第12話 偶然の再会と見つかった病魔
それは、本当に偶然のことだった。ある週末、私は鎌倉家の用事で久しぶりに家の外に出た。生活に必要なものはすべて業者に注文して届くので、私が外に出ることは滅多にない。でもその日は、本家にいる勇次郎の忘れ物を届けるため、本当に久しぶりの外だった。
生まれ育った土地を離れ、結婚して20数年を過ごしている土地で私は、どこに何があるのかさえ知らない生活を送ってきた。本家に行くのは年に数回だが、その時も鎌倉家専用車に乗り込めば本家に到着するだけ。途中でどこかに立ち寄ることもなく本家と自宅を往復するだけだった。
でもこの日、車は勇次郎を乗せて本家に行っていたので、私は電車で本家に向かうことになった。乗り慣れない電車での移動は正直疲れたが、それ以上に心が躍っているのを感じた。街並みは決して見慣れたものではなかったが、どこか懐かしさを感じていた。それはきっと、街並みが懐かしいのではなく、単純に外の世界が懐かしかったのかもしれない。
とはいえ、のんびりと歩いているわけにはいかなかった。勇次郎のことだから、私が何時の電車に乗って、何時に本家に到着するかを計算していると分かっていたから。勇次郎とはそういう人だった。
私は急いで本家へと向かった。そして、勇次郎に忘れ物を届けると、それを受け取った勇次郎には、中に入れてもらうこともなく、礼を言われるわけでもなく、無言のまま勇次郎だけが本家に消えていった。私は、そのまま自宅へと向かったのだが、帰りは行きより気持ちに余裕があった。少しゆっくりと歩きながら、街並みを目に焼き付けた。ここは私が育った土地なのだ。足は駅ではなく、自然と実家に向かっていた。
懐かしい道を歩きながら、私は無意識に足を早めた。逸る気持ちを抑えきれない…そんな感じだった。しかし、ふと我に返った。ここで私が実家に立ち寄ることは結婚の条件に反しているのだ。父親が病気などの特別な理由がない限り、私は実家に行くことすら許されていないことを思い出してしまった。
急ぎ足だったさっきまでの私の足は、その場にピタリと止まってしまった。
〈あの角を左に曲がって、少し急な坂を登りきったところを右に曲がればお父さんに逢えるけど、今、それをしてしまったらどうなるか分からない。私にではなく、お父さんに何かあったら困る〉
そう思って、身体の向きを今来た方向へと変え、鎌倉家の本家を再び通り、駅に向かって歩き出した。あと少しで父親に逢えたかもしれない距離まで来たというのに、こんなところで我に返ってしまうなんて、自分の性格を呪うしかなかった。
駅に着くと、急いで改札を通った。ちょうど電車が到着したのか、改札の内側には改札に向かう人たちが押し寄せてきた。人並みをかき分けるのは苦手だった私は、その波に逆らえず改札近くまで押し戻されてしまった。
「どんくさいな」
人並みの中から、そんな声が聞こえた。私は、その声に思わず身体が固まってしまった。地元に戻ってきたからといって、こんな空耳が聞こえるなんてと思わずにはいられなかった。その声は、まぎれもない、琉生の声だったのだ。20数年も経っているのだから本来ならば、琉生だってもっと声が変わっているはず。つまり、私は最後に琉生と逢った時の声しか覚えがない。その覚えのある声そのものだったのだから空耳以外のなにものでもないのだ。
私は声がした方を向くこともなく、人波が落ち着いたすきにホームへと急いだ。
「おいっ!無視かよっ!」
私は再び足を止めた。そして、今度は声のした方に身体ごと向きを変えた。
「…うそ、でしょ?」
「よっ!久しぶりっ!」
私の目の前には、少し体格が逞しくなった琉生の姿があった。私の方に身体をまっすぐ向け、目がなくなるくらい細めた笑顔がそこにはあった。懐かしさと嬉しさで心臓が破裂しそうなくらいドクドク激しく動くのを感じた。これは、結婚時の条件を破ったことになるのだろうか?いや、偶然の再会はカウントされないのでは?でも誰かに見られていたら偶然だといっても信じてもらえないのでは?このまま急いでホームに行けばセーフなのでは?
私の頭の中は、既に勇次郎への言い訳を必死で考えていた。情けない話だが、今の私は勇次郎に逆らう気持ちさえ失せていたのだ。平穏に子供が独立する日を迎えるまでは、鎌倉家を裏切れない…とさえ思っていた。いわゆるマインドコントロールのようなものだろう。約束を破ることは父親にも迷惑がかかると思い、今まで必死に守り続けていたのと、単純に鎌倉家は何をするか分からない、想像ができない恐怖もあったのだ。
琉生に逢えたことは本当に嬉しかった。懐かしすぎて思わず駆け寄ってハグでもしてしまいそうなくらい嬉しかったのだ。でも、そこを必死で抑え、私は琉生に背を向け、その場を走って逃げてしまった。琉生は…追いかけてはこなかった。改札の内側にいたのだから、追いかけようと思えば追いかけられた場所だ。それでも追いかけてこなかったのは多分、私の気持ちを察してくれたのだろう。
ホームに着くとすぐに電車が入ってきた。私はそれに乗ると、ちょうど空いた端の席に腰を下ろした。全身が小刻みに震えていて、その震えはやがて大きくなっていった。感情が抑えきれない…そんな感じだった。
私は大きく深呼吸を数回すると、現実から逃げるように下を向いて目を閉じた。自宅の最寄り駅は終点だ。駅に到着するまで少し眠ることにした。しかし、何駅過ぎても一向に眠ることはできなかった。電車に乗り込んで約1時間。結局眠ることはできないまま終点に到着してしまった。
電車を降り、改札へと向かう時。まだ身体の震えは止まっていなかった。足が思うように前に出ない。足も小刻みに震えている。それでも改札へと向かう足を止めずにいる自分に、自問自答した。
〈何を恐れている?震えが止まるまで休むという選択肢は許されないのか?〉
と。答えは決まっていた。もちろん恐れているのは勇次郎で、休むという選択肢は許されないのだ。私は何とか改札を出て、自宅へと足を進めた。震えはまったく止まらない。傍から見たら酔っ払いにも見えるであろう千鳥足の状態だ。それでも一歩ずつ前に足を進めるのに必死だった。
ようやく自宅に到着すると、そこには勇次郎を乗せて本家まで行ったはずの車が停まっていた。まさか私より先に勇次郎が帰宅しているとは思いもしなかった。私は震える身体を数回強めに叩き、震えを止めようと必死になった。その瞬間、意識が遠のいていった。
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