第19話 黒猫と野盗と姫騎士

 アリスと別れ、アステルの墓所を発ってから早くも一週間が経過した。


 アステルの記憶を少しばかり垣間見る事が出来たため、墓所からアステルの仕えた王のいる王都への道のりはなんとなくだけれど分かっている。そのため、道に迷う事は無いのだけれど……。


「腹減った……」


 腹ごしらえに苦労していた。適当に倒した動物を焼いて食べるだけの原始的な生活をしているのだけれど、動物に出会えなければその日の食料は調達できないという事になる。


 最後の動物を捕らえたのが三日前。もう三日もろくに食べてない。


 幸い、王の器から魂を引っ張ってくれば体中にエネルギーを巡らせる事は出来るけれど、誰かの魂をあまり食料代わりにはしたくはない。それに、空腹感が満たされる訳では無いので、お腹が減っているのにとても元気という気持ちの悪い状態になってしまう。


「空腹でおかしくなりそうだ……」


 何か食料は無いか。そう思い、周囲を見渡すも、特に食料になりそうなものは無い――


「ん、あれは……」


 ――と思ったけ矢先、少し先に何かが倒れているのが見える。


 近付いてみれば、それは馬の死体だった。


 馬には矢が刺さっており、刺し傷のようなものも見受けられる。


 身体に触れてみれば、ほんのりと熱が籠っている。


「って事は死んでまだそう時間も経ってないって事だよな」


 言いながら、周囲を見渡す。


 よくよく見てみれば、周囲の地面は少し荒れていた。足跡が複数人分。サイズに大小はあるけれど、どれも人間の足のサイズだ。


「面倒ごとの予感」


 どうするかと悩んでいると、足元からにゃあと泣き声が聞こえてきた。


「お? なんだ、猫か」


 見やれば、足元で一匹の黒猫がちょこんと座り込んでいた。そして、冬夜の顔を見ると、にゃあと一つ鳴く。


 なんでこんなところに猫がと思いながら、冬夜はしゃがみ込んで猫を抱き上げる。


「どうした? 迷い猫か?」


「みゃあ」


 冬夜の言葉に、黒猫は一つ鳴く。


 猫の言葉は分からないため、なんて言っているのかさっぱり分からない。


「みゃ」


 猫は|身動(みじろ)ぎ一つして、冬夜の腕から降り、てとてとと歩き出す。


「おい、どこ行くんだ」


 冬夜が尋ねれば、黒猫はみゃと一つ鳴く。


 そして、黒猫は歩き出す。


 少し考え、冬夜はそっちに仲間がいるのだろうと思い、黒猫を無視して歩き出す。今は黒猫よりもこの馬を殺した者の正体を――


「みゃあっ!!」


「いでっ!? なにすんだよ!!」


 歩き出した冬夜の足に、戻って来た黒猫が冬夜の足を抱え込んで噛みつき、後ろ足でげしげしと何度も蹴り付ける。


 猫に噛みつかれたところで今の冬夜にとっては痛痒にもなりはしないけれど、急に来られてはびっくりするし、噛まれれば痛かった時の感覚の方が長いため、つい反射的に痛いと言ってしまう。


 それはさておき、何やらご機嫌斜めな黒猫。


「みゃあ!」


 一つ強めに鳴いてから、黒猫はまた歩き出す。向かう先は、先程と同じ方向。


「……ついて来いって事か?」


「みゃ」


 冬夜の言葉に、黒猫は短く鳴く。


 真偽は分からないけれど、どうやらついて来いと言っているらしい。


「……はぁ。なにがなんだか……」


 ひとまず、冬夜は黒猫に着いて行く事にした。


 今、冬夜が歩いているのは森の中。馬や馬車が通るための道が在る事から、此処に危険な生物がおらず、この国の者が常日頃から利用している事は明白だ。


 しかし、黒猫は道ではなく森の中を通っていく。


 冬夜も通れなくは無いけれど、通るなら人や馬に踏み|均(なら)された道が良かったと思う。


 そもそも、この猫はいったいどこに連れて行くつもりなのだろうか。


 そんな事を考えていると、少しだけ開けた場所に出た。上っている感覚で分かったけれど、この森はなだらかな山になっていたらしく、開けた場所から木々の頭を見る事が出来た。


「村、か……?」


 しかし、見えたのは木々の頭だけではない。その更に向こう、山の麓より更に奥に、木の壁に囲まれた家々が見えた。


「みゃ」


 冬夜の言葉に頷くように鳴く黒猫。


「……村があるからなんなんだよ」


「みゃぁ……」


 冬夜がそう口に出せば、黒猫は呆れたように一つ鳴く。


 猫に呆れられたと思いながら、冬夜はよく村を見てみる。


「あ? なんだあれ」


 よくよく見てみれば、村を囲うようにして何人かが配置されている。立ったままの者や馬に乗った者と様々だけれど、誰も彼も武器を手に持っており、遠目からでも剣呑な雰囲気を感じ取る事が出来た。


「野盗ってやつか?」


 村の中の様子は良く見えないけれど、外にいる者が剣呑な空気を放っている事は明白であり、彼等が暴力的な目をしているのも良く見える。


「いや、見え過ぎだなぁ」


 どれだけ人間離れするつもりだと思いながら、冬夜は来た道を戻って元々の道に戻ろうとする。


「みゃあ?」


「助けないのかって? 冗談。俺は慈善活動家じゃないんだよ」


 冬夜の目的はこの世界に君臨する六王を殺す事。それ以外はどうだって良いし、隙にやってくれと思う。なにせ、自分にはまったくもって関係の無い出来事なのだから。


 それに、時間も無い。自分がアステルの墓所を|陥落(かんらく)させてしまった事で、もうあまり時間も残されていない。アステルからの頼まれごとをさっさと済ませて、この国を出なくてはいけない。


 この国にも、冬夜にも、あまり時間が無い。


 冬夜は自分が進むべき道へと進む。


 来た道をさっさと引き返し、王都へ向けて歩き出す。


「みゃぁお」


「なんだよ。まだ俺に用でもあるのか?」


 元々辿っていた道に戻ってもなお、黒猫は冬夜に着いてくる。


 鳴いて冬夜に何かを訴えかけているけれど、猫の言葉が分からない冬夜にはこの黒猫が何を言っているのか分からない。


「みゃ」


「みゃじゃ分かんねえって」


「みゃぁ……」


 溜息を吐いたような仕草をする黒猫。なんだか所作が人間臭い。


 村の方へと行かないというのに、黒猫は冬夜に着いてくる。まだ何か用があるのか、それとも単に着いて行きたいから着いてきているのか。どちらにせよ、邪魔されなければどうでも良い。


 そうやって、一人と一匹でしばらく山道を歩いていると、山を抜けて開けた場所に出る。


 そして、右手側には|件(くだん)の野盗に囲まれた村が見えた。


 状況に変化が無いので、まだ村は襲われていないだろう。


「みゃお!」


「あ? だから行かないって」


「うみゃあっ!!」


「だから噛むなって!!」


 脚に飛びかかり、噛み付きながら後ろ足でげしげしと冬夜の脚を蹴り付ける黒猫。なんなんだこの猫は。


 黒猫の首根っこを引っ掴んで顔の位置まで持ってくる。


「……お前はあの村の猫なのか?」


「みゃあ」


 首をふるふると横に振る黒猫。


「お前はあの村を助けたいのか?」


「みゃあ」


 首をふるふると横に振る黒猫。


「じゃあ行かなくて良いじゃないか」


「みゃあ!!」


「なんで駄目なんだよ……」


 行かなくて良いと言えば、激しく暴れる黒猫。


 しかし、黒猫が暴れている間にも、冬夜は村から離れていっている。


「……はぁ。面倒な」


 しかし、遠目で冬夜を発見したのだろう。野盗の二人が馬を走らせて冬夜の方へと近付いて来た。


 冬夜は黒猫を適当に投げて、馬を走らせてきた二人を見る。


 野盗は冬夜の周りをぐるぐると馬で回りながら、冬夜に声をかける。


「おうおう! |兄(あん)ちゃんいいもん持ってんなぁ!」


「そんなでけぇもん持ってんだ。さぞ力持ちなんだろう? ちっと俺達に協力してくれねぇか?」


「協力?」


 てっきり持ってるもん全部置いていけとでも言われると思っていた冬夜だったけれど、どうやら違うらしい。


「おうよ。お前さんのその剣であの村の門をぶっ壊しちゃくんねぇか?」


「もちろん、礼も弾むぜ? あん中にはこの国の貴族様もいんだ。しかも女だぜ?」


「つでに|別嬪(べっぴん)さんときてらぁ。どうだ? 悪ぃ話じゃねぇだろ?」


 下品な笑みを浮かべて冬夜に協力を仰ぐ野盗の二人。


 先程から二人が言っている大きな剣というのは、アステルの大剣の事だ。冬夜の武器は折れて使い物にならなくなってしまったし、アステルの大剣は頑丈だから使い続けるのには申し分ないので一緒に持ってきてしまった。


「断る。どっちにも興味は無い」


 冬夜は野盗の誘いを断って歩き始める。


 が、その前を即座に馬で通せんぼする野盗。


「おう、ちょっと待ってくれよ。門開けるだけで良いんだぜ?」


「そうさ。門を開けてくれさえすりゃあ俺達はそれだけで良いんだ」


 面倒だなと思いながら、冬夜は脚を止めない。


「邪魔だ。どけ」


 言って、冬夜は馬に足の裏を押し付ける。そして――


「はえ? ――――!?」


 ――思い切り蹴り付ける。


 それだけで馬は吹き飛び、乗っていた野盗共々地面を転がる。


 馬も野盗もまともに受け身を取れなかったのか、転がり終わった後も起き上がってくる様子が無い事から首の骨を折って死んでいる事は間違いない。


 その証拠に、冬夜の王の器に魂が二つ入り込んだのを感じた。


「なっ!? て、てめぇ! なにしやがんだ!!」


 仲間を殺されたもう片方が剣を抜いて襲い掛かってくる。


「なにって、道塞がれたから」


「だからって殺すか!? てめぇ頭いかれてんじゃねぇのか!?」


 野盗が振るう剣を、冬夜は最小限の動作で躱す。


 とんとん。ステップを二歩。


 冬夜が踏んだ地面から二本の|禍爪(まがつめ)が飛び出し、下から馬と野盗を串刺しにする。


「あがっ!?」


「いかれてんのはお前らだろ」


 冷めた目で言って、冬夜はそのまま道を進もうとする。が、一人が殺された段階で他の野盗が冬夜の元へとやって来る。


 まだ距離がある。けれど、歩いていてはほどなく追いつかれてしまうだろう。


 冬夜は面倒くさそうに頭を掻く。


「面倒な……」


 殺してしまったのは自分だし、相手に火をつけてしまったのもまた自分だけれど、彼我の戦力差くらい見極めてほしい。


 冬夜は肩から下げた大剣を抜く。


「まぁ、良いや。ちょっと俺の糧になってくれ」


 一歩、踏み出す。


 地面を割り、冬夜は迫り来る野盗に自ら向かう。


 思いがけない速度で迫る冬夜に驚きながら、しかし、その速度を認識する間も無く馬ごと一刀で斬り捨てられる野盗。


 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。


 流れるように次々と切り伏せる。


 |温(ぬる)い。技も、反応も、判断も、全部温い。


 生きた人間がこれだけ温くて、死んだ|骸骨霊(スケルトン)があれだけ手強く熱い戦いだったと言うのは何たる皮肉か。


 いや、比べる相手が悪いのだろう。相手は五百年前の英雄アステルが団長を務めていた騎士団なのだ。手強くて当然だろう。


 全ての要因が冬夜側に傾いていたとはいえ、そのアステルに勝った冬夜にしてみれば、どうにもただの人間は相手をするには脆弱過ぎた。


 一分と経たずに、冬夜は野盗の全てを殲滅してみせた。


「みゃお」


 冬夜の戦いぶりを見て、黒猫がご満悦そうに鳴く。


 結果的にこの黒猫の意図した通りになってしまったけれど、襲われたのはこちらの方だ。自己防衛という事で良しとしよう。先に手を出したのは冬夜だけれど。


 ともあれ、これで障害無く進めるだろう。道を外れるの何度目だと思いながら、冬夜は元々歩いていた道へと向かおうとした。


「……はぁ……今度はなんだ?」


 しかして、振り向いてすぐに背後から馬の足音が聞こえてくる。


 敵意は無い。だが、それが一番面倒だ。


「お待ちください、大剣のお方!!」


 歳若い少女の声。


 振り向き、顔を見ればそこには美少女と言っても差し支えない少女が馬を走らせていた。


 金の髪に愛らしいというよりは凛々しさを覚える顔。白銀の鎧に身を包んだその姿は姫騎士と呼んで差し支えない風貌だった。


 野盗の言っていた貴族様とはこの女の事なのだろうかと考えつつ、冬夜は少女がたどり着くまで待つ。


 少女は冬夜の元へとたどり着くと、馬を降りて一つ頭を下げた。


「お待ちいただき感謝いたします。そして、我らを救っていただいた事に、深く感謝を」


 冬夜が勝手にやった事に対して律義にお礼をする少女。


「気にするな。俺が勝手にやった事だし、別段あんたらを助けようとした訳でもないし」


「ですが、救われたのは事実です。あのままでは、遅かれ早かれ我々は皆殺しにされていたでしょう」


「それはどうだろうか……」


 少女はお世辞無しに美しい。あんな下品な奴らが、そんな少女を殺してお終いにするとは思えない。


 そうは思ったけれど、流石にそれ以上を本人に言うのも気が引けたので、冬夜は黙っている事に。


「いえ、殺されていたでしょう。奴らはそう言う連中です」


「はぁ、そうですか」


 特に興味も無いので、気の無い返事をする冬夜。


「それだけなら俺はもう行く。ちょっと急いでてな」


 言って、冬夜は足早にその場を去ろうとする。何せ、少女の背後から恐ろしい勢いで馬を走らせる人物が見えたからだ。絶対に面倒だ。そうじゃなくても面倒ごとだ。


 これ以上時間を取られてたまるか。そう思い、冬夜はさっさと離れたかったのだけれど……。


「待ってください!」


 少女は去ろうとする冬夜の手を掴み、引き留める。


 その瞬間、黒猫の毛が逆立つけれど、冬夜も少女も気付かない。


「どうか、お願いがあります!」


「すみません、無理です」


 冬夜は内容も聞かずに断る。しかし、少女はめげずに冬夜に詰め寄る。


 黒猫が|あらし(・・・)を吹くも、二人とも気付かない。


「どうか、我々を守っていただきたい!」


 懇願するように、少女は上目遣いに冬夜に頼みこむ。身長差的に自然と上目遣いになってしまうのだけれど、それはさておいて、可憐な少女の懇願に首を横に振れる者などそうそう居るはずもなく――


「いや、無理です」


 ――しかし、冬夜は首を横に振った。


 黒猫がぷすっと馬鹿にするように笑ったのに、二人は気付かなかった。





『野盗』

盗み、殺し、奪い、残虐の限りを尽くす悪党。

この国にもう後が無いと知っているからか、その行為に躊躇いも良心の呵責も無い。

あるのは、最後の最後まで好き勝手に生きようとする思いだけ。

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