第19話 真実を告げられた勇哉は

「本当のこと、教えてくれる?俺、非常識なこと言われても、驚かないよ。あの家はとにかく他の家とは違うのは分かってるし」


その言葉には、覚悟が感じられた。

まだまだ子供だと思っていた勇哉が、私が思っていた以上に成長していて、大人になっていたことが嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちだった。


 それでも、鎌倉の家に生まれた時から何となく鎌倉家がDNAにこだわる理由として、年齢以上の理解力ためのものということも分かっていた。普通に考えたら、本当におかしいことだとは思うが、世の中にはそうして子孫繁栄しながら家を守っているところもあるということが分かっただけでも、いい経験だったと思うしかないのかもしれない。


 勇哉は、ジッと私の方を見て、私の言葉を待っていた。私も数回深呼吸をして気持ちを整えた。そして、

「勇哉は、お父さんとお母さんがどんなふうに知り合って結婚したか、誰かに聞いたことはある?」

と静かに尋ねた。

「お婆様には、『鎌倉の人間は、結婚相手を恋愛で決めることはしません。優秀な跡継ぎを絶やさないように充分調査をして決めます。なので、勇哉も例外ではありません。勇哉の相手は我々が決めます』って言われたことがあるから、お母さんたちもそうやって結婚したんだって思ってた」

勇哉も静かに答えた。


その言い方は、結婚前に私が琉生に淡々と伝えた結婚に当たっての条件の言い方に似ていた。お義母さんは、何かを伝える時、ここまで感情をなくして人は話せるものなのか?と怖くなるくらい”無”の状態で伝える。声には抑揚はないし、音符で表すとしたら同じ音が言い終わるまでずっと続く…と言った感じだ。普段の会話では、”怒”の感情が全面に出るような人で抑揚のオンパレードなので、この”無”の状態は逆に背筋がぞっとするのだ。勇哉もそんな言い方で伝えられたのかと思うと、その直後に気づいてあげられなかったことが悔やまれた。


「そう。お父さんとお母さんは、恋愛でもお見合いでもない結婚だったの。だから、お父さんに対して恋愛感情があったことがないの。でもね。勇哉が生まれた時、初めてお父さんに感謝した。お父さんがいなければ、勇哉と逢えなかったからね」

私は、もう何も隠さず伝える覚悟があったから、言葉を選ばず、思いのまま説明した。勇哉はそれを黙って真剣な顔で聞いてくれていた。


「私ね。もっと勇哉を育てられると思っていたの。甘かった。卒乳までは私のそばにいてくれたことが多かったけど、離乳食から幼児食に変わったくらいから、勇哉のそばで過ごせなくなってしまって、本当に辛かったし寂しかった。勉強を教える時しか長く一緒にいられない親子なんて聞いたことがなかったから。」

鎌倉家の妻は、一緒に食事をしない。それは子供ともだった。準備をし、テーブルに並べたら、それを食べさせてあげることも許されない。「人の食べ方を観察して学べ」というのが鎌倉家のスタイルだったのだ。


唯一、勉強を教える時間だけは、勇哉が理解するまで何時間でも付き合えた。つまりこの時間だけが私にとって至福の時間でもあった。最初は、出来ないことに対してすぐに泣いていた勇哉だったが、それすら愛おしかった。


やがて、理解力が増し、出来ない、分からないと愚図ることもなくなり、この至福の時間も小学3年生頃を境になくなってしまった。勇哉が自分一人で勉強できるようになってしまったからだ。


そんなことを思い出しながら、私は続けた。


「子育てってこんなもんじゃないって思ってたから。もっとたくさん一緒に居られるものだって思ってたからね。でも、親子が一緒に過ごさないのは、鎌倉家だったからだって気付いた時、なんだかすべてを諦めてしまったところがあったの」


勇哉が生まれてからのことも今日初めて話しをした。誰にもこんな愚痴を言える環境ではなかったし、まして、子供にそんな話しをするなんて思ってもいなかったけれど。


「勇哉が、幼児舎に入園した時、舎服姿を見て『大きくなったなぁ』『かっこいいなぁ』って感動していたけれど、それを勇哉に伝えることも出来ずに本当に辛かった」


私は、勇哉の成長と共に感じていたことも伝えることにしていた。もうじき訪れる別れの時を思うと、今伝えなければ一生伝えられないと思ったから。


そんな私の気持ちを察してくれていたのか、勇哉はずっと黙ったまま聞いてくれていた。その後も小学校、中学校、高校、大学入学時に感じたこと、そして卒業時に感じたことを正直に伝えていった。大学入学のことを話し終わった時、


「お母さん。本当に辛かったんだね。俺を産むために、たくさん我慢してたんだね。ごめん…」


それまで黙って聞いてくれていた勇哉から予想外の言葉が漏れた。私は、慌てて、


「勇哉を産むために我慢していたわけじゃない!」


と伝えた。私が間髪入れずに否定したのを見て、さっきまで悲しい顔だった勇哉の顔が一瞬明るくなった。


「確かにね…結婚する前までは、子供を産むだけの役目って思ってたところはあったの。でも、勇哉を見た瞬間、勇哉に逢えた瞬間、そんな気持ちは一瞬で吹っ飛んだの。目の前で、元気に産声を上げてくれている勇哉を見たら、なんだか、この結婚も悪いことばかりじゃなかったって思えたっていうか。とにかく、本当に嬉しくて幸せな気持ちになれた」


私がそういうと、


「そっか。ありがとう」


勇哉は、どこかホッとしたような顔で言った。


「こちらこそ、ありがとう。私の子供として生まれてきてくれて」


私も自然とその言葉が出てきた。こんなことを我が子に伝える日が来るなんて想像もしていなかったけれど、とてもいい機会だって思えた。


「で、なんで病気になったら離婚なの?」


病室の空気があたたかさでいっぱいになっていたところに、勇哉からの核心に迫る質問で一気に緊張が走ってしまった。多分、私の顔は一瞬にして凍り付いただろう。


 私は、ちゃんと伝えなくてはと思い、もう一度深呼吸をした。そして、


「もともと、鎌倉家の嫁は子供が成人して、社会人になるまでなの」


と告げた。これには、勇哉は納得いかないような顔になっていたが、私は続けた。


「鎌倉家の嫁はね、子供が社会人になった時点で、選択肢があるの。そのまま鎌倉家に残るか、実家に帰るか。結婚生活を送る間に、本当の意味で鎌倉家の人間になる覚悟があるかどうかを常に考えながら生活しててね。例えば、夫婦間に…というか、妻側に恋愛感情が芽生えたり、子供が結婚したら、今、お婆様がしているような鎌倉家の決まりをお嫁さんに伝えることができるか、とかで、お嫁さんの方に鎌倉家の人間になる覚悟が決まった場合には、ずっと居られるの」


私は、勇哉の表情を見ながら、話した。あまりにも勇哉が辛そうだったら、話しを途中から少し変えてみようかと企んでいたからだ。


しかし、勇哉の表情は変わらなかった。それどころか、さらに聞く準備はできていると訴えるように私をジッと見ていた。私は、話しを続けた。


「私は、勇哉と離れるのは本当に嫌だった。でも、鎌倉家の人間になることも嫌だった。できることなら、勇哉と共に鎌倉家を出たいとさえ思っていたんだけど、さすがにそれは無理なことだって分かってる」


私は自分でも驚くほど、正直な気持ちを口にしていた。勇哉はそれを軽く頷きながら真剣に聞いてくれていた。


「だけど、離婚になった場合、勇哉はどう思うのかを考えた時、お婆様にどうやって説明されるのかも心配だった。おそらく、母親がすべて悪いから離婚になったって感じで説明されるんだろうなってことは予測できてたけど、それによって勇哉の気持ちが、お父さんのように閉ざされなければいいなって思ってた」


私は、勇次郎を見ていて、常に閉ざされた心に恐怖さえ覚えていたから、本当に勇哉にはそうなってほしくないと願っていた。今、目の前にいる勇哉は、鎌倉家の人間とは思えないほど、しっかりと感情を出してくれる。


それがいつしか、勇次郎のように感情に蓋をしてしまうのかと思うと、それはとても残念なことだし怖いことだと思っていたからだ。


「お父さんは、お婆様に対しても本音で話しているところを見たことがないから。勇哉にはそんなふうになってほしくないって気持ちはあった。だから、私はずっと迷ってた。鎌倉家の人間になれば、勇哉が結婚するまでは何とか見守れるかもしれないって。でもそれと同時に、私がいても状況は変わらないかもしれないとも思ってた」


私はどこまで本音を勇哉にぶつけるつもりなんだろう?ある程度のところまででいいのではないか?と思いつつ、なぜか、思っていたことが止まらず言葉となって飛び出してきてしまう。


 勇哉は、そんな私を優しいまなざしで見つけてくれている。そして、


「お母さんは、鎌倉の人間じゃないんだから、本音を言ってもいいんだよ。俺にしか言えないかもしれないけど、ずっとずっと言いたいことも言えないままだったんだから。きっと病気になったのだって、そういう我慢とかが原因なんじゃないのかな?」


と、勇哉も思っていたことを言葉にしてくれた。


私は、


「ホントに大人になったね。こんなに長く話したのって久しぶり…というか初めてかもしれないね。こんな親子、他にはいないよね」


と改めて鎌倉家の環境の違和感を口にした。勇哉も大きく頷きながら、


「確かに、俺、お母さんがこんなふうに考えてたこと、初めて知ったし、今まで知ろうともしてなかった。既に鎌倉の人間になりつつあったな、俺」


そう言いながら、立ち上がり、意味もなく病室を行ったり来たりしていた。違和感のある鎌倉家の人間のようにはなりたくない気持ちと、気付いたらそちら側になりつつあったのかという気持ちとで、やりきれない気持ちを落ち着かせるかのようだった。

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