第24話 20数年ぶりの一緒に食べる食事

 会議室から、一度病室に戻った私たちは、昼までの時間をのんびりと過ごした。

私はベッドに、お父さんはその横にある椅子に座り、座る位置が決まると、ほぼ同時に、


「ふぅ~・・・疲れた・・・」


とため息と共に呟いた。お互いにそれを聞いて、吹き出してしまった。


「なんだか、藍子と笑うの、久しぶりだな」


お父さんが、笑いながらそう言った。

そうだ。こうして、親子で笑い合ったのっていつ以来だろう?と考えても思い出せないくらい昔のことだ。


 昔は、仕事人間で家のことはすべてお母さんがやっていたし、帰宅してもいつも難しい顔しかしていなかった気がする。お母さんが、他界したあとは抜け殻のような生活になってしまったし。


そうこうしているうちに私が結婚してしまったのだから、笑い合ったのはきっと私がまだ小さい頃にあったかどうか・・・という感じだろう。


「最近は、琉生がお決まりのように『家、間違えた』ってうちに帰ってくるから、毎日少なくとも1回は笑ってる」


お父さんは、まだ笑顔のままそう言った。


「琉生、まだそんなアホなことしてるの?」


私が聞くと、


「藍子がそうしてくれって頼んだんだろ?」


と答えてきた。


「えっ?」


私は思わず『えっ?』としか出なかった。


「藍子が、結婚する前に『時々お父さんの様子を見てくれ』って頼んだんだって思ってたけど」


お父さんは、そう続けた。

そうだ!私、確かに琉生に頼んだ。思い出した。あれからずっと琉生は、約束を守ってくれていたんだ。


そう思うだけで、琉生が愛おしくて仕方なくなった。もうすぐ琉生ともいつでも逢えるようになるんだ。今の私は、お父さんと暮らせる次に嬉しいことだ。


退院したら、動けるうちにいろいろしたい。そんな希望まで描いている自分にも驚いていた。


 そんな思い出話で盛り上がっていると、病室のドアをノックする音がした。


「はい」


私が答えると、看護師が入ってきた。


「お昼まで待ってると、食堂は混みますよ。この時間に行くか、お昼を避けて行くかした方がいいと思います」


看護師はそう言ってくれた。


「あ、ありがとうございます。お父さん、どうする?これから行っちゃう?」


私は、看護師にお礼を言った後、お父さんに尋ねた。


「今から行ってみるか?」


お父さんがそういうので、


「じゃあ、これから行ってみます」


と私は看護師に答えた。


「それでは、一緒に行きますね。藍子さん、車椅子の操縦下手なので」


看護師はそう言うと、ニヤリと笑った。


「あ・・・おねがいします・・・」


私は、肩をすぼめて頭だけちょこんと下げた。



********************


 食堂に到着すると、そこは私服や病衣服の人だけでなく、白衣までいて驚いた。


「先生や看護師さんも利用するんですね」


私は、看護師に尋ねた。


「そうなんですよ。誰でも利用できますし、何より安いですからね。医者も看護師も意外と節約家が多いんですよ」


そう言って看護師は、私たちを席に連れて行ってくれた。

ちょうど、空いていた席に私を連れて行くと、慣れたようにテーブルに水を運んできてくれた。


「これで、席を確保してから、あちらで好きなものを注文するんです」


看護師は、そう言いながら食事が並んでいるところを指さした。前には取り分けてくれるスタッフがいて、頼めばそのスタッフが料理を準備してくれるらしい。そして、最後に会計を済ませてテーブルに戻ればいいようだ。


 私はなんだかワクワクしていた。鎌倉家に居た時は、外食などは一切なく、家以外の食事といえば、本家に集まる時くらいだった。それ以外はすべて私が作っていたものだから、好きなものを注文して食べられるなんて、考えただけでワクワクしてしまうのだ。


「藍子さんは、私が連れていきますが、お父さんは後に続いて注文してくださいね」


看護師がそう言うとお父さんは、


「あ、はい」


と戸惑いながら返事をした。その返事が、なんだかとっても可愛く感じてしまったことは内緒にしておこう。


 食事を頼む列に並ぶと、先に頼んでいる人たちの注文の仕方を観察した。みんな慣れた感じだ。自分に頼めるのだろうかと心配になったが、それ以上にやはりワクワクしている自分がいた。


やがて、私たちの順番が来ると、看護師が


「藍子さんの位置から見えますか?今日の日替わりランチは、マグロのフライ定食かチキンカツ定食ですね」


と教えてくれた。そして、


「日替わり以外にもパスタやカレーなんかもありますよ。どうします?」


と他のメニューも教えてくれた。私は、日替わりという言葉にひかれて、マグロのフライ定食がいいと答えると、看護師はスタッフにそれを告げてくれた。


お父さんは、ひとりではなかなか食べられないからとカレーライスのランチセットというものを頼んだ。カレーライスに、ポテトサラダと煮豆、そして唐揚げがひとつついたセットだ。それも美味しそうだと思ったが、カレーは退院してから自分で作ろうと思い、私はマグロのフライ定食のままにした。


 看護師と食事を提供してくれるスタッフがふたりで私たちの食事を準備し、テーブルまで運んでくれた。そして、お父さんが会計を済ませている間に私はテーブルへと連れて行かれた。


会計を済ませたお父さんが戻ってくると、


「それじゃ、私はこのへんで。食べ終わったらスタッフに声をかければ片付けてくれますから、遠慮しないで声をかけてくださいね」


看護師がそう言うと、いつものように笑顔でお父さんにも会釈をしてその場を去って行った。


「ありがとうございました」


看護師が私たちに背中を向けているタイミングで私が声をかけてしまったものだから、看護師は再びこちらを向き直しペコリと頭を下げてから食堂を出て行った。


「優しい看護師さんだな」


お父さんがそういうので、


「うん。ここの看護師さんはみんな優しいの。最初からずっと。多分私が鎌倉の人間だからとかじゃなくて、どの患者さんに対してもそうだと思う」


と私は答えた。そして、


「じゃあ、食べようか!病院食以外はなんだかものすごく久しぶりって気がする」


とマグロのフライ定食を前に、ワクワクが止まらなかった私が言った。それを聞きながらお父さんも、


「父さんも、カレーは久しぶりだ。昔、母さんがよく作ってくれたけど、母さんが作れなくなってからは藍子が作ってくれたよな」


と昔を懐かしみながら言った。


「あの時は、父さんも家族とのコミュニケーションを取らない生活だったけど、実はカレーはテンションが上がってたんだ」


お父さんの口からカタカナが頻繁に出てきたことに私は驚いたが、そこはツッコむのはやめておこうと思った。昔だったら、これぞ正しい日本語!みたいな言葉遣いしかしなかったのに、20数年の間に、すっかり現代に馴染んだんだと思うだけで、なんだか嬉しくなった。今は反対に私の方が現代に馴染んでないかもしれないとも思い、ちょっと複雑にはなったのだが。


 ふたりで、注文したものをそれぞれ食べ始めた。

お父さんとふたりで食事をするのなんて、結婚した時には諦めていた。それが今、こうしてできていることが本当に嬉しくて、涙が出そうになったが、必死でこらえた。


もし今、ここで泣いたりしたら、お父さんは心配する。そう思ったからだ。


「カレーはどう?」


気持ちを切り替えるために私が聞くと、


「やっぱ母さんや藍子が作った方が美味しいな」


お父さんは、私の方に近づいて小声で答えた。


「じゃあ、帰ったらちゃんと作るね」


私も同じように小声で答えると、ふたりでニヤリと笑った。私は、入院してからだいぶ表情筋を動かす努力をしてきたが、まだ上手に笑えていないことは自分でも分かっていた。


でもお父さんは、そんな私に、笑えてないなどのツッコミはしてこなかった。そんなこと普通に言えるのはやはり琉生だけなのかもしれない。


 私は、お父さんとふたりで食事をしている時でも琉生のことを想っている自分に、驚くと同時に、何となく嬉しくなった。鎌倉の家では、お父さんや琉生を思い出すことはあってもこんなに穏やかな気持ちで思い出したことはなかったからだ。


いつだって、辛くて、ふたりに逢いたくて、泣きながら思い出していた。今は、辛さなどなく、穏やかな気持ちなのだ。私は、この穏やかな気持ちが続けば、病気も回復してくるのではないかとさえ思っていた。

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