「え、参るって、どこに?」


 それに、行くにしたってどこに行くのかも知らされていない。よしんば行くのは良いとしても、心の準備はすでにできているとして、その他の準備がまったくもって出来ていない。殺すのであれば武器が必要だし、身を守るには防具が必要だ。


 冬夜のその懸念を理解したのか、アリスはくすりと笑みを浮かべる。


「ご心配なさらずとも大丈夫です。貴方様は、ただ前へ進めばよろしいのです」


 すっと冬夜の手を取り、ゆっくりと立ち上がらせるアリス。


 直後、二人の目前に巨大な扉が現れる。


「なっ!?」


「これは異界の扉。奴らはこの扉からこの世界にやってきました。あ、私は違いますよ? 私は今は(・・)どこにも属さぬ放浪の魔女ですから」


 巨大な扉がゆっくりと開かれる。


「では参りましょう、我が王。ご安心を、四八億九〇ニ七万三二四〇の魂が貴方様の味方です。さぁ、貴方様の王道を進みましょう」


 アリスに手を引かれ、冬夜は異界の扉を潜る。


 その先には冬夜の知らない世界が広がっている。何があるのか、何が無いのか、それはまだ分からない。けれど、ただ一つ分かる事がある。


 その世界には、敵しかいない。その世界には冬夜を知る者は誰一人としていない。また、冬夜が知る者も誰一人としていない。


 この魔女と、冬夜は二人三脚で戦わなくてはならないのだ。


 上等だ。全員殺す。誰一人として生かさない。俺から奪った奴の全てを俺が奪う。


 覚悟と共に冬夜は扉を潜った。扉を潜る時、アリスがもう一度邪悪に笑ったのを、冬夜は知らない。


 この日、中辻冬夜はこの世界から姿を消した。





『王の器』

その世界の王が持つ器。実態は無く、その用途、選別基準は不明。

魂を回収し、王に捧げる役目を持つ。

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