第23話 検査結果と退院
愛川の野望(といっていいのか分からないが)を聞いた翌日。私は、検査の結果を聞くために会議室のようなところに呼ばれた。もう歩けると言ったが、念のためだと車椅子での移動となったのは、少々予想外だったが。
そこには、お父さんと勇次郎が既に座っていたが、ふたりが話をしていた様子はなかった。
私が部屋に入るのを見たのはお父さんだけで、勇次郎はまっすぐ前を向いたまま微動だにしなかった。
「藍子。体調はどうだ?」
お父さんにそう言われ、
「大丈夫だよ。点滴が外れてからも体調が崩れることもないし」
そう答えた。検査の直前発熱したことは、内緒にしようと思っていたからだ。私の答えにお父さんも安心した様子を見せた。このやり取りの中、私はチラッと勇次郎に視線を移したが、やはり私が部屋に入ってきてから一度も動いていない。
〈これは勇次郎の置物か?〉
そんなふうに思いたくなるくらい、まったく動かない。
私は、お父さんと勇次郎の間に車椅子ごと運ばれた。
しばらくして、愛川が看護師と共に部屋に入ってきた。
「お待たせしてすみません」
そう言うと、テーブルの長辺に座っていた私たちの後ろを通り短辺に着席した愛川とその横に準備してあったパソコンが乗ったサイドテーブルのようなものの前に看護師が座った。
「それでは、藍子さんの検査結果をお伝えします」
愛川が私のことを”藍子さん”と呼ぶのを初めて聞いた私は、なんだか背中がムズムズしたが、そこを今この場で言っても仕方がないことなので黙っていた。
愛川は、自分が座った席の後ろにあるスクリーンに映し出されたレントゲン写真に目をやり、持っていたペンで一部を指し、
「入院した時には、この部分に靄のようなものがかかっていて、最初は肺炎を疑いました」
愛川が指したところは、私の肺だった。勇次郎は顔だけそちらに向けて話を聞いていた。どんな顔で聞いているのかまでは分からなかったが、愛川とは何度か目が合っていたように見えた。
「現在は、ご覧の通り肺の炎症はおさまりました」
愛川がそう言っても、勇次郎は相変わらず何も言わずレントゲン写真を見ているだけだった。次に愛川が見せたものは、心臓のレントゲンだ。そして、
「こちらは入院した直後の心臓のレントゲンです。そして、こちらが昨日のものです」
2枚のレントゲン写真を出し、比較するように説明を続けた。
「心臓に関しては、正常な血液循環が行なわれているとはいえません。しかし、日常生活程度ならばできるレベルまで回復しています。この程度まで回復した場合、自宅療養も可能です」
さっきから愛川しか口を開いていない。それどころか、誰も相槌すらしていない。私は自分のことだというのに、勇次郎が気になって愛川の説明に集中していなかった。お父さんは…というと、熱心にメモを取っていて、こちらも相槌どころではなかったがおそらく一番真剣に愛川の話を聞いていたのはお父さんだろう。
「そして、心臓、肺のレントゲンの他に、血液検査や心電図も撮りました。心電図に関しては」
愛川がそういうと、タイミングよく心電図の結果がスクリーンに映し出された。レントゲン写真と違って、ただの波形なので、どう読み取ればいいのかまったく分からない。そんな私の疑問など気にする様子もなく愛川は続けた。
「やはり波形に乱れが見られます。この検査は、意識がある時と眠った状態の時の両方を測定しました。眠っている時にも波形が乱れることがありますので、無呼吸になることもあります」
「無呼吸ってことは、それが長く続けば危険なのでは?」
愛川の説明を遮るように言ったのは、お父さんだった。耳だけはしっかり愛川の声をとらえていたお父さんは、愛川の説明を聞き逃さなかった。
「もちろん、長く無呼吸状態が続けば、脳に酸素も行かなくなりますし、血液循環も悪くなり、危険な状態になります。しかし、今回の検査では無呼吸が長くても30秒ほどだったので、今は心配いりません」
「今はってことは、いずれはどうにかなるということですか?」
メモを取り始めて初めて父はペンを置き、愛川に尋ねた。
「残念ですが、藍子さんの病気は完治するものではありません。いずれは心臓や肺はもちろん、他の臓器も機能が低下してきます。低下するまでの期間は、個人差がありますので何とも言えませんが」
愛川は冷静に答えた。機能が低下していけば、やがて私は起き上がることも出来なくなり、もしかしたら話をすることも出来なくなるかもしれないという可能性の部分は口にしなかったが、おそらくここにいたすべての人がそのことを暗に理解していただろう。
お父さんが、こんなに真剣に聞いてくれている間も勇次郎は何も言わず、スクリーンをジッと見ているだけだった。退院が決まれば勇次郎とは離婚するのだ。他人になる人間の今後のことなど興味がないのか、それとも勇次郎も心電図の波形を読むことができ、その波形を読んでいるだけなのかは不明だった。
おそらく、私の予想の前者が、今の勇次郎だろう。
「検査結果を続けていいですか?」
愛川は、そういうと勇次郎、私、お父さんの順に視線を送ってきた。私は黙って頷き、お父さんは、
「お願いします」
と会釈したが、勇次郎だけはノーリアクションだった。興味がないのならなぜ同席したのかと疑問だったが、とにかく本心から興味がないことを伝えられていると思っているように見えた。
「血液検査の結果も、正常値ではありませんが日常生活に支障はない程度でしょう。こちらも残念ながら現時点では、という話しにはなりますが」
愛川は、スクリーンに映し出された血液検査の結果の中で、特に気を付けておきたい数値を指し、
「腎機能の数値が異常に高いので、今後はむくみや体重増加などに気を付けてください。特に体重増加は、心臓にも負担がかかりますから」
と説明した。お父さんは、再びメモを取り始めていた。私は漠然と数値が並んだ検査結果を見ていたが、説明にあった腎機能以外の数値を見てもさっぱり分からなかった。
「そして、この結果を踏まえて、退院の話となるのですが…」
愛川が退院という言葉を口にした時、初めて勇次郎は口を開いた。
「退院の日は、病院で決めてかまいません。藍子の体調などを見て決まり次第連絡ください。当日は、迎えが来ますのでその車で藍子を実家まで送らせます」
今日初めて聞いた勇次郎の言葉は、事務的に、無感情に、淡々と発せられた。それを聞いた愛川は、
「分かりました。現時点では今日が金曜日ですので、退院は、来週の金曜日を予定していますがそれでよろしいですか?」
と勇次郎に向かって尋ねた。
「分かりました。変更がありましたら、連絡ください」
勇次郎がそう言うと、愛川も分かりましたと短く答えた。ここの関係は本当に親戚なのだろうか?叔父と甥という間柄なのに、こんなに敬語のやり取りができるものなのかと不思議だったが、それが鎌倉家なのかと思うだけで、なぜか納得できた。
検査結果と退院日の説明が終わると、勇次郎はすぐに立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。できればお父さんにくらいは挨拶をしてほしかったところだが、それすらせずに行ってしまったのは、本当に残念だ。
残されたのは、お父さんと愛川、そして看護師と私だが、愛川は昨日のような態度は見せず、
「お父様も今日はお越しいただきありがとうございました。藍子さんの退院の日にもお越し頂けますか?」
とお父さんに向かって尋ねてきた。
「それが…来たいのはやまやまなのですが、私はひとりでここまで来られないんです。今日は、勇次郎くんが迎えに来てくれたので来られたんですが…実は、どうやって帰ればいいのか、困っています」
そうだ!今日は勇次郎が迎えに行ってくれたのだ。先に帰ってしまったということは、お父さんはどうやって帰ればいいというのだろうか?私は、車椅子をドアに向かって走らせた。乗り慣れていないので操縦は下手で、あちこちにぶつかりながらだったものだから、看護師が慌てて、
「藍子さん、無理しないでください。鎌倉さんのところに行くんですか?」
と走り寄ってくれて聞いてくれた。
「はい。すみません。まだ帰っていなければ父のことを頼みたいので連れて行ってもらえますか?」
私がそう言うと、愛川は窓を覗き、
「もう車はないですね。先ほどまで停まっていたのですが」
と言った。勇次郎はなぜお父さんを置いて帰ってしまったのか、私には理解できなかった。
「さて…どうしたもんか…」
お父さんは、肩をがっくりと落とし呟いた。
「琉生は?琉生に連絡したら迎えに来てもらえない?」
私がそう言うと、お父さんの顔が急に明るくなった。
「そうか!琉生に頼んでみるか!」
そう言いながら、カバンから取り出したものはスマホだった。なんとお父さんがスマホを使いこなしているのだ。私は、その事実に驚いてしまった。そんな私のことなど気にせず、お父さんは手慣れた様子で琉生に電話をかけていた。
「お父さん!ここ、病院だから通話は…」
「かまいませんよ」
私が制する言葉を遮って、愛川は言った。
「すみません…」
愛川に会釈すると、その様子を見ながら看護師は笑っていた。看護師の笑い声は、私の心に落ち着きと癒やしをくれる。会釈したあと、看護師を見て私も微笑んだ。正確には微笑んだつもりの顔なのだろうが。
私たちがそんなやり取りをしている間に、お父さんは琉生に迎えを頼めたと言ってきた。ただ、仕事が終わってから迎えに行くため、こちらに到着するのは早くても19時だというのだ。
愛川もその件に関しては、了承してくれた。病院の面会時間は18時までだったのだが、事情が事情なだけに、許可してくれたのだ。
琉生が来るまでの間、かなりの時間があるが、お父さんは病院の中にある食堂で食事をしてみたいと、なんだか楽しそうに言った。
「それなら、藍子さんも一緒に食べてきてはどうですか?普通食ももう食べられますからね。たまには病院食以外のものを食べてみるのもいいのではないですか?」
そう提案してくれたのは、愛川だった。この提案には、看護師も驚いていた。まさか愛川からそんな提案があるとは思わなかったのだろう。でも私は、久しぶりにお父さんと食事ができることが素直に嬉しくて、
「いいんですか?ではそうさせていただきます」
と即答した。それに対して愛川は特に言葉は発せず、お父さんに会釈をすると部屋から出て行った。看護師は、
「では一度部屋に戻りましょうか。お父様もご一緒にどうぞ」
と言いながら、私の車椅子を押してくれた。お父さんも一緒に病室へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます