第18話 弑逆ノ王

 ぎりぎりの戦いだった。


 戦いの最中、様々な偶然に助けられた。


 オドの力に覚醒し、王の権能|禍爪(まがつめ)に覚醒し、王の器の正しい使い方を知った。


 どれも偶然だ。冬夜の意図したものではない。


 アステルの胸に刺さったままの剣だって、アステルが抜いてしまっていては意味が無かったし、アステルがアリスに集中していなければ左腕を切り落とす事は出来なかった。


 実力では、完全にアステルに負けていた。


 勝てたのは、本当に運が良かっただけだ。


「おめでとうございます、トウヤ様」


 アステルの横に立つ冬夜に、いつの間にか戻ってきていたアリスが祝福の言葉をかける。


 しかし、その声に明るさは無く、ただただアステルに対する怒りの感情が含まれていた。


「大丈夫か?」


「はい。お陰様で」


 見やれば、切り落とされた人差し指もくっついている。首も、痕が残っているけれど、問題は無さそうだった。


 しかし、痛めつけられたのは事実。不機嫌そうな顔を隠しもせずに、アリスはアステルを見る。


「ではトウヤ様。そこの|死にぞこない(・・・・・・)を速く殺してください」


「……やっぱり、そうだったのか」


 アリスの言葉を聞いて、冬夜は確信する。


 アステルの腕を切り落とした時。アステルの胸に剣を突き立てた時。そのどちらにも、違和感が在った。


 |骸骨霊(スケルトン)のように骨を断つ感覚も、霊核を貫いた感覚もまるでなかった。どちらも肉を断つ感覚が手には返ってきた。


「|生きてた(・・・・)んだな、あんたは」


 赤色のスカーフを握りしめたままのアステルに、冬夜は言う。


 最初、墓所だと言うから死んでいるものだと思っていた。


 今まで戦ってきた敵は皆死んでいたし、この墓所では生者を一人たりとも見る事は無かったから。


「生きていたからなんだと言うのです? トウヤ様はその者を殺す必要が在ります。生きていようが死んでいようが、ただそれだけの事です。さぁ、早く殺してください」


「……ずっと疑問だったんだがな、アリス」


 冬夜はアステルから視線を外し、アリスを見る。


「俺がアステルを倒さなくちゃいけない事は分かった。強くならなくちゃいけないなら、強者と戦わなくちゃいけないからな。けど、アステルを殺さなくちゃいけない理由は無いだろ? アリス、もうアステルは倒した。それ以上を求めるなら、理由を説明しろ」


 疑念の眼をアリスに向ける。


 アリスの秘密主義はもう知っている。それについて、知られたくない事もあるだろうし、知らなくても良い事だってあると思って冬夜は何も言わなかった。


けれど、明かさなくてはいけない情報を開示しないのは協力者としてはいただけない。そして、今回のこの情報は、アリスが明かさなくてはいけない事だ。


「……」


 冬夜のもっともな言葉に、しかし、アリスは不機嫌そうな顔を隠しもせずにだんまりとするのみだ。


「……殺せ、若き王……」


 代わりに、アステルが口を開いた。


 相変わらずのしゃがれた声は絞り出すのも苦しそうだ。


「アステル……」


「……こうなって、しまえば……俺に、時間は無い……」


 アステルはスカーフから手を離すと、傷だらけの兜を取る。


 兜の奥から現れたのは、年を感じさせない若々しい顔だった。


 金の髪を短く切り揃えた、力強く男らしい顔をした男。


 アステルは空を見上げ、|眩しそうに(・・・・・)眼を細める。


「青空を見るのは、何百年ぶりか……」


 言われ、冬夜も空を見上げる。


 今まで夜空が広がっていた頭上では、夜空が割れてその向こうに本来広がっている青空がその|清々(すがすが)しい顔を見せ始めていた。


「若き王……頼みが、一つある……」


「なんだ?」


「これを、陛下に……」


 アステルは赤色のスカーフを外して、冬夜に渡す。


「謝罪と、感謝を、伝えてくれ……」


 アステルはもう喋るのも一苦労なのだろう。段々とその言葉に力が無くなってきた。


「……」


 冬夜は、アステルが差し出すスカーフを受け取る。


「分かった。あんたの事、ちゃんと伝えておく」


「……かたじけない」


 冬夜の答えを聞き、アステルは力が抜けたように笑う。


「もう、時間も無い。若き王……いや……貴公は……」


 アステルは冬夜をジッと見る。強い眼差しはこれから死に行く者がするにはあまりにも強く、思わずたじろいでしまう程だ。


「……王殺し……であれば、|弑逆(しいぎゃく)ノ王だな……」


 弑逆。主君や父を殺す事の意。


 冬夜にとって王は主君ではない。しかし、この世界の者からすれば彼等は正しく王であり、冬夜がそれらを殺す事を弑逆と呼ぶに違いないだろう。


「弑逆ノ王よ……介錯を……」


 アステルは自らが持つ大剣を冬夜に差し出す。


 冬夜としては、意味の無い人殺しなどしたくはない。すでに人を殺している身であり、人を殺す事に躊躇いは無いけれど、それでも、人殺しなど好んでしたいものではない。ましてや、アステルを殺す意味は無い。


 冬夜の剣は重傷を負わせるには充分な程の傷をアステルに与えているけれど、致命傷という訳ではない。紙一重のところで、生存の見込みがあるのだ。


 しかし、アステルは自らの死を選んでいる。


 やけになった訳でも、諦めている訳でも無いのだろう。


 もう終わりだと、分かっているのだ。もう|続けられない(・・・・・・)って分かっているのだ。


 少しの逡巡。その後、冬夜はアステルの大剣を受け取る。


 不要な殺人をするつもりは無い。けれど、アステルがそれを望むのなら……。


「いくぞ」


 冬夜はアステルの大剣を振り上げる。


 アステルは空を見上げたまま、目を閉じる。


「申し訳ありません、陛下……俺は、最後まで責務を全うできませんでした」


 謝罪の言葉のその直後、冬夜はアステルの首を跳ねた。


 片腕だけれど、オドの力を使ったので十分に振り切る事が出来た。


 アステルの首が宙を舞い、地面に落ちる。


 アステルの身体が倒れ、地面に投げ出される。


 これで大英雄は終わった。本当に、その生に終わりを迎えた。


「――っ」


 首を切ったアステルの身体から、光が溢れる。驚き、その場から退こうとしたけれど、それに害意が無く、また、冬夜自身が見知ったものである事もあって、反射的に退きそうになった身体を抑えてその場に留まる。


 光は冬夜の身体に吸い込まれるようにして入っていく。


 これは、アステルの魂だ。アステルの魂は王の器ではなく、直接冬夜の魂に入り込む。


「ぐっ!? う、がぁっ……!?」


 直後、身体中に激痛が走る。


 攻撃をされているような痛みではない。これは、身体が作り変わる痛みだ。


 身体はより頑強に、よりしなやかに、より屈強に……。強く、強く、身体が作り変わる。


 しばらく痛みに悶えながら、ようやっと痛みが引いた時には冬夜の身体は明らかに変化していた。


 背丈は百七十ほどしか無かったはずなのに、今では百八十を超えている。


 頭髪は色の抜けた白から、光を受けて綺麗な輝きを放つ銀髪に。


 身体は引き締まり、今までのような無駄な筋肉が無くなっていた。


 顔は大きく変わらないけれど、少しばかり大人びた顔になった。


「おめでとうございます、トウヤ様」


 ぱちぱちと拍手をするアリス。


「大英雄の魂をその魂に取り込んだ事により、トウヤ様の身体はより強固になりました」


 アリスがアステルを倒させようとしていた目的はこれだ。


 冬夜は多くの魂を持ち、その魂によって己の魂を強化し、肉体を強化していた。しかし、平和な世界の魂など、一つが一人分の力しか持ち合わせていない。つまりは、全ての魂を取り込んだとしても、数字上の強さしか得られないという事だ。


 しかも、冬夜の王の器の中には人だけではなく、人以外の生物の魂も含まれている。個数だけは膨大だけれど、その質は劣っているものが多く、冬夜の持つ魂の大半を占めているだろう。


 今のままでは、全ての魂を使ったところで六王に勝つことは出来ない。手っ取り早く、かつ、実戦経験を積むことの出来る魂が必要だった。そのための大英雄アステルだ。


 アステルの魂は大英雄と言われるだけあって、その質は高く、魂一万個分の力が備わっていた。しかし、それでも大英雄は弱体化していて、本来であれば魂五万個分の力が在ったのだ。


 ともあれ、冬夜の強化にはアステルの魂が必要だったのだ。質の良い魂はその者の肉体の質も上げてくれる。見た通り、冬夜の身体はより強固に、より屈強になった。魂の方も、質が上がったのか、歪な形から綺麗な形へと戻っている。


 まだまだ六王には届かない。けれど、六王の脛に傷を付ける事は出来るようになった。


 王の首にまた一歩近づいた事が素直に喜ばしく、自身を傷つけたアステルが死んだ事が心底喜ばしく、アリスは上機嫌で冬夜の強化を祝福する。


「うぐっ……!? な、にを……っ」


 が、振り返った冬夜によってアリスはその首を締めあげられる。


 片手だけれど、今の冬夜であれば片手でアリスを持ち上げるのは造作も無い事だった。


 混乱するアリスに、冬夜は言う。


「お前は……お前はぁッ!!」


 ぐっと首を掴む手に力が籠る。


 アステルの魂と混ざり合う時、少しだけアステルの記憶を垣間見る事が出来た。


 冬夜が見る事が出来たのはごく一部。けれど、その一部だけで冬夜には充分だった。


 アステルが此処に居た理由。この場所の意味。この墓所の役割。その一部を見ただけで、全部分かった。


「お前はこの場所が、この墓所の役割を分かっていて俺にアステルを殺させたのか!?」


「う、ぐぅっ……!!」


 返事をしたくても、今のアリスは首を絞められているために返事をする事が出来ない。呻き声を上げるだけで精いっぱいだ。


 しかし、そんな事を気にも留めず冬夜はアリスを責め立てる。


「知ってたよな! お前は! なんたって|此処を作った(・・・・・・)|のはお前なん(・・・・・・)|だからな(・・・・)!!」


 乱暴に、冬夜はアリスを投げる。


「――っ、げほっ……」


 地面に身体を打ち付け、苦しそうに咳き込むアリス。


 冬夜が一歩踏み出す。それだけで、アリスの足元から|禍爪(まがつめ)が現れ、アリスを|磔(はりつけ)にする。


「ぐっ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 手足を貫かれ、アリスは悲鳴を上げる。


 |禍爪(まがつめ)はアステルと戦った時よりも強力になっており、アリスの力だけでは抜け出す事は困難な程の強度を誇っていた。まぁ、アステル戦の時に使った|禍爪(まがつめ)でも、アリスを拘束する事は容易だったけれど。


「アリス、答えろ。お前は何がしたい? 俺を利用して何をするつもりだ?」


 大剣の切っ先をアリスに向ける。


 咳き込みながら、アリスは冬夜を睨む。


「こ、んな……事をして……酷いお方で――ぐうっ!?」


「余計な口をきくな。俺の質問に答えろ」


 無駄口を叩こうとするアリスの腕を貫く。アリスの細腕では、大剣の切っ先が軽く貫いただけで大きな裂傷になるだろう。


「……っ! ……ええ、ええ! 知っていましたとも! 此処を作ったのは私ですからね! 此処を形成する|要(・)であるアステルを失えばどうなるかくらい、充分に分かっていますとも!!」


「ならどうしてだ!! どうしてこんな事をさせた!?」


「させた!? 違いますよトウヤ様! 貴方は自らこの地で戦う事を選んだのです!! 責任転嫁をしないでいただきたい!!」


 強気に、アリスは吠える。


「此処から出る事も出来ました!! 別の場所で強くなる事も貴方なら出来ました!! でも此処で戦う事を選んだのは貴方でしょう!? 別の場所が在るか聞きもせず、私の提案に従って此処で戦う事を選んだ!! 貴方は幾つか在った道の中で、何も考えないという安易な道を選んだのです!! それを、私のせい!? 考えもしなかった自分を棚に上げて、私を責めるのですか!?」


「――っ、それは……」


「良いですか!? 殺したのは貴方です!! 何も考えず、ただ復讐のために殺したのは貴方自身ですよ弑逆ノ王よ!! 全てが分かった後で私を責めるのはお門違いです!!」


 何も言えない。確かに、冬夜は何も考えてはこなかった。


 何も考えずに、冬夜は戦ってきた。全てをアリスに委ねて、戦うだけ戦って、その結果を知って癇癪を起して文句を言うのは、確かにお門違いだろう。


「……そう、だな……」


 とんっと足で地面を一つ踏み鳴らせば、|禍爪(まがつめ)は一瞬で霧散する。


 地面に落とされたアリスは、斬られた腕を魔術で治療する。


「……斬って悪かった。それと、首を絞めた事も」


 言って、冬夜はアリスに背を向ける。


 そして、アリスを置いて歩き出す。


「どこへ行かれるのです」


「確かに、俺の無知が招いた結果だ。それを否定するつもりは無い。けどな、腹の底を見せないお前とも、もう組んでいられない。此処までしてくれた事には感謝する」


「なっ――!! そんな身勝手、許されると思っているのですか!?」


「許さなくても良い。けど、俺はお前と組むつもりはもう無い」


「――ッ!! ふざけないでください!! 貴方は私の王です!! 私がいなくて、誰が貴方を導くのですか!?」


「もう先導は必要ない。俺は、俺のやり方で六王を殺す」


「駄目です!! 駄目です駄目です駄目です!! そんな事は絶対に許さない!! 貴方は私の言う事を聞いていれば良いんです!! そうすれば六王を殺す事だって――」


「その代償に罪の無い人まで巻き込むんだろ? 俺は六王とその配下は殺す。けどな、それ以外の奴らを殺そうとは思ってない」


「そんな甘い考えで六王が倒せるとお思いですか!?」


「殺すさ」


 冬夜は自身の左腕を拾い上げる。


 そして、左腕の切断面とくっつける。普通であればそれだけで腕が繋がる事は無いけれど、冬夜は普通ではない。


 王の器から魂を引っ張り出し、回復のために使う。


 そうすれば、冬夜の腕はみるみる内に切断面と再び繋がった。


「力の使い方も分かってきた。殺すさ。俺一人でも。何年かかっても」


「――――ッ!! 駄目です!! 止まりなさい!!」


 アリスの静止の声を無視し、冬夜は歩く。


「|凍えろ(フリーズ)!!」


 アリスが氷の魔術を放つ。


 氷塊が地面を這い、冬夜に迫る。


「――」


 しかし、その魔術を冬夜は大剣を振って破壊する。


「――っ!!」


 アリスに驚きは無い。だって、最早自身の魔術で冬夜を止める事が出来ない事くらいは分かっていたからだ。


 息を飲んだのは、冬夜の眼だ。


 悲しい者を見る様な、憐れむような、そんな眼……。


「……じゃあな、アリス。今までありがとな」


「――ッ! 待ちなさい!!」


 魔術は通用しない。であれば、もう言葉しかない。


 けれど、冬夜は足を止めない。


 アリスに背を向けて、アステルとの義理を果たすために歩く。


「待て!! 待って……!! お願いだから、待って……!!」


 命令から、懇願へ。しかし、冬夜は足を止めない。


「置いて、行かないで……!!」


 静かな、涙交じりの声。


「連れて行けないよ、お前は……」


 それに、冬夜は静かに返した。


 泣き崩れるアリスの雰囲気を気配で察しながらも、冬夜は振り返らなかった。





 こうして、新たな王『弑逆ノ王』が誕生した。


 これからが本当の始まり。王を殺す、王の物語が、今始まる。



 〇 〇 〇



「…………ちっ」


 冬夜の姿が見えなくなった途端、アリスは|泣き真似(・・・・)を止める。


 舌打ちを一つして、苛立たし気に汚れてしまった服を手で叩く。


 泣き落としが通用しないとは思っていたけれど、まさか一度も振り返る事が無いとは思わなかった。


「童貞のくせに……」


 アリスは不満げに言って、冬夜が向かった方を睨む。


「まぁ、良いです。トウヤ様、私ちょっとしつこい女なんですよ?」


 にまっと一つ笑い、アリスの姿が消える。


「トウヤ様が好きにするように、私も好きにさせてもらいますね」






『弑逆ノ王』

王を殺す、世界に反旗を翻す王。

その道は復讐のために。その力は殺戮のために。

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