第9話 大英雄アステル

 アステルの墓所に来てから、二十日が経過した。


 骸骨騎士達との戦いで日々その腕が錬磨されていくのを感じつつも、冬夜は自分に足りていない|一手(いって)を見つけ出せないでいた。


 祖国を守ろうとした騎士達を、無慈悲に殺して回る。ただそれだけの日々。


 骸骨騎士達の動きにはもう慣れた。五日経てば苦戦無く倒せるようになった。


 けど駄目だ。まだ足りない。何かが足りない。これでは強くなっていくだけだ。違う。もっと強くならなければならないのだ。それこそ、鍛錬の域を超えた力を手に入れなければならないのだ。


「難航していますね、トウヤ様」


 墓所を歩きながら、後ろでアリスが言う。


「……そうだな」


 アリスの言葉に返す声も覇気が無い。幾度目か分からない死。それによる魂の消耗。連日に渡って続けられる文字通りの死闘。先の見えない鍛錬。いつ来るか分からない他の王の襲撃。


冬夜の精神を追い詰める材料は、無慈悲な程に多かった。


 しばらく歩くと、アリスはにこっと笑みを深めて唐突に拍手をした。


 急にどうしたのだと思っていると、アリスはにこにこと上機嫌に笑いながら言う。


「おめでとうございます、トウヤ様。此処がアステルの墓所の終点でございます」


「終点……?」


 アリスの視線の先を追う。


 考え事をしていて気付かなかったけれど、そこには一つの大きな墓があった。墓は他のどの騎士の墓よりも上等で、他のどの騎士の墓よりも大きく立派であった。


 その墓の前。そこに、何かが立っている。


 血塗られた騎士甲冑に身を包む、身長が二メートル近い大男であった。いや、ともすれば二メートルを超えているだろう。


 ともあれ、それほどまでに大きかった。身長が百七十しかない冬夜にとっては、三十センチも背丈が上の相手は大男と呼ぶに相応しい。


 そもそも男かどうかも分からないけれど、なんとなく、男であるような気がした。


 騎士甲冑に巨大な……あまりにも巨大すぎる大剣。ともすれば、鉄板ではないかと思う程だ。


 首元には首巻をしており、元が何色だったのか分からない程赤黒く汚れていた。


 大柄な騎士が振り返る。兜で顔が覆われており顔は見えないはずなのに、その騎士と眼が合った事が分かる。


 |彼(・)と眼が合った瞬間理解する。


「アステル……」


 騎士団長アステル。王殺しアステル。大英雄アステル。


 ああ、何故気付かなかったのだろう。アリスも言っていたではないか。此処がアステルの墓所で、アステル騎士団が眠っていて、アステル騎士団を率いていたのは|騎士団長(・・・・)アステルだと。


 であれば、この一つだけ立派な墓の前にいるのは、アステルに他ならない。


 アステル・グリシア・バーグリンド。アステルの墓所最後の騎士は、悠然と冬夜の前に立ちはだかる。


 首巻が風に|靡(なび)く。


 アステルは一度冬夜の背後に視線をずらしてから、もう一度冬夜に視線を戻す。


 そして、アステルは大剣を構える。


 自分の背丈に迫らんばかりの大剣を軽々と持ち上げ、自身の顔の横まで柄を持ち上げられ、大剣の切っ先が冬夜に向けられる。


 此処がアステルの墓所の終点。騎士団長アステルの墓。立ちはだかるのは、騎士団長アステルその人。


「……」


 冬夜も自然と剣を構える。


 今までだって正々堂々戦ってきた。けれど、アステルの前に立つと、小細工なしで、真っ向勝負で戦わなければいけないと思ってしまう。


 睨み合う。合図をする者はいない。けれど、そんな者は邪魔でしかなかった。


 どちらが早かっただろう。それが分からないくらい、二人は同時に飛び出した。


「はあっ!!」


 先手必勝。アステルよりも速く地を駆け、冬夜はアステルに切りかかる。


「――!!」


 しかし、流石は大英雄。冬夜の素早さに即座に対応し、自身の大剣を滑り込ませる。


 構えは切っ先を敵へと向けるものであった。しかし、アステルは剣をくるりと手首の力だけで回転させて滑り込ませた。


「なんつー馬鹿力……ッ!!」


 力技、ではない。アステルは自身の持つ大剣の使い方を熟知している。だからこそ出来る芸当だ。


 |鉄板(・・)に遮られ、冬夜はいったん距離を空けるために数歩下が――


 まて、数歩で足りるのか?


 一瞬の疑問。直後、背筋を悪寒が走る。


「――っ!?」


 冬夜は慌ててアステルから距離を取る。その直後、目前を|ナニカ(・・・)が通り、地面に勢いよく叩きつけられる。


「……っぶね」


 更に数歩下がり、完全に相手の間合いから外れる。


 失念していた。相手の武器がアステルの身の丈程の間合いだという事を。身の丈程という事は、剣だけでも二メートル近くあるという事だ。その上、アステルの大きな歩幅で踏み込まれ、長く頑強な手で振り回されればその間合いは二メートル以上にもなる。


 通常の剣の間合いだと思っていれば、相手の間合いに留まり続ける事になる。


 それに加え、槍とは違い剣が振られれば切っ先から手元までの全てが攻撃範囲だ。掻い潜って槍のように止める事は出来ない。


 ちらりと、冬夜は剣の叩きつけられた地面を見る。地面は放射状に|罅(ひび)が入っており尋常ならざる威力で叩きつけられた事を冬夜に知らしめる。


 地面に剣先が埋まっているけれど、それは隙にはならない。


「――」


 冬夜が飛び込んでこないと分かると、アステルは地面に埋まった剣を軽々と引っこ抜く。まるで雑草を抜くような、そんな軽々しさで。


 自身の身の丈程の大剣を軽々振っている事で分かるけれど、アステルの膂力は尋常じゃない程のものだ。


 経験、技、得物、身体能力。その全てが冬夜を上回っている。


 アステルは大剣を顔の横で構える。


 その構えは先程よりも隙が無いように見え、先程よりも威圧感を覚えた。


 先程よりも隙が無いのは、先程はあえて隙を作っていたから。隙を作って誘い込み、相手を自分の間合いで確実に殺すため。


 普通、相手が自分の懐に入るなど、恐ろしくて仕方が無いはずだ。けれど、それが出来るのは、自分の懐で殺す事が出来ると自負があるから。そして、冬夜は危うく殺されそうになった。


 運が良かっただけだ。運良く気付いて、運良く躱せた。正直、紙一重だった。


 冬夜は浅い呼吸を繰り返しながら剣を構える。


 手強いどころの話じゃない。強い。強すぎる。たった一合刃を交えただけなのに、アステルに勝てる|未来(ヴィジョン)が見えない。


 動揺が剣にも伝わる。そして、それを見逃してくれるほど、アステルは生易しい相手ではない。


「――」


 踏み込みながら剣先を向けてくる。


 突き! いや、突進!?


 どちらか判断が出来ないけれど、どちらでも対応できるように身体をいつでも横に跳べるように構える。


 来る!


 と思ったタイミングで横へ跳んでずれる。しかし、それでもアステルの間合いだ。一時も気は抜け――


「……は?」


 ――左腕を衝撃が襲う。


 ちらりと左腕を見てみれば、そこには在るはずの腕が無く、二の腕の半ばから先が消失していた。


 鮮やかな血|飛沫(しぶき)が舞う。


「ぐっ、あ……!!」


 な、んで……?


 混乱の最中、冬夜はアステルの大剣に視線を向ける。


 アステルの持つ大剣は初期の構えではなく、振り上げた後のような恰好で持たれていた。


 突きでも、突進でも無かったのだ。アステルは、冬夜が避ける事を見抜いて突きではなく切り上げに変えたのだ。


 更に、アステルの攻撃は止まらない。


 仕留め切れなかったと分かれば、アステルは振り上げた大剣を肩に担ぐようにして構える。


 振り下ろし……!! ならやっぱり横に……!!


 そこでまた、嫌な予感がした。


 冬夜は即座に大きく後方へと飛び退く。


 直後、|横薙ぎ(・・・)された大剣の切っ先が冬夜の衣服を掠める。


「っぶね……!」


 嫌な予感は的中した。アステルは振り下ろしではなく、横薙ぎに大剣を振りぬいて来た。


 アステルの間合いから逃れた後、冬夜はアステルから必要以上に距離を取る。


 左腕からはとめどなく血が溢れ、冬夜の命をどんどん体外へ放出していく。


 止血は出来ない。そんな余裕をアステルは与えてくれない。


 アステルは切っ先を相手に向けるようにして大剣を構える。


 剣筋が読めない。構えから予想される剣筋とは全く違った軌道を剣が描く。それも、無理矢理放たれた一撃ではなく、きちんと体勢が保たれ、無理なく放たれた一撃だ。だからこそ連撃が可能で、相手に漬け込むすきを与えない。


 大英雄アステル。その名の意味を、冬夜は此処に来てようやく理解する。


「はぁ……はぁ……くそっ……」


 片手で剣を構える。アステルの大剣の前ではなんとも頼りなく感じてしまう。


 勝ち筋が見えない。どうやっても、今の冬夜では勝てないと理解してしまう。


 けれど、戦わなければいけない。戦って強くならなければ、六王にだって勝てやしない。


「う、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおッ!!」


 雄叫びを上げ、冬夜は駆ける。


 痛みを紛らわせるために。恐怖を紛らわせるために。


 初撃をなんとしてでも避ける。|一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を基本にして戦うしかない。隙を見て攻撃。隙を見て攻撃。そうしてじりじりと相手にダメージを――


「――」


 ――なんてことは、頭で考えるだけで終わってしまった。


 アステルが一歩踏み出しながら、剣の高さを変えずに手首を捻って剣の持ち方を変える。丁度、自身の真ん前で両手持ちするような構え。


 その構えから、即座に冬夜に向かって大剣が振り下ろされる。


「がぁっ……!?」


 躱せなかった。放たれた一撃は今までアステルが放った斬撃の中でも一番速いものだったから。


 まだ、速くなんのかよ……!!


 アステルの底の見えない強さに愕然としながら、冬夜は意識を手放した。


 この日、大英雄アステルとの初めての戦いは冬夜の黒星で決着がついた。





 ぱちぱちぱちとアリスは拍手をする。


「さすがは大英雄。さすがは騎士の中の騎士。惚れ惚れする程の剣捌きですね」


 にこにこと、人好きのする笑みを浮かべてアリスはアステルの前に立つ。


「――」


 そんなアリスに向かって、アステルは即座に大剣を振り下ろす。しかし、アリスはそれをひらりと躱し、アステルから遠く離れる。


「期待通り、いえ、期待以上です。貴方の|状態(・・)もさることながら、貴方の|生前よりも(・・・・・)|鍛え抜かれた(・・・・・・)剣技もまた私の期待以上です」


 満足げに笑いながら、アリスは誰とも知れぬ者の墓の上に立つ。


「――――――――――!!」


 アステルは声にならない雄叫びを上げて、アリスに向けて近くに落ちていた墓石を投げる。


「ふふふっ、激昂するのですね。まぁ、そうでしょうね」


 怪しく笑いながら、アリスは投げられた墓石をひらりと優雅に避ける。が、避けた先にはすでに剣を振り上げた大勢のアステルが待ち構えていた。常人では到底一瞬ではたどり着けない距離を、アステルは瞬き程の短い間に移動した。


 振り下ろされる大剣。それを見ながらアリスはにこりと笑む。


「残念ですが、私は貴方の仇敵ではありますけれど、今回の敵ではございません」


 直後、アリスの身体を大剣が引き裂く。


 しかし、血飛沫が舞う事は無く、代わりに色とりどりの花びらが舞う。


『ふふふっ、御免あそばせ。ふふふ、ふふふふふふふっ』


 どこからともなくアリスの声が聞こえてくる。


 アステルは周囲を見渡すも、アリスの姿は確認できず、また、自分が切り裂いたはずの冬夜の姿が無くなっていた。


 アリスがわざわざ冬夜の前に姿を現したのは、冬夜の死体を回収する時間を作るためだった。


 それに気づいたアステルは、夜の空に向けて怒りの雄叫びを上げる。


 その雄叫びを背に聞きながら、アリスはくすくすと笑いながら真っ二つになった冬夜の身体を引きずる。左手も回収しており、仕舞う場所が無いので胸の間に挟んでいる。血で汚れるけれど、魔術を使えば容易に落とせるし、小屋の裏手で湯あみをする事だって出来る。


 だから、冬夜の腕を胸で挟むことを問題視していない。それよりも、冬夜が思った以上にアステルと善戦したことを、アリスは喜んでいた。


 大英雄。それも王殺しをなすほどの英雄とあれば、どんなに優れた戦士であろうとも、最初の一撃で沈んでいた。


 アステルの剣技と身の丈程の大剣はそれほどまでに厄介なのだ。


 あの大剣の軌道上に居れば、どんなに強固な鎧でも真っ二つに両断されてしまう。アステルの間合いは全てが必死なのだ。


 その必死の間合いから初見で何度も逃れる事が出来る者などそう多くは無い。アステルの無軌道な一撃は初見殺しでもあるために、初見の相手こそ死亡率が高いのだ。


 結局死んでしまったけれど、冬夜はそれを避けた。アステルはまだまだ本気では無かったけれど、スタートラインには立っていると言っても過言ではないだろう。


 やはりトウヤ様は掘り出し物です。これはもしかすれば、もしかするかもしれません。


 ふふふと自然と笑みがこぼれる。


 その笑みはまるで年相応の少女のような笑みだったけれど、引きずられている冬夜がそれを見る事は無かった。





『アステル・グリシア・バーグリンド』

大戦を終わらせた大英雄。アステル騎士団の団長。

身の丈程の大剣を軽々振るうその姿は正しく猛勇。

数々の強敵を屠った結果、彼のトレードマークだった空色のスカーフは赤く染まってしまった。

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