第28話 なぜこんな夢を?
眠ってしまったはずなのに、私は鎌倉家に居た。
そこには、まだ小さい勇哉と、勇哉のことを抱っこしている勇次郎がいる。
「勇哉を産んでくれて本当にありがとう」
そう言ったのは、勇次郎だ。私は、そんな勇次郎の言葉に戸惑った。そんなこと、一度だって言われたことがなかったからだ。
勇次郎の腕の中で、勇哉はキャッキャッと声を出して笑っている。確か、子育て中に勇次郎が勇哉を抱くことなんて一度もなかったはずなのに。
そこには、私が思い描いていた家族の姿があった。
〈あぁ、そうか。これは夢の中だ。私の理想が夢の中で再現されてるんだ〉
私はすぐに気が付いた。現実ではすでに勇哉は大人になっている。勇次郎の優しさなんて感じることがないまま来週には離婚するのだ。きっと、今までの緊張感がほどけて、こんな夢を見ているんだと、分かった。
私が思い描いていた家族像はこんな感じだったんだと改めて思い知らされた。頭で想像することはあっても、実際に夢で体験したことはなかったから、よりリアルに理想像を脳裏に焼き付けられた。
しかし、なぜ今になってこんな夢を見るのだろう?
こんな理想の家族だったら、きっと私は離婚などされずに、鎌倉家に居られたのか?それを望んでいるのか?
自分でもよく分からなかった。
鎌倉家に残り、勇哉が一人前になり、出来れば結婚し、父親になるところまで見たいという気持ちがあることは確かだ。
でも、反面、早く昔のようにお父さんと共に暮らしたい気持ちがある。もちろん、そこには琉生もいる生活だ。言葉を選ばず、自分を偽らず、自然体で暮らしたい気持ちがあるのは事実だ。
夢の中の生活は、心地良くて、勇次郎のことすら愛おしく思っている自分がいる。愛する夫と子供と一緒に暮らす毎日。そんな生活を、今、私は夢の中で体験しているのだ。決して、そうはならない家庭だったにも関わらず、今更こんな夢を見るなんてどうかしていると思いながらも、夢が覚めなければいいとさえ思っている。
〈そうだ。私は、こんな家族を夢見ていたこともあったんだ。勇次郎と出会う前までは、その家族の中にいるのはいつも琉生だったんだ。琉生と一緒になったら、きっと今頃こんなふうに楽しく暮らし、年を取って子供が独立するまで、楽しい日々が続いてたはずだ〉
好きだった琉生を諦め、なぜ私は勇次郎と結婚したのだろうか。
なぜあの時、鎌倉家の不思議にもっと疑問を抱き、断らなかったのだろうか。
なぜ私は、誰かのために生きたいと思うような性格になってしまったのだろうか。
なぜ…
なぜ…
夢を見ながら私は目の前の幸せそうな家族像を眺めている。
「勇哉を産んでくれて本当にありがとう」
そう繰り返す勇次郎。私の夢は、ここから進まない。ずっと勇哉を抱っこする勇次郎が目の前にいて、この言葉を繰り返している。それに対して私は何も答えていない。もしかしたら、その場に私という存在はなく、この光景を見ている私は、例えていうならばテレビや映画を観ている視聴者の状態なのかもしれない。
そんなふうに思えるほど、私の声はこの夢の中に出てこない。今、私が何か発したら、この夢の続きが見られるのだろうか?と思い、何か言おうとした。
しかし、声にはならなかった。なんて言えばいいのか、思いつかないのだ。幸せな光景なのに、この幸せに答える言葉が見つからない。
遠くから、誰かが私を呼び声が聞こえた。誰の声だろう?とても優しい声だけど、なんだか慌てているような声にも聞こえる。その声は、次第に大きくなってきた。
「…さん!…子さん!!藍子さん!!」
その声に、ふと目が覚めた。
「藍子さん!気が付きましたか!」
目の前には、看護師がいた。そして、愛川もいる。何が起きたのだろうか?私がゆっくりと病室を見渡していると、
「酸素濃度が極端に減ってしまっていて、意識を失っていたようですね。昨日、興奮しすぎましたか?」
そう言ったのは、愛川だった。そう言われても、まだ理解ができないほど頭がボーっとしていた。言葉にならない私に、
「退院は予定通りを考えていますが、しばらく経過観察して延期になる場合もありますので。あと、退院後も在宅療養となるので、その準備もしましょう」
愛川は続けてそう言った。言葉は聞こえている。しかし、それが理解できない。何を言われているのか、理解できないのだ。
「しばらく酸素吸入を続けます。それで回復するのを待ちましょう」
黙っている私に、尚も何かを言ってくる愛川。もうそれに応えようとする気力もないくらい体がだるかった。そして、目をつぶろうとすると、
「藍子さん!目を開けてください。今はまだ頑張って目を開けてください。眠らないで!」
看護師が慌ててそう言ってきた。しかし、やはり何を言われているのか私には理解できないまま、私は目を閉じた。
**********
再び、私の目の前には勇次郎と勇哉がいた。
今度は、ふたりとも現在の年齢だ。さっきまで、あんなに幸せな光景を繰り返し見ていたのに、今はふたりとも険しい顔になっている。
「厄介者!こんな病気になるなんて想定外だった」
「こんな人が母親なんて恥ずかしくて人に言えない!」
勇次郎や勇哉からそんな言葉を繰り返し浴びせられている。
さらにその夢には、お父さんや琉生も出てきている。お父さんは、ひたすら勇次郎に頭を下げて謝っているようだ。琉生は、
「お前、面倒な奴だな!おじさんにこんな迷惑かけるとか最低だよ!」
と私に向かって怒鳴ってるのだ。いつだって私の味方だった琉生が、ここでは完全に敵だ。むしろ勇次郎側についているとさえ思える。
私は、息が苦しくなり、その場に倒れ込んでしまった。それなのに、勇次郎や勇哉、琉生の声はずっと続いていた。
ふと、目を覚ますと、再びそこは病室だった。今度はさっきより意識がハッキリしている。
「藍子さん!分かりますか?」
私の顔を覗き込んで聞いてくれたのは看護師だ。今度は、何を言われているのか理解が出来た。
「はい…分かります」
声も出た。
「良かった」
看護師がホッとした表情でそう言ってくれた。
「意識、戻りましたね。先ほどまで昏睡状態だったんです」
これは愛川の声だと分かり、目で愛川を探した。少し離れたところで、何かの機械を両手に持っていた。
「これは必要ないですね」
そう言ってその機械を置くと、
「AEDを使おうとしていました」
と説明しながら私へと近づいてきた。
「私は、どうなってたんでしょうか?」
「心肺静止状態だったようです」
私の質問に、かなり簡単な答えを寄こした。しかし、夢を見ていたと思っていた私は、眠っていたのではなく意識がなかったのだということは、一瞬にして理解できた。
退院が決まってから、気持ちも上向きになり、自分が病気だということすら忘れかけていたが、やはり病気が回復しての退院ではないことを改めて思い知らされた。
「念のため、勇次郎さんには伝えておきました。お父様には伝えた方がいいですか?勇次郎さんが、藍子さんの意識が戻ったら藍子さんの判断に任せると言っていたのでまだお父様には伝えていませんが」
愛川はそう言ってくれた。
やはり昨日から、勇次郎の対応がおかしい。今までの冷血だけの対応とは違い、血が通った判断をしてくるのだ。それでも、勇次郎の判断が嬉しいと感じている自分もいる。
「父には知らせないでください」
私がそう言うと愛川も納得した。
「昏睡状態の時には、夢を見ているという人も多いようです。いい夢を見たあと悪い夢を見られたら、意識が戻ってくる場合が多いようですよ。藍子さん、どうでしたか?」
愛川が、そう言ってきた。まさに、その通りだ。最初はとてもいい夢だった。しかし、次は最悪な夢だった。その最悪な夢が見られたから、今、こうして私は意識を取り戻したのかと知り、もしあのまま幸せな夢だけだったらと考えただけで怖くなった。
「最悪な夢を見ました…良かった…」
私の言葉に、病室内にいたスタッフ全員が、穏やかに笑ってくれた。
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